救世主からの返信
二年一組の教室を出てから少しして、三階から一階までの階段を下りながら、ぼくは徹に訊いてみた。
「なあ、徹。遙香さんや環奈や茜、それに詩織さんや勇人や亜門はどうした?」
この範囲の広い質問に対し、徹は嫌な顔ひとつせず、すべて答えてくれた。
「どうやらお前たちとは入れ違いになってしまったようだが、ともかく全員、正門のほうでお前たち二人のことを待っている。ただし、亜門は除くがな。
なぜだか知らんが、すでに亜門は夏奈のことを忘れているようだった。
どういう原理で夏奈のことを忘れるのかは知らんが、なんともふざけた話だ。
これらは夏奈が死んだのに死にきれなかったことと関係があるに違いない。が、実にしゃらくさい真似をする。ふざけやがって」
言葉に出しても怒りが収まらないのか、それとも言葉に出したことで怒りが再燃したのか知らないが、徹は穏やかな顔から一転、不穏そうに目付きが鋭くなる。
ちなみにだが、徹たちは夏奈さんの身に起こった幻想事件のことを知らない。
つまり、夏奈さんのことを周囲の人々が忘却する原理はおろか、夏奈さんが時空から抹殺されてしまう結末さえも知らないのだ。
今こそ、仲間たちに「悲嘆と忘却の死者蘇生事件」のことを教えるべきだろうか……?
自然と、ぼくと夏奈さんは互いに目配せすることになった。
…………。
こくり。
夏奈さんとの目配せの結果、こちらの情報を仲間たちに開示することが決定した。
あとはタイミングを見計らって、仲間たちに状況を伝えるだけだ。
ぼくら三人は昇降口で靴を履き替え、仲間たちが待つ正門のあたりに向かった。
待ち合わせ場所では、遙香さんたちが神妙な顔付きで、ぼくらを迎えてくれた。
ぼく、遙香さん、夏奈さん、徹、環奈、茜、詩織さん、勇人。
訳あって、こうしてぼくらは合流を果たした。
お互い、何かを言いたそうで何かを聞きたそうな表情をしていた。
けれど、そのような雰囲気に待ったをかけるように、徹は「お互い、言いたいことや聞きたいこともあるようだが、正門近くでそれらをするにはあまりにロマンがなさすぎる。お前たち、『カレス』に行くぞ」とぼくらに指示を出した。
ぼくらは奈蔵高等学校をあとにし、いつもの話し合いの場所であるカフェレストラン「カレス」を目指した。
日射しの中、ぼくらは十五分ほど、スクールバッグを肩にかけながら歩き、汗まみれの状態で「カレス」の店内にそそくさと入った。
「カレス」では、シニア世代の客がモーニングを余裕のある食べ方で、うまそうに口に運んでいた。
そんなシニア世代の客の至福の時間を奪わないため、ぼくらは彼らから一番離れた席を選んだ。
最初の口火を切って発言したのは、このぼくだ。
「先に訊くけど、そっちでは何があったんだ?
入れ違いになっていた、とか徹は言っていたけど、その前はどこにいたのさ」
このぼくの質問に答えたのは、やはりリーダーの徹だった。
「それらは真っ先に教えてやるべきだったな、すまんすまん。
――お前たちと入れ違いになる前、例によっておれたちは屋上で作戦会議をしていたのだ。
無論、いつでも早退できるよう、作戦会議中、おれたちはスクールバッグを足下に置いてな。
それもこれもすべて、遙香のおかげだ。
いち早く、遙香が周囲の異変に気付いてな。
それを冷静に受け止めた遙香は、これまたいち早く、おれたちを呼び寄せることに成功した。
それにより、おれたちは慌ただしく屋上に向かい、短時間で対策を講じることができたというわけだ」
徹は言い終えると、コーヒーカップを持ち上げ、優雅にホットコーヒーをすすった。
そうか、そんなことがあったのか。
「ナイス、遙香さん」
ぼくは親指を立て、憂い顔でいる遙香さんを元気付けるとともに、先ほどの彼女の適切な判断を褒めた。
遙香さんはぎこちなくほほ笑み、「見るからにみんなが夏奈のことを忘れていたからね」と夏奈さんのつらさが分かるとでも言いたげに、そのままうなだれた。
ぼくとしたことが、かえって遙香さんをへこませてしまったらしい。
反省。
「あのう、それで翔さんたちのほうはどうだったんですかね。何かありました?」
情けなさそうに言う勇人に苛立ったのか、いきなり環奈が「うざったらしい声を上げないで、不快よ」と勇人をばっさり斬った。
ひい、と勇人はこれまた情けなさそうに悲鳴を上げ、それから彼は口にチャックをするような動作をしてみせた。
やれやれ、なんて賑やかな仲間たちなのだろうか。
「今の勇人の声がうざったらしいかはさておき、次はぼくと夏奈さんの状況とかを伝えたいと思うんだけど……みんな、どうか怒らないでほしいんだ。
これは隠し事に当たるのかもしれないけど、どうか怒らないで。頼む」
なんとなく情けない声を上げづらい雰囲気の中、ぼくは勇人以上に情けない声を上げ、ぼくと夏奈さんの身に起こったことを仲間たちに説明した。
それぞれ、仲間たちは開いた口がふさがらないみたいで、彼らは何度もぼくの話に横槍を入れてきた。
その都度、ぼくは横槍を入れてきた者の疑問に答えてやらなくてはいけず、彼、または彼らを納得させ、安心させてやらなければいけなかった。
それほどまで、幻想事件というものは誰にとっても信じがたいものだったのだ。
すべてを知るぼくや夏奈さんとて、いざ幻想事件が起これば、冷静に対処できなかったほどなのだから、そればかりは仕方がないと諦めるほかない。
何はともあれ、今は根気よく仲間たちに説明し、仲間たちの動揺を静めてやるのが一番だ。
というか、ぼくにはそれしかできなかった。
すべての説明を終え、ぼくが黙り込むと、久しぶりに静けさが戻ってきた。
自分の声に酔いそうになったぼくは、その静けさを酔い止め薬として服用した。
徐々に酔い止め薬の効果は現れ、放心状態に陥っていた仲間たちが元気や現実感を取り戻す頃には、ぼくは完全復活を果たしていた。
「……では時が経つにつれて、夏奈さんはこの世界の人間から忘れ去られるだけじゃなく、やがてこの世界から“消えてしまう”運命なのですか?
