藹々彼女
梶原はかつてなく晴れやかな気分で授業の始まりを待っていた。梶原がどこにいようと何をしていようと問答無用で全てを蹂躙していく涼だが、まだ梶原の平穏が守られている授業があった。
体育である。
喘息持ちの涼は体育の授業は勿論見学。ぱしられることも缶ペンを投げつけられることも傘を刺されることもないのだ。
口笛を吹きたくなるほど浮き立っていた梶原の頭にいきなり体育教師の怒鳴り声が飛び込んだ。
「笹原ー! と川端ー! 目のやり場に困るからー! 体操服に着替えてこいー!」
「体操服とそう大して変わんないですよ」
とう! と掛け声をあげてポーズを決めた涼と川端は
チアガールだった。
体育の時間。整列しているF組一同の前に遅れて現れた見学者の涼と川端はどう見ても、
チアガールだった。
「微塵も似てねーだろーが! 川端、お前もNOと言う勇気を持て!」
「先生ー。私は女の子の服無理矢理脱がすような変態ではありませんー」
「あたしとしてはブルマの方がよかったんですけど〜」
「ほら、椎も超ノリノリです」
梶原はぎゃーぎゃーピーピー騒いでいる三人を見て、気分が曇り空のようにどんよりと沈むのを感じた。
細っこい腕を黄色いノースリーブから露出した涼はばっと顔を手のひらで覆う。今度は泣き落とし作戦に出たようだ。
「私はっ! いつもみんなと一緒に体育に参加すること出来ないからっ! せめてみんなの応援したかっただけなのにぃ」
「あーあ先生女の子泣ーかせた」
同じ年頃の娘がいるせいだろう。梶原は問題児集まるF組担当ヤクザ似の教師なら涼をいさめられるのではと小さな期待を抱いていたのだが、教師も流石にこれには涼に屈服せざるを得なかったようだ。
こうして涼と川端の応援を背に受けながらやっとこさ梶原の待ち望んでいた筈の体育が始まった。
――のだが。
「観晴~。私が応援してあげるんだから、あんたが外野に行かなくて当たり前だよねえ」
「え!? ちょっと待っ」
「当たり前だよねえ」
「そうだね……」
梶原は五郎丸が投げた豪速球を間一髪で避け、時には仲間を盾にして逃げ回ったのだが、案の定涼とのやり取りを耳ざとく聞いていたドS道善にボールを当てられたのだった。
その後、涼にグラウンドの石灰臭い砂を投げつけられ(結構痛い)罵倒された梶原の気分はまさや土砂降りだったのだが、放課後になって小雨にまで盛り返した。新しく入部した一年生の合気道部の後輩に、
「梶原先輩、女の子が呼んでます」
と声をかけられたからだ。
誰だか直ぐに予想がつく"女の子"というフレーズにではなく、"梶原先輩"という部分に彼は嬉しくなった。よく言えば平凡で善良、悪く言えば地味で目立たない梶原は、1年次、先輩に認識してもらえるまでに半年はかかったのだ。しかし今回は記録を大幅に更新して1カ月を切った。
ウキウキしながら武道場の扉の前に行くと、やはり涼が立っていた。
「なんでまだ帰ってないの? すