2—5:異世界(文字どおりの意味じゃなく比喩です)への招待
お皿の上に残ったのがチキンの骨だけとなって、ようやく、みんなの口が第二の機能を働かせるようになってきた。
「今回の優勝候補って、二年のアルドヴェイン=ゼファーなんだよね?」
「でもあいつ、ベルに一度負けてるんでしょ」
「え……そうなの?」
グランプリ・レース決勝の展望についておしゃべりをはじめた三年生ふたり組(たしかハレヴィ先輩とソールズモック先輩)の片割れが、心底おどろいた、という顔になってリリベルのほうへ振り向いた。
ハレヴィ先輩は、リリベルが言い寄ってきた男子生徒に、つき合うための試験として草レースでの勝負を課していることを知らないようだ。
「正直名前は憶えてへんのですが。ゼファーってだれやっけ?」
首をかしげるリリベルへ、ソールズモック先輩が携帯端末をしめす。
エアリアル・レース学生クラスの今シーズンランキング一位、アルドヴェイン=ゼファー選手のご近影は、検索すればすぐ出るだろう。……もっとも、わたしも予選会場で選手カタログもらうまで知らなかったけど。
タブレットをちらと見て、リリベルはさして興味なさそうにうなずく。
「……あー、こいつか。面だけはまあまあやったな。うん、何度やっても、これに負ける気はしまへんわ」
「マジで? となると、ベルがガチで優勝しちゃうってこと?」
「と、言いたいんですが、予選コースは単調やったから勝てたけども、本チャンでもいけるかってなると、ちょいとあやしゅうて。ま、おかみさんから聞いて、あのマーズっての、大したやつなんやなって納得したトコですわ」
予選会場のときと同じく、マーズさんについて語るリリベルはちょっと楽しそうだ。自分より速い男を探しに都までやってきた「地元最速の女」にとって、マーズさんは認めるに足る存在となりつつあるのかもしれない。
「もしかしてベル……マーズって人に惚れた?」
ずばっと訊ねたのはマリンだ。これまで殿がたに対して徹底的に塩対応だったリリベルが、中立よりも好意的な態度になったら、こう訊きたくもなるだろう。
だがリリベルはあっさり首を左右に振った。
「いやべつに。もし決勝でうちがマーズに負けて、向こうから『おまえが欲しい』とか言うてきたりしたら、勝った上でそこまで言うならやぶさかでもないで、ってなるけど」
「……ベルさ、自分より速いか遅いか以外の、男性に対する判断基準ってないの?」
「ないけど。それがどうしたんや?」
『…………』
リリベルは「1+1の答えは2だと思いますか?」と質問されたかのように、微塵の迷いもなく応じた。みんなあきれて、声も出ない。
「なんや、うちにご高説垂れられるほど、あんたさんがたも異性経験ないやろ」
見た目は正統派美少女な上にエアリアルの天才だけど、やっぱり珍獣だな、という空気に反発し、リリベルは半眼で周囲を睥睨した。図星だったか、幾人かは目をそらす。
マリンがぼそりと。
「……ていうか、寮生って交際禁止じゃないの?」
それには、ヌール夫人がはっきりと首を左右に振る。
「門限厳守、外泊厳禁なだけで、自由恋愛を禁止したつもりはないよ」
なるほど。恋愛そのものが禁じられているのは、魔女であるわたしだけらしい。
+++++
翌日——
今日も講義は午前中のみ。
午後の時間をどうすごすか。単位のためにチームで、あるいは純粋に観戦目的でエアリアル・レースの会場へ向かう人たちがいるいっぽう、穴埋めはレポート提出ですませることにして、時短期間の午後を遊んですごそうという人たちもいる。魔術師範学校の生徒たちの動きは半々って感じだ。
わたし自身はといえば、Dグループの予選を直接会場まで見に行くほどのことはないかな、と思った。リリベルを脅かすような無名の新鋭レーサーが出てきたら、すぐニューストピックになるだろうし。
