最後の切り札
午後七時半過ぎの「カレス」は、ファミリー客や会社員などの客で賑わっていた。
陰鬱な気分のぼくからすれば、この日常風景は違和感でしかない。
「こっちこっち、翔くん」
後ろから、ぼくを呼ぶ声がする。
振り返ると、それは遙香さんだった。
彼女は二人席に座っていて、テーブルにはイチゴのショートケーキの皿がちょこんとあるほか、アイスティーのグラスが置かれていた。
ぼくは店員に断ってから、遙香さんが座る二人席に移動し、「よいしょ」と椅子に深く腰かけた。
「ドリンクバーは?」
そのように遙香さんは勧めてくれたが、ぼくは首を横に振った。
「いや、いらない。それより、話って何?」
と、そのとき、若い男性の店員が現れた。
その手にはイチゴのショートケーキがあり……って、あれ?
このケーキ、ぼくの分だろうか。
「お待たせいたしました、イチゴのショートケーキです」
「はい、わたしのです」
あれれ?
このケーキはぼくの分かと思いきや、遙香さんは自分の分だと言い切った。
ということは……そうか、遙香さんはケーキを二個注文したのか。
店員は遙香さんの前に二個目のケーキを置くと、立ち去っていった。
店員がいなくなったあと、ずばりぼくは遙香さんに訊いてみた。
「ケーキ、二個も頼んだのか? なあ、太るぞ」
そんなデリカシーのないぼくを、遙香さんはギロリとにらんだ。
そして彼女は、
「六個、だよ。今食べているのが五個目で、今度のは六個目。
太る? 大いに結構よ」
と“五個目”のケーキをフォークで切り分けて刺し、大きな口でパクリと食べた。
ケーキを六個も食べる、だって?
無謀だ。
一体、なぜそんなチャレンジを?
だが、今のぼくになら分かる。
「……夏奈さんの件で、ついにヤケを起こしたのか?」
そうぼくが訊くと、遙香さんは怒ったような口調で「そうだけど、それの何がいけないのよ」と言い、またもやぼくをにらみつけた。
やれやれ、とぼくは腕組みをし、それから遙香さんをなだめた。
だが、それは逆効果であり、遙香さんはぶち切れた。
かと思えば、彼女は泣き出した。
が、すぐに遙香さんは泣きやみ、今度は笑い出す。
で、最後にはケーキを早食いするありさま。
遙香さんはケーキをすべて平らげたあと、ようやく話を始めた。
「このとおり、わたしはもうダメみたい。
これ以上、夏奈のことを考えていたら、本気で頭がおかしくなりそうで……うん、ダメみたい。
わたしはダメだけど、翔くんは夏奈を救う手立て、何か思い付いた?」
一瞬、ぼくは言葉に詰まった。
けれど、
「いや、思い付かない……思い付かないんだよ、遙香さん」
と、ぼくはうなだれた。
そのあいだにも、遙香さんはブツブツと何かをつぶやいていたが、ぼくの耳には入ってこなかった。
絶対に夏奈さんを救う手立てがあるはずだ。
でも、それが何かは分からない。
もしかしたら、それは永遠に分からないのではないだろうか、とぼくは弱気になった。
そうしてぼくらは夏奈さんを永遠に忘れ、この世界から彼女は消えていく。
そんなのは嫌だ。
絶対に嫌なんだ。
「……なあ、確実に起こる結末を変えるには、やっぱり不確実なキセキの力が必要だよな。
キセキを起こす方法といえば、何がある? 全部言ってみて」
ぼくは返事を期待せず、遙香さんに訊いてみた。
が、思いのほか、遙香さんは質問に答えてくれた。
「えっと、神頼みだとか、魔法だとか、七夕の短冊だとか……あ、あと流れ星とかどうかな?」
神頼みや魔法、七夕の短冊や流れ星。
…………。
待てよ。
流れ星?
「あれ、翔くんは“流れ星に願い事を三回唱えると、その願いがかなう”っていう噂、知らないの?
けっこう有名な噂だよ」
「ああ、それなら知っているよ。でもそれって、ほとんど実現が不可能な話だろう?
だって、流れ星なんて一秒も経たないうちに消えてしまうじゃないか」
「うん、そこだよね。この噂ってさ、“大量の流れ星が観測できないと絶対に無理”だもの」
「……つまり、この噂は“大量の流れ星が観測”できれば、実現が可能な話なんだよな」
「そういうことになるね」
だとしたら。
だとしたら、この噂は実現可能だ。
大いに実現可能だ。
興奮のあまり、ぼくは遙香さんの手を握った。
「ペルセウス座流星群だよ、遙香さん。ペルセウス座流星群だ!」
数秒の沈黙。
その沈黙は遙香さんの大声、「それだよ、翔くん!」で破られた。
「確か、今年のペルセウス座流星群が一番観測できる日って、八月十二日の夜から十三日の明け方までだよね。
タイムリミットは……うん、ギリギリ観測できる、と思う。
流星数、観測条件、ともにばっちり。
しかも、今年のペルセウス座流星群は大出現以上の観測になるらしいからね。流星雨、だっけ?
いくら流星雨でも、観測する場所が悪いと、色々よくないよね。
あ、だったら、奈蔵川河川敷とかどう?
もちろん、ちゃんと準備してから行くの。それだったら、大丈夫だよね。
でね、それだけたくさんの流れ星が観測できるとなると、わたしたちの願い事もかなえられるよ、翔くん!」
ぼくらは手を取り合って喜んだ。
一方で、ぼくは恐れていた。
なぜなら、夏奈さんが視たという未来そっくりそのままになってしまうからだ。
それでは意味がない――。
けれど、ぼくは遙香さんに何も言わなかった。
キセキを起こすということは、ずばりリスクを伴うということ。
ならば、やるしかなかった。
「ぼくらの夏を流星群に賭けてみよう。ぼくらの夏を流星群に捧げてみよう。
キセキを信じ、キセキを……起こそう」
ぼくらはうんうんとうなずき合い、それから「カレス」を出た。
きょうのことを仲間たちにも知らせてやるため、ぼくは徹たちにテレビ電話で報告し、遙香さんは夏奈さんに直接報告した。
仲間の徹たちは、ぼくと遙香さんが思い付いた最後の切り札を支持してくれた。
あとで遙香さんに聞いたが、この最後の切り札を聞いた夏奈さんは、泣きながら賛同したという。
気付けば、ぼくらの夏は終わりに近付いていた。




