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涙の流星群  作者: 最上優矢
第四章 忘却の夏

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成長の夏

 三十分ほど、ぼくと夏奈さんは夏の日射しの餌食になりながら、どこまでも続くかと思われる道を黙々と歩き続けた。

 これが苦痛かと言われたら、実はそうでもない。

 むしろ、この気まずさと罪悪感は心地よいもので、それらは今のぼくにとって必要であり、必然的で必須な感情だった。


 ついでに言うと、夏の日射しはそれらの感情を強化し、束ねる役割があったため、太陽を憎もうにも憎めなかった。

 太陽はぼくらの味方であることに変わりはないが、少々彼は出しゃばりすぎてしまう悪い癖があるようで、それは時にぼくをモヤモヤとさせた。


 モヤモヤといえば、もうすぐ高校の正門に差し掛かろうというとき、こんなことを夏奈さんは言い出した。


「遙香から聞いたけどさ……翔くん、重要な記憶をすぐに忘れてしまう病気を患っているんだって?

 うーん、きみもなかなか大変だよね。それでいて、きみの病気は都合がいいようになっているしさ、なんだか羨ましいな。

 身勝手すぎて、きみをいっそのこと絞め殺したくなっちゃうよ」

「…………」


 こういうとき、ぼくはどう反応すればよかったのだろうか。

 無性にモヤモヤする。


 そのとき、正門前にいた複数の風紀委員(ただし、その中には詩織さんや亜門はいなかった)が、これが我々の生き様とばかり、「おはようございます」とこちらに頭を下げてきた。


 いわゆる、風紀委員会による朝の挨拶運動である。


 ぼくは考えることに夢中で、挨拶ロボットと化した彼らに挨拶を返さなかった。

 それは夏奈さんも同様で、どころか彼女は風紀委員数人を見たとき、なんと彼らを鼻で笑った。


 当然、これらはお咎めなしとはならず、すぐさまぼくらはその場にいた風紀委員長の新田信茂にった・のぶしげ先輩から説教を受けることになった。


 無事、ぼくらは正門から少し離れた場所の花壇に連行。


 信茂先輩は長身でありながら、学生服が似合う美男子だ。

 彼の切れ長の目の下には泣きぼくろがあり、それでにらまれた女子生徒は大げさに胸を押さえ、数日のあいだはもだえるという。


 しかし、目の前の信茂先輩は見るからに不穏なオーラを漂わせていて、違う意味でぼくは胸を押さえたくなった。


 夏奈さんは信茂先輩のことを知っているのか、それとも単に彼の色気にやられたのか、いやにソワソワとしていた。


 やがて夏奈さんは信茂先輩の説教を遮ると、次々と意味不明なことをしゃべった。


「この花壇、きれいですね。きれい……そう、きれいなんですよ。

 わたし、信茂先輩みたいな心がきれいな人間になるのが夢なんです。夢……そう、これは夢なんです。

 だってそう思いません? 離れ離れになったわたしたちが再会するなんて、夢みたいで夢のような夢のある夢なんですから。

 うふふ、この花はなんて言ったかしら。ええと、ええと……そう、花に名前なんて不要なんですの。

 これはわたしたちの再会を祝う花であり、これからのわたしたちを応援する花なんですから、名前など必要ありませんよね。ええ、これは名もなき花です。

 わたしたちの恋も、きっとこの花のようにきれいなものになるに違いありませんわ。

 ですから、信茂先輩。わたしたちにしか作れない花壇を……いえ、わたしたちにしかできない恋愛を、わたしとしてみませんか?」


 夏奈さんの長たらしい告白のような告白に対し、信茂先輩は「ああ、それは無理だ。雑草を花と間違える時点で、おれの伴侶としてふさわしくない。どこの誰か知らないが、諦めてくれ」と真顔で拒否。


 すると夏奈さんは本来の口調に戻り、「あのさ、信茂。わたしのこと、覚えていないの? 大盟だいめい小学校のとき、天野遙香と一緒にいた倉木夏奈のこと、覚えていないの? わたしさ、引っ越す前にあんたの家で告白したじゃん。そしたら、わたしは見事にあんたからフラれたけど……ねえ、本当に覚えていないの?」と信茂先輩に詰め寄る。


 どうやら、信茂先輩は遙香さんや夏奈さんと同じ小学校に通っていたようだ。

 そして、夏奈さんは信茂先輩を好いていたらしい。


 しかし、信茂先輩は首を横に振った。


「大盟小学校の後輩、天野遙香のことはよく知っているが、あんたみたいなお調子者の後輩のことは何ひとつ覚えていないし、知りもしない。悪いが、人違いだろう」


 最初、それを聞いた夏奈さんは怒りを露わにするが、それもすぐになくなり、今度は不安と緊張の表情を浮かべた。


 最初、そんな夏奈さんを見たぼくはきょとんとしていたが、彼女がなぜそのような表情になったのかを想像し、そのおかげで重要なことを思い出した。


 きょうはなんの日か?

 それは“ほとんどの教職員や生徒たちが、夏奈さんのことを記憶から忘却する日”だ。


 ならば、信茂先輩が夏奈さんのことを知らないと言い放ったのも、それが関係しているに違いない。

 ということはつまり、すでにみんなは“夏奈さんのことを忘れている”――?


「あはは……参ったな。分かっていたことだけどさ、何よ、なんだっていうのよ。

 だってさ、わたしは確かにここにいるし、ちゃんと存在しているじゃん。

 こんなの、何かの間違いよ」


 夏奈さんは涙交じりにつぶやくと、一歩二歩とあとずさり、それから昇降口のほうへ走り出してしまった。


 あわててぼくは夏奈さんを追いかけようとしたが、信茂先輩がぼくを呼び止めたため、仕方なくぼくは「なんですか?」と信茂先輩のほうを振り返った。


 信茂先輩はというと、いつにも増して彼はまじめな顔だった。


「どうかあいつを守ってやれ、翔。

 これはお前にしかできないことなんだと、おれは無責任にも思った。

 そして、それはきっと事実なんだと思う。

 漢の役割は乙女を守ることだ。

 お前も漢だよな、翔。だったら、お前にも乙女を守る義務がある。違うか?」


 目が覚めた。

 正気になった。

 それは善が悪に打ち勝った瞬間だった。


 偽善でもいい、偽りの友情でもいい、偽りの愛でもいい。


 夏奈さんを守りたいという想いが本当ならば、どんなことも些細な問題だ。


 ぼくは夏奈さんを守りたい、ぼくは夏奈さんに幸せになってほしい。


 自分の想いにウソをつかなければ、自分の願いにウソをつかなければ――自分にウソをつかなければ、ぼくはぼくのままでいられる。

 いや、ぼくらはぼくらのままでいられる。

 結果、みんなは幸せになれる。


「……そのとおりです、信茂先輩。ぼく、目が覚めました」


 ぼくは信茂先輩に一礼すると、軽くなった心と足で夏奈さんを追いかけた。


 太陽はにんまりと得意げな顔になり、ますます日射しを強めたが、今のぼくはそんなことに構っている場合ではなかった。


 夏奈さんを守るべく、今度こそぼくらの新たな夏と非日常は始まり、ぼくらの成長の夏は動き出した。

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