ささやかな乾杯
……そういえば。
広縁にある椅子で居眠りをしていたぼくは、不意にあることを思い出し、覚醒した。
が、広縁に降り注ぐ日の光がまぶしくて、たまらずぼくは目をつむった。
固く目を閉じた状態で、ぼくは思考を巡らせる。
そういえば、そうだった。
ぼくは姉からの問い――「青春とは何か?」という問いに、見事答えなくてはいけないのだ。
無論、姉が納得し、満足するような答えを。
あのとき、ぼくは姉に大見得を切ったが、実は「青春とは何か?」という問いに答えることは容易ではなく、鉄棒下手が逆上がりをすることのように難しいことなのだ。
それをぼくは「見事、問いに答えてみせよう」といかにも自信ありげに言ってしまった。
さて、どうする。
どうしよう。
ぼくが目を閉じたまま、「うーん」とうなっていると、すぐそばから徹の声が聞こえてきた。
「やっ、これはいかん。翔の奴、悪夢にうなされているな。
ううむ、叩き起こすべきか、このまま寝かせておくべきか……。
いや待てよ、叩き起こすのはよくないな。だったら、優しく耳元でささやいてやるのがベストか。
この灰原徹、少しは大人にならなければ」
やめろ。
お前は大人になるな、徹。
吐き気がする。
「む、起きたか、翔。お前、うなされていたぞ。大丈夫か?」
心配そうにこちらを見る徹。
実はすっかり起きていただけに、なんとも気まずい。
「悪い、徹。正直、お前が大人になるのは吐き気がするし、ぼくはそんなお前を少しも見たくはないんだ。
遙香さんならともかく、お前は大人になるな。どうか子どものままでいてくれ、徹。頼んだぞ」
ぼくが弱った声で頼み込むと、しばらく徹は仏頂面で黙り込んだかと思えば、いきなり吹き出した。
「このバカめ。いや、愚か者め。
目覚めているのなら、起きていると言えばよかろうに。まったく、人が悪い」
不機嫌そうな言葉とは裏腹に、徹はすこぶる機嫌がよく、上機嫌な彼は何度もこちらの肩を叩いた。
ぼくは苦笑いを浮かべることしかできなかった。
徹は気恥ずかしそうに頭をかき、それからこほんと咳払いをした。
「ところで、翔よ。喉が渇かないか?
今しがた、キンキンに冷えた飲み物を自動販売機で買ってきたところだ。
どうだ、おれと一緒に飲まないか」
そう言って、徹は部屋の冷蔵庫から二本のペットボトル飲料を取り出した。
喉が渇いていたぼくは「飲もう飲もう」と徹の提案に賛成し、何を飲むか、徹と話し合った。
話し合った結果、ぼくはストレートティーを選び、徹はレモンティーを選んだ。
お互い、広縁の椅子に腰かけ、ペットボトルで乾杯した。
「いただきます」
ゴクゴク、ゴックン……。
「くぅ、キンキンに冷えてやがる」
野獣のごとく、ぼくが凶暴に笑うと、それがあまりに面白かったのか、徹はレモンティーを噴き出してしまった。
「馬鹿者、おかしな顔をするんじゃない。
見ろ、テーブルが汚れてしまったではないか。お前のせいだぞ、翔」
ぼくのせいだと言っておきながら、徹は本気で怒ってはいなく、どころか愉快そうにニコニコと笑っていた。
ぼくはどう反応していいか分からず、とりあえず首をすくめることにした。
徹は何も言わずに、ハンカチでテーブルを拭く。
やがて、ぼくは気付いた。
「あれ、師匠は……龍司さんはどこだ?」
徹は少し考える素振りを見せてから、ぼくの質問に答えた。
「龍司さんなら温泉に入ると言って、先ほど上機嫌に部屋を出て行った。それが十五分くらい前のことだ」
ぼくは考える。
龍司さん。
温泉。
それはつまり――。
龍司さん+温泉=女湯のぞき。
これはまずい。
「……まさか師匠、女湯をのぞきに行ったんじゃないのか?」
徹の表情が凍り付く。
それに釣られ、ぼくの表情も凍り付く。
気が動転したぼくの脳内では、龍司さんは夜空のお星様となり、キラキラと輝いていた。
おそらく、お星様になった彼は満面の笑顔だ。
目的を達成できているから、である。
だからこんなにも、彼はキラキラと輝いているのだ。
先にショックから立ち直ったのは、我らが徹だった。
「今は龍司さんを信じるしかあるまい。そうだろう、翔?」
「……ああ、そうだな。ぼくらの師匠をお星様になんかさせるもんか。師匠を信じるぞ、徹」
ぼくらはうなずき合うと、気まずげに飲み物をチビチビと飲み始める。
その後、ぼくは徹とともに温泉に入ったのだが、そのときに上機嫌な龍司さんと遭遇し、ぼくらは心の底から安堵した。
そんなこんなで、すっかりぼくは姉からの問いを忘れてしまった。




