美楽湖ホテルからの景色
この美楽湖ホテルの部屋は、リラックス効果のある暖色系の照明を採用しているのだろう。
一二〇七号室に入ったと同時、ぼくはオレンジ系の明かりに照らされ、一気に心が解きほぐされるのを感じた。
スリッパに履き替え、ぼくが龍司さんとともに部屋の奥に入ると、窓際にいた徹がこちらを振り返った。
その彼の目は、子どものようにキラキラとしていた。
「見てください、この絶景……!」
徹はぼくらのために場所を空けると、自分はこの景色を目に焼き付けると言わんばかり、部屋から眼下に見ることができる美楽湖周辺の景色を、再び眺め始めた。
ぼくは……ぼくは。
熱い涙を流していた。
多くの山に囲まれることで、眼下に広がる美楽湖はその姿を本領発揮していた。
遠くの山がかすめばかすむほど、湖は青く輝き、さらには自然の息吹を身近に感じることができた。
それに夏の晴天が合わされば、もはやそれは天下無敵だった。
ここで眺めることができる夜景は、その倍の倍、人の心を動かすことができる眺めなのだろう。
部屋自体はシンプルで少し狭かったが、この部屋から一望できる景色は一流……いや、それ以上だった。
この壮大な景色を見た瞬間、ぼくはこれまでの苦労や努力が報われた気がした。
さらには心が浄化されるような気がした。
いや、気がしたのではない。
実際、この世にもすばらしい景色を見たとき、ぼくはこれまでのぼくの苦労や努力が報われ、同時に心が浄化されたのだ。
生涯、ぼくはこの美楽湖ホテルからの景色を忘れることはないだろう。
「……今頃、梓たちはどうしているだろうな。
きっとこのとんでもない景色を見て、腰でも抜かしているに違いないぜ。
ちくしょうめ、神聖で淫らな女部屋の香りでも嗅ぎにいきてえな、まったくよぅ」
ロマンの欠片もない、下品な龍司さんの発言を聞いて、ぼくと徹は笑い出した。
ぼくらの笑いに釣られるようにして、龍司さんも笑い出す。
そのとき、ぼくのスマートフォンからメールの着信音が聞こえた。
メールが届いたら、すぐその場で読む、という習慣が身に付いていたぼくは、すぐにスマートフォンを操作した。
メールの送信者は、なんと遙香さんだった。
「やっほー、翔く……やっほー、翔くん。
大事なことだから、二回言いました。
それはともかく、きれいな眺めだね。
わたしは卒倒しかけました。
ウソです。
そんな嘘つきのわたしたちだけど、さらにわたしたちはウソをつくことになりました。
あのさ、翔くん……わたしたちの“ウソ”、龍司さんと梓さんに打ち明けていないでしょう?
いや、分かる! だから、黙っていて。
シャラップ、ミスター翔。
打ち明けていないのは、さっきの梓さんからのセクハラで分かったから、もうそれについては言わなくていいの。
ジャア、ワタシタチハドウスレバイイノ?
無論、ウソをつきます。
現状打破はしません、現状維持でいきます。
けど、これでは龍司さんと梓さんにウソがばれてしまうと思うの。
どうしよう、ってさっきから考えていたんだけど、そしたらね? そしたらわたし、わたしと翔くんの弱点に気付いたんだ。
それがなんだか分かる?
それはね……そう、わたしたちにはイチャイチャが足りないのだよ!
だから、きょうからわたしたち、たっぷりイチャイチャするよ。
もちろん、みんながいる前で。
本当は嫌だけど……でも、仕方がないよね。
天野遙香、十七歳。
大人になります」
「グハッ」
グハッ。
グラッ……。
「大変だ、翔が卒倒したぞ、徹」
その龍司さんの言葉を最後に、ぼくの意識は遠のいていく……。
いや。
いやいや。
いやいやいや。
いやいやいやいや。
いやいやいやいやいや。
いやいやいやいやいやいや。
ゾンビが起き上がるときのように、ぼくは不自然な動きで起き上がった。
「翔……まさかお前、ゾンビになってしまったのか? ああ、おいたわしや……」
そんなわけあるか、徹。
ぼくは徹の脳天にチョップをお見舞いした。
徹は「グハッ」と悲鳴を上げ、その場に倒れ込む。
そのとき、ゾンビ退治とばかり、龍司さんが「天誅!」と叫び、ぼくにデコピンをした。
そのあとは言うまでもなく、ぼくらは騒ぎに騒ぎ、付近の客から苦情でもきたのか、フロントから電話で注意を受けた。
きょうの教訓。
ホテルの部屋に泊まったら、節度のあるはしゃぎ方で楽しもう。
まさにそれだった。




