2—7:栄冠の影
空飛ぶモデルとして、エアリアル・レーサーとファッション業界の花形を兼ねる「雷閃のココ」ことクロエさんから、思いもよらない頼みごとをされたけど、なぜわたしにそんな話を持ちかけてきたのかは、やっぱりわからなかった。
「リリベルがマーズさんに勝つと、いったいクロエさまにとってどういう意味があるんですか?」
それに対して、事実の一部を説明してくれたのは、横のアナスタシア嬢だった。
「クロエのお父さまは連邦軍の空将なの。マーズ曹長が慰留を振り切って退役するまでは、彼とクロエが結婚するものだとだれもが思っていた」
「え……そうだったんですか」
連邦首相がロン・ドゥレーゼン氏だってことはさすがに一般常識として知ってましたが、ロン・エウロス氏が空軍の将官だっていうのは知りませんでした。……社会勉強足りないかな?
というか……わりとめんどくさい、男女のワケアリ過去の話じゃないですか。あんま関わりたくないなあ……。
「自分よりエアリアル・レースを選んだマーズさんに復讐をしたい……それがクロエさまの目的なんですか?」
わたしがそういうと、クロエさんとアナスタシア嬢はそろってきょとんとした顔になった。あれ……? なにかまちがえました?
「なるほど、過去と現在の事情を表面的にだけ説明された第三者は、こういう解釈をすることもありえるのね」
アナスタシア嬢は、あらたな知見を得た、といった感じでつぶやく。
クロエさんは、
「クルトさん、あなたは魔女なのよね……?」
と訝しげだ。ある意味買いかぶり、べつの意味ではすごい偏見。毎度のことだけど。
「そのお話しの前に、わたしのことは名前のほうでお願いします。アナさまのように『ペティ』と呼んでいただいてもけっこうですし、ヌール寮のみんなはわたしを『ティカ』と呼んでます」
「わたくしからも説明したのよ。心理術者だからといって人の思考を読み取っているわけではない、って」
そういうアナスタシア嬢も、最初にわたしと接触したときは、わざわざ説明しなくても用件は伝わっているものと思っていた。
「ペティカさんには、私が、テディ……マーズへ怒りを覚えていると感じられるの?」
おずおずとクロエさんが口を開いて、ようやく、わたしから彼女の心がはっきりと見えた。クロエさんはいまもマーズさんへの恋に囚われている。
「わたしがさっきまでのクロエさまから感じていたのは、あなたはなにかを怖れているということでした。てっきり、グランプリで好成績を挙げたマーズさんが、一流レーサーとして台頭してくることへの警戒感かと思ったんですけど。そうではなくて、無名の存在からスターダムへと躍進したマーズさんが、もうクロエさまのことを必要としなくなるのが怖かったんですね」
感知閾値を最低限にしてある感情検知の精度なんて、こんなモンである。自衛のために殺気や害意さえわかればいいので、細かい機微まで読み取れる必要はないのだ。
それでもいちおう、よく当たる占い師ていどには人の心情を把握できているだろう。
「……さすが魔女。やっぱり全部お見とおしね」
クロエさんはそう言うけれど、初手めっちゃ読みハズしたばっかりなんで、そんなに感心しなくてもいいと思います。
「マーズさんの優勝を阻止したいということでしたら、べつにクロエさまから頼まれるまでもなく、リリベルは全力を尽くしますし、わたしも可能な範囲でのサポートをします。……正直に言うと、それでもマーズさんに勝てる可能性は五割もないと思いますが。仮にリリベルが優勝したとしても、マーズさんが上位に食い込むのはかなり確実でしょうし、予選であのタイムをたたき出した時点で、もうエアリアル・レーサーとしての成功は約束されたようなものじゃないでしょうか」
事情はいちおうわかったものの、わたしにできることはなにもないとしか思えなかった。クロエさんはマーズさんへ変わらぬ想いを抱いているけど、マーズさんのほうはどうなのか。