いちおうはチーム・リリベルのサポートスタッフであるわけで、グランプリ・レース本戦にそなえてマーズさん対策を練ろうと考えていたのだけど、そのために話を聞こうと目星をつけていた相手が、意外なことに向こうからわたしのほうへやってきた。
遠目からでも存在感のある、長い翆色の髪と、精彩あふれるエメラルドのような双眸を輝かせている美人さん。
「しばらくね、ペティ。あなた、すごいお友だちがいたのね」
どうやら彼女も、リリベルの予選レースを生中継かダイジェストで見ていたらしい。わたしも画面の端っこには映っていただろう。
「こんにちは、アナさま。……ちょうど、こちらからご相談したいことがあったんですけど。もしかして、予測できてましたか?」
「わたくしに先見術の力はないし、あなたとちがって心も読めないわよ」
訊ねてみると、アナスタシア・ローゼリエ=ロン・ドゥレーゼン嬢はあでやかに笑う。
アルケイナ連邦政府執政院首班であるロン・ドゥレーゼンのご息女であり、本来であればわたしのような田舎者では、言葉をかわすどころか影を踏むことさえ許されない雲上びとだ。
なぜそのような階層ちがいのお人と接点があるのかといえば、わたしが師範学校に入ってからまだ日も浅かった二ヶ月ほど前のこと、アナスタシア嬢からちょっとした相談を持ちかけられたのだ。わたしが心理術者、つまり魔女であることを見込んでの内密な話だった。
事件は結局、アナスタシア嬢の懸念とも、わたしの予想ともまったく異なる展開になったのだが、それでもいちおう、わたしは探偵役として依頼に応えることができた。
以来とくに連絡することも、顔を合わせて立ち話することもなかったけど、わたしからすれば、入学早々に望外の有力なコネをゲットしていたのだ。
ちなみにアナスタシア嬢の持ち魔法は理論術であり、情報の分析や計画立案に長けている。リリベルとマーズさんのレースを見て、このままでは勝てないと気を揉んだわたしから、グランプリ・レースでのペース配分やしかけどころについて相談されると予測していたのかと思ったが、それはちがったみたい。
「アナさまのほうからきていただけて、こちらとしては話が早くて助かったんですけど」
「ペティがわたくしに頼みたいことは、そうね、いまになって見当がついたわ。それは引き受けて構わない。……その代わり、といってはなんだけれど、わたくしのお願いも聞いてもらえる?」
「なんでしょうか……?」
最初にわたしを探していたときも、調査の術を使わず聞き込みと足でこちらの行動範囲を絞り込んでいたし、アナスタシア嬢はあまり自分の魔法を使っていないらしい。
理論術は、物理的破壊をもたらしたりする魔法ではない上に各種インフラの基盤となっているので、都市圏内でも制限されていない例外的な系統なのだが。
あまり魔法に頼るな、というのがドゥレーゼン家の教育方針だったりするのかも。
声の届く範囲には、わたしたちふたりのほかにだれもいなかったけど、アナスタシア嬢は半歩わたしに近寄って心もち声をひそめた。
「じつはね、あなたにまた手伝ってほしいことがあって」
「……サンディアル殿下となにかあったんですか?」
名家の娘さんであるアナスタシア嬢には、当然というべきか、婚約者がいる。以前にわたしが受けた依頼は、彼女の婚約者でありモーンスタイン公国の継承者であるサンディアル殿下にからむことだったが、実際のところは、おふたりの仲に懸念されるような事案は一切なかった。事件は事件で、べつに起きたけど。
いまさら、あたらしい波風が立つとは思えないのだが。
案の定、アナスタシア嬢は首を左右に振る。
「依頼人はわたくしではないの。ただ……あなたのお友だちとは、ちょっと関係があるわね」
「リリベルと、ですか?」
どういうこと……?