そ、そんなこと、このわたくしが許しません!」
ドン、と詩織さんはテーブルを強めに拳で叩き、涙目ならではの迫力で、宙をにらんだ。
「気に入らん。実に気に食わん」
徹は吐き捨てるように言い、それからコーヒーにスティックシュガーを雪崩のように落とし込んだ。
「許さないとか、気に入らないとか、気に食わないとかじゃなくて、これはあまりにも夏奈ちゃんがかわいそうだよ。
そんな結末、わたしは嫌だ。絶対に嫌だよ……!」
茜は手で顔を覆い、うめき声を上げたが、それもすぐにやんだ。
再び、ぼくらのいる場所だけが静まり返る。
今度の静けさは酔い止め薬ではなく、毒薬そのもの。
そう、これは毒薬だ。
その沈黙を破ったのは、ほかでもない、夏奈さんだった。
「でもさ、なんか安心した。
なんだかんだ言って、みんなわたしのこと、ちゃんと考えてくれてんじゃん。
わたし、もっとみんなから嫌われているんじゃないかって、ずっと思っていたし、それでずっと悶々としていたから、なんだか拍子抜けしちゃったなぁ。てへぺろ」
ちょっとばかり、こちらが反応に困るような言葉だったけれど、とりあえず夏奈さんの誤解が解けたようなので(?)、仲間のぼくらとしては何よりだ。
そのとき、ようやく遙香さんがニコリとほほ笑んだ。
「みんな、夏奈のことを一番に考えているんだからね。そこのところ、勘違いしてはダメだよ」
「はいはい、分かっていますよー」
かったるそうに、けれど気恥ずかしそうに、夏奈さんは遙香さんに言葉を返した。
しかし、
「で、いつになったら、みんなはわたしにウソをついていることを認めるのかな? うん?」
と夏奈さんは挑発的に笑い、挑発的な言葉を口にした。
あっという間に、場が凍った。
台無しである。
気まずい雰囲気なのを我慢して、こほんとぼくは咳払いをし、「それはともかく」と一時的に手を挙げた。
「きっと、きっと海堂さんはぼくらを助けてくれるはずなんだ。
確かに、それは希望的観測なのかもしれない。でも、ぼくらはそれにすがるしかないんだ。
藁にもすがる思いではないけど、それほどまでにぼくらは追い詰められている。
そんなぼくらを救う存在がいても、おかしくはない。いや、そうでなければ、おかしいんだ。
この世界がおかしい。この世界が狂っている。
大げさかもしれないけど、ここまで世界が狂っているなんて、ぼくは思ってもみなかった。
ここまで世界がぼくらを嫌っているなんて、ぼくは思ってもみなかった。
海堂さんには悪いけど、これでぼくらを救ってくれなかったら、一生ぼくは海堂さんを憎んでしまうと思う。
一生、世界を憎みたがると思う。
たとえ、海堂さんが姉さんの彼氏だとしても、一生ぼくは海堂さんと世界を憎み続けると思うよ。そう、一生ね」
ぼくは不穏な言葉で話を締めくくり、不穏な気分になった自分を落ち着かせるため、ゆっくりと深呼吸をした。
一方、仲間たちは思った以上に落ち着いていて、なんだかぼくは恥ずかしくなった。
そんなぼくのつまらぬ感情を奥に押し遣ったのは、まじめくさった顔の徹の言葉だった。
「して、翔。海堂さんからの返信だが、きょうはメールボックスを確認してみたのか?」
それを聞いたぼくは、思わず「あ」と間抜けな声を出してしまった。
やれやれ、とほとんどの仲間たちがあきれるのが分かり、ぼくは顔を青ざめると同時に、顔を赤らめた。
「って、あれ? てっきり、わたしは翔くんがメールボックスの確認をしたのかと思ったんだけど……ひょっとしてきみ、おバカなの?」
実にこちらの痛いところをつく、夏奈さん。
そのとき、イライラした様子の遙香さんが「顔を青ざめ、顔を赤らめるのもいいけど、まずはメールボックスを確認してみたら? ほら、早く早く」とぼくがすべきことを教え、さらにはそれをするように急かした。
ぼくはスラックスのポケットからスマートフォンを取り出し、通知の確認もせずに、そのままメールボックスを開いた。
すると、一通のメールが目に飛び込んできた。
送信者は……坂上海堂。
ぼくらの救世主からの返信だった。