ヌール夫人によると、マーズさんは魔術師範学校も士官学校も出ていない一般志願者として、連邦空軍史上ふたりめの昇進記録保持者だということである。
それをふまえて考えても、将軍の娘であるクロエさんと結婚して出世にはずみをつけることなく、学生時代からの夢であったレーサーの道を選んだマーズさんの意志の固さはそうとうのものだ。
もうマーズさんは軍と無縁の人生を送ると決まったようなもの。予選への出場から妨害でもしておけばともかく、いまさらなにをしても遅いのではなかろうか。
わたしがそんなことを頭の中で考えていたところ、クロエさんの不安の質がすこし変わった。
単純に自分がなにかを失うのではないかという懸念ではなく、他者の立場や安全への心配がある。その対象は、当然マーズさんだろう。
「……マーズが予選免除でグランプリ本戦に直接出場できるレーサーだということは、空軍関係者のあいだでは共通認識だったわ。それなのに、マーズは軍時代の飛行記録を申請せず、無名の新人として予選に参加した。軍から見れば、彼の態度は挑戦的」
「空軍関係者がメンツのために、マーズさん潰しをしようとしているっていうんですか?」
……なんか、話の風向きが変わってきたな。きな臭い方向に。
情報分析の専門家としての顔で、アナスタシア嬢が現状の解説をしてくれた。
「予選免除者20名のうち、現役軍人はふたり、候補生が三人、そして空軍出身のプロレーサーが九人。予選を突破した16人の中にも、空軍関係者はそれなりに入ってくるでしょう。彼らはいまごろ、テオドール=マーズをマークする作戦を立てているかもしれない。軍に話をとおし、現役兵時代といまのキャリアを一本化していれば、マーズもと曹長こそが、アルケイナ代表の空の王者として、彼らのチャンピオンになっていたはずなのだから」
……あー、グランプリ・レースの歴代優勝者がほぼアルケイナ出身の選手で占められてる理由って、そういうことだったんですか。
出場者の半分以上が同じ派閥なら、外部の有力レーサーをブロックしたり、仲間に道中の風よけを提供したりで、プロデュースしたい特定選手を勝たせるのはそんなに難しくないだろう。
もっとも、エアリアル・レースっていう競技の特性上、お仕事として飛びまくっている空兵さんが上達するのは当然のことで、しかるべき実力もないのに不正でグランプリ優勝の栄光を独占してる、ってわけじゃないんでしょうけど。
一匹狼でいることを選択したマーズさんに、かつての仲間たちが牙を剥く……それがグランプリ本戦で予想されている展開なのか。
……と、ひとつわからないことが。
「マーズさんが軍を退役したのは去年だって話でしたよね。プロレーサーになるために退役したのに、今期のレギュラー・シーズンのレースには参加していなかったんですか?」
「ええ。マーズもと曹長は、退役後しばらく行方知れずになっていた。グランプリの予選参加希望者登録会場に、不意に現れたの。本人いわく、勘を取り戻すために、しばらく独りでトレーニングしていたのだそうよ」
「ふつうにレギュラー・シーズンのレースに出ていたら、そっちの成績でグランプリ本戦に出られたんじゃないですか?」
「……そう。ペティと同じことを、みんな思った。彼のここ一年の行動には、やや不審なところがある」
アナスタシア嬢は、マーズさんがクロエさんを避けるためにレギュラー・シーズンをすっぽかしたんじゃないかと疑っているのかな。
「クロエさまも軍関係レーサーってことなんですか?」
この質問には、クロエさん当人が答えてくれた。
「いいえ、私は空将の娘ではあるけれど、魔術師範学校を卒業してすぐに民間エアリアル・レースのチームに入ったの。軍とも、公機関とも関係ないわ」
「それはそれですごいですね」