今回もまた、わたしはアナスタシア嬢のうしろを素直についていくことになった。
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アナスタシア嬢は、いかにもセレブ御用達ってイメージどおりの、高級地上車を師範学校の正門前に待たせていた。当然のように、三つぞろいを着込んだお抱え運転手つき。
アナスタシア嬢にうながされるまま、運転手さんが開いてくれたドアからおっかなびっくり乗り込むと、ドラゴンハート市の東のほうへと向かっていく。
ドラゴンハート市内の道路は渋滞と無縁だ。交通管制システムが車両の往来を厳格に管理している上に、自家用車を持っている市民はあまりいないのである。税金がめちゃくちゃ高いし、公共交通手段が充実しているので、そこまで必要でもない。
道路上を走っているのは、基本的に郵送物を配達している荷役車だ。フードデリバリーの二輪車なんかもちらほら。
空中も配送に活用されてはいるけど、決められている経路をダイヤどおりに飛ぶ無人浮遊コンテナにかぎられ、フレキシブルに飛びまわる空中配達サービスは認可されていない。厳重な魔術抑制結界によって、脱法モグリの運び屋が飛ぶことは不可能だ。
市外の集配センター間を瞬間移動で転送された荷物は、無人浮遊コンテナで市内各所の配達業者の拠点へと運ばれる。最後の数キロメトラを荷役車が担当し、それぞれのご家庭へ直接届けるという仕組みになっている。
無人コンテナ以外に空を飛んでいるのは、市民の足として通勤通学の主力になっているエア・ゴンドラだけ。飛行術者にとって、首都の空を翔けることのできる唯一の機会が、グランプリ・レースというわけだった。
……信号に引っかかることもなく巡航で40分ほど走って、クルマが停まったのは、かなり背の高い建物の前、豪華な造りのエントランスポーチ。
一流ホテルかな? と思ったけど、そのわりには人気がない。グランプリ・レース期間中のいまは、どこのホテルも観戦にやってきた滞在客でいっぱいのはずだ。
運転手さんがドアを外から開いてくれて、降車したアナスタシア嬢は迷いない足取りで建物の中へ入っていく。なんとなく場違いな気がして、わたしも背中を丸めながらついていくと、守衛さんとおぼしき旧王朝時代の衛兵風装束をまとった男性が、壁際から動いてこちらの前方に立った。
「なにか?」
わずかに非礼を咎める響きをふくませ、アナスタシア嬢が訊ねる。
「ロン・ドゥレーゼンさまのことは、重々存じあげております。そちらのかたは?」
「見てのとおり、彼女も魔術師範学校生よ」
「失礼ですが、学生証を拝見させていただけませんか?」
「あ、はい」
わたしが素直に学生証を出すと、守衛さんは手には取らず表紙の写影と名前を一瞥する。
「ペティカ=クルトさまですね。魔術師範学校に在籍されていることを確認しました、お通りください」
うやうやしく行く手を開ける守衛さんに、アナスタシア嬢が注文を追加した。
「つぎからは彼女も顔パスで通してちょうだい」
「承知いたしました。引継ぎを回しておきます」
いえ……もうこないと思います。ていうか、今回かぎりにしたいですね、こういうセレブ専用空間に立ち入るのは。
ここがどういう施設なのかは、ようやくわかった気がする。24時間常駐警備つきの、高級タワマンだ。
アナスタシア嬢がここに住んでいるというわけではなく、依頼人のお宅だろう。
やっぱり見た目では高級ホテルと区別のつかない廊下を進んで、昇降機で66階へ。コンドミニアム最上階住みのお知り合いがいるとか、さすが首相令嬢。
66階には6601号室と6602号室の二戸しかなかった。わたしたちが昇降機から出ると同時に、6601号室のほうの門が開く。
建物の中なのに門があって、ちょっとした庭まであって、玄関ドアはさらにそのさきって……セレブの世界は怖いなあ。いったいおいくらするんだろ?
アナスタシア嬢がドアの前に立つと、インターコムから女性の声が響いた。
「開いてるわ、入って」
このお話における「コンドミニアム」とは、日本式の滞在型宿泊施設のことではなく、欧米式の高級分譲集合住宅を指しています。




