赤羽彼女
長者原医師は問診表を捲り、眉間にシワを寄せた。
「君は必要ないだろう…」
長者原がぽつりと呟くと、診察室に資料を取りに来ていた松原という看護師は、あの子が来るんですねと言って笑顔を見せる。
どうして嬉しげなんだ。
長者原は鼻歌までし始めた彼女に詰め寄りたい欲求を抑えて、また紙に目を戻した。
ここはとある日本のとある地方自治体のとある総合病院である。
長者原はインターン時代からこの病院に勤めており、まだ30代なのにここではもう古株だ。看護師も同僚も患者も、めまぐるしく入れ替わってしまうから。
変わらないのは、覚えてもらえるのは、彼のように開業に興味のない草食系医師か、患者のドンにまでのし上がった"あの子"ぐらいだ。"あの子"によって引き起こされた災厄を思い出してしまい、長者原は頭を押さえた。
変わらない彼女と変わらない自分は、まだこれからも付き合っていかなければならないのだから!
「長者原先生、大丈夫ですか?」
後ろから心配そうに声がかけられた。長者原が聞き慣れた声である。
「ああ、大丈夫だよ松原く――」
むに。
「おお、ばるばるのほっぺむにむに!」
「……」
「え? シカト?」
「何 処 か ら 入 っ て き た」
窓からですよ長者原先生。
梶原は開け放された診察室の窓を振り返って、よーやるなと呟いた。
「梶原くん!」
「あ、松原さん。こんにちはー」
「涼ちゃん、やっと来てくれたのね」
正面玄関から回り込んで来たらしい松原は、長者原と涼の声が漏れる窓を一瞥し、安堵の表情を浮かべた。
「"やっと"って…?」
「あら。知らないの! やっぱり梶原くんにも伝えておくべきだったわ。涼ちゃんは退院してからも2日に一回は通院することになってたの。全然来ないから、長者原先生もぷんぷん! だったのよ〜」
「ええええええ! あの阿呆! 」
「――しかも君は初診じゃないから問診表を書く必要はない」
「ばるばるとまた新たな気持ちで向き合いたかったの!」
「入院していた時と何ら変わっていないが」
梶原の座るベンチに座った松原はまだぷんぷんしてるわね〜と呟きながら、人懐こい笑顔で問いかけた。
「涼ちゃん、高校ではどう?」
「ここにいた時と全く変わってませんよ」
「うふふ。嬉しいわ〜」
「嬉しいんですか? アレで…」
梶原が後ろの窓を指差して問い詰めるが松原はうんうんと頷くばかりだ。
あの最悪女と関わってこの危機感のなさ。この看護師さんは大丈夫なのか。
「涼ちゃんはこの病院のヒーローよ。前ね、生きる気力を無くしちゃた患者さんがいてね――」
「確かその患者さんの顔に落書きしてめっちゃ怒らせたんですよね」
「自信をなくして謝ってばかりだった患者さんが――」
「確か"ばあさん、これはこの人達の仕事なんだからサービスの向上を求めなさいそして気が向いたら謝らないで感謝しなさい"とか言ったんですよね」
「毎年秋に開催されてるあれも――」
「あ、確かドキッ! 病院一のイケメンはだ〜れだコンテストでしたよね。小六の時に涼が作った伝統です」
「――君は体の状態をすぐ軽く見積もるから毎日来いと…」
「ばるばる、そんな訳はないない」
「小四の時に喘息の発作でチアノーゼ起こすまで無理をしたのは誰だ」
「な、何故それを! てかその時ばるばるまだ私の担当じゃなかったでしょ! 」「前の先生からの引き継ぎの時に概ね聞いている」
「あっちょんぶりけ! ちぇんちぇーひどいのだわさ!」
余談だが中二の時涼に"●ラック・ジャック全巻買って来い。一気にな"と地獄のお使いを命れ…頼まれたのは、勿論梶原である。




