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涙の流星群  作者: 最上優矢
第四章 忘却の夏

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思い出作りのサポーター

 玄関扉から顔をのぞかせたのは、ボサボサの髪をした無精髭の男性。

 第一印象は、だらしない三十代男性。

 おそらく、彼が滝沢龍司さんなのだろう。


「なんだぁ、海堂。おれは昼寝で忙しいんだよ。邪魔をすんな」


 吊り目の龍司さんは、さらに目尻を吊り上げ、海堂さん、ぼくの順ににらみつける。


 ちなみに言うと、女性二人は龍司さんの姿を見るなり、小さく悲鳴を上げ、彼から見えない場所に移動してしまったので、実質ぼくと海堂さんが龍司さんとドア越しで対面していた。


 平日の午前十時過ぎ。

 だというのに、龍司さんは家にいて、昼寝をしていたという。


 だらしない、としか言いようがなかった。

 夜勤という可能性もあるが、少なくとも、ぼくは海堂さんから龍司さんが仕事をしているという情報は一切聞かなかった。


 それ以前に、龍司さんは風呂に入っていないため、見た目以上に臭った。

 ぼくも男なので、無精髭はまだ分かる。

 が、不潔なのは分からないし、とても残念だ。


 どれくらいのあいだ、龍司さんは風呂に入っていないのか知らないが、彼の前では生ゴミもゴミとして認識されないのではないだろうか。

 そう、一番の生ゴミは龍司さんだ。

 彼は日本を代表とする生ゴミだ。


 そのようにぼくが断言してしまうほど、龍司さんはとにかく臭った。


 しかし、海堂さんは目の前のしゃべる生ゴミをゴミとして認識していないのか、嫌な顔ひとつせず、龍司さんに笑顔で言葉を返した。


「いやいや、龍司さん。人間というものは日中活動するようにできているんです。

 昼寝で忙しいとは言わず、どうかこのまま起き続けてくださいよ」


 この優しさしかない海堂さんの言葉は、生ゴミである龍司さんを付け上がらせた。


「うるせえぞ、海堂。おれにとってはな、朝と昼は寝る時間で、夕方と夜こそが人間の活動時間なんだ。

 人間は日中云々とか、そんなうんちく、誰も聞きたかねえよ。そんなうんちく、生ゴミに捨てちまいな」


 もっとも、お前が生ゴミだけどな。


 ぼくはせせら笑った。

 しかし、それがいけなかった。


 次の瞬間、ぼくは龍司さんから凝視されていた。

 これは一番いけないやつ、そうぼくは悟った。

 案の定、龍司さんはぼくに向かって「お前、今なんで笑った?」と凄んできた。

 もちろん、ぼくは恐怖で何も答えられなかった。


 今思い出したことだが、世の中には「君子は危うきに近寄らず」ということわざがあるそうだ。

 そのことわざだが、それはこれからの自分を戒めることができる唯一のことわざだった。

 というか、そもそもの話、ぼくは君子ではなかった。

 小人しょうじんだ。


 だがしかし、神はぼくを見捨てなかった。

 これは龍司さんの“ありがたいお言葉”だ。


「お前、おれの『そんなうんちく、生ゴミに捨てちまいな』という言い回しが面白かったんだろう?

 けっ、おれには分かるぜ。心から、お前がおれの言い回しに惚れちまったってことをな」


 こういうとき、よくバカは鼻を高くするのだが、ご多分に漏れず、この目の前の不潔バカは鼻を高くした。


 しばらくのあいだ、ぼくはポカーンと間抜け顔で口を開けていたが、なんとかぼくは「ええ、ええ! そうです。はっきり言いますと、あなたの言い回しは誰よりも品があり、どの言い回しよりもしゃれていました。あなたのこと、師匠と呼ばせてください」と最後には深々と頭を下げた。


 今のぼくなら、どんな嫌な奴にだって、神対応を取ることができるだろう。


 またもや、ぼくは新たな処世術を身に付けてしまったようだ。

 正直言って、つらい。

 なんて人の世は残酷なのだろう。

 つらい世の中だ。

 つらすぎる。

 つらいぜ、師匠。

 くたばれ、師匠。


 案の定、単純でバカな龍司さんはぼくの言葉に感動したらしく、「そうだろう、そうだろう」と何度もうなずいた。

 龍司さんは何度も何度もうなずいたあと、ぼくに肝心の質問をした。


「お前、名前は?」


 こんなバカにこちらの名前を教えてもいいのだろうか、と不安を感じたが、すぐにぼくは龍司さんに自分の名前を教えていた。


 即答。


「大浦翔です、師匠」

「翔、翔……翔か」


 龍司さんは大きくうなずくと、

「立ち話はバカのすることだ。まっ、中に入ってくれや」

 と強引にぼくを土間に引きずり込んだ。


 見知らぬ家の土間。

 怖い、怖い、怖い……!


 このときぼくは、おっかない大人に拉致される子どもの気持ちがどういったものか、身をもって知ってしまった。

 一言で言えば、とんでもなく怖かった。

 もう少し言えば、もう何がなんだか分からない。


 完全に玄関扉が閉められる直前、海堂さんは自分の靴をドアストッパーのようにギリギリのところで小さく挟み込み、そのまま彼はドアを全開し、自分も土間に入った。

 形はどうであれ、こうしてぼくと海堂さんは龍司さんの家の中に入ることができた。


 一方の龍司さんは驚いたように目を丸くし、

「なんだ、お前もおれの家に入るのか」

 と海堂さんをいぶかしんだ。


 海堂さんは澄まし顔で「ええ。なんと言っても、翔くんは未成年ですからね。ぼくは彼を守る義務があります。そしてそれは龍司さんを守ることにもつながりますので」と言い、ニカッと笑った。


「まっ、それもそうだな」


 何がおかしいのだろう、龍司さんは豪快に笑うと、ぼくの背中をこれまた豪快に何度も叩いた。

 龍司さんの豪快な言動に釣られたのか、海堂さんも大笑いし、ぼくの背中をやはり豪快に何度も叩く。


 ぼく? 全然笑えないし、なんなら背中がジンジンとしてきた。


 離れ離れになってしまった遙香さんと夏奈さんが、非常に恋しい。


 とまあ、このように始終ハチャメチャだったぼくらだが、ちゃんと話し合いは行われた。

 事情を知った龍司さんは、ぼくらの思い出作りのサポーターになってくれることを約束し、つまりはこれに承諾してくれた。


 このとき海堂さんは、ぼくらが夏奈さんにウソをついていることを知っているみたいだったが、それを龍司さんに言ったりすることはなかった。

 ぼくらが夏奈さんのことを想っていることを、海堂さんは龍司さんに始終訴えていて、後ろめたくなったぼくは自分を恥じた。


 だが、この罪悪感はぼくらを突き動かす。


 そんなぼくらを見守る太陽は、忘却の夏から思い出の夏へと変えることができる力を持っていた。


 こうしてぼくらは忘却の夏に背を向け、思い出の夏に向かって走り出したのだった。

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