20名の予選免除者中、14人が軍関係者で、4人は現役魔術師範学校生なのだから、それ以外の枠はふたりぶんしかない。そのうちのひとりがクロエさんなのね。
「クロエは今回でグランプリ本戦に三度めの出場になるけど、軍のスクラムの外側だから、妨害されない代わりにアシストもない。マーズもと曹長を止めるにも、助けるにも、ひとりでは力不足なのよ」
アナスタシア嬢がまとめてくれて、一般人は知らないグランプリ・レースの影の構図は理解できた。ただ、それでどうしてクロエさんはリリベルに勝ってほしいのかがまだわからない。
「リリベルも師範学校生だから、ある意味ではアルケイナ所属ってことで、軍関係のレーサーから妨害されたりはしないだろうっていうのはわかります。仮にリリベルが優勝したとして、マーズさんやクロエさまに、なにかメリットってあるんですか?」
首をかしげたわたしに対し、クロエさんは真剣な表情で口を開いた。
「メリットがあるというより、デメリットを減らせるの。エアリアル・レースはドラゴンハート市でのグランプリだけではなく、各地でレギュラーシーズンの大会が行われている。……そしてもちろん、高速での空中レースは危険をともなう競技よ。死亡事故こそめったに起きないとはいえ、引退を余儀なくされる大怪我を負うレーサーは年にひとりかふたりは出てしまうもの。レース中の接触や衝突に、故意が疑われることは原則としてない」
「軍のメンツを潰してマーズさんが優勝してしまったら、今後のシーズンレース中に事故をよそおって狙われるようになるかもしれないっていうんですか……?」
わたしが眉をひそめて問い返すと、クロエさんは無言でうなずいた。
……うーん。今回のグランプリでマーズさんの優勝が阻止されたとして、それだけで解決する話なのかなこれって?
思っていたよりはるかにややこしい問題にわたしが頭をひねっていると、アナスタシア嬢が横からこうおっしゃる。
「クロエはね、いまからでもマーズもと曹長と自分の結婚さえ決まれば、彼が軍の紐つきではないフリーのレーサーとしてグランプリの優勝をはたしても、ことはおさまると思っている。……傲慢だけれど、ありえない妄想だとまでは言えないわけ」
「だったら、レース前にマーズさんと会ってみたほうがいいんじゃないですか?」
またも首をかしげることになったわたしへ、クロエさんが答える。
「何度か連絡はしたの。でもテディは『いまはまだきみと話すべき時期じゃない』……と」
「マーズさんにとっては、クロエさんと今後について話し合うより、目の前のグランプリ・レースのほうが大事なんですね」
「……そう。だから、彼に一度立ち止まって考えてもらうためにも、グランプリで優勝されては困る」
「クロエさまのご用件は理解できたと思います。あと二日予選をやっていて、グランプリ本番まではさらに中一日ありますから、三日間で可能なかぎりリリベルを仕上げます。アナさまにもお手伝いしてもらえば、たぶん、リリベルは優勝を狙えるはず」
ぶっちゃけると、わたしはクロエさんのこともふくめ、上位エアリアル・レーサーの実力をまったく知らない。リリベル自身が、マーズさんにはこのままだと勝てないと認めているくらいだ。
それでも、リリベルが「何度やってもこいつに負ける気はしない」と言っていたゼファー先輩が優勝候補らしいし、出場者中最速はマーズさんだと考えていいのだろう。
「ありがとう、ペティカさん。個人的な問題なのにこんなことをお願いしてしまって、ごめんなさい」
伏し目がちにそういうクロエさんへ、わたしは首を左右に振る。
「いえ、わたしの友人がえらく速いエアリアル・レーサーなのはたまたまですけど、これもご縁だと思います。出来レースの仕込みのご相談じゃなくてよかったです。……まあ、リリベルにそんな話を持ちかけても、絶対言うこと聞いてくれないんですけどね」
こそこそと裏工作をしろというわけじゃなく、勝てというぶんには、問題ない。




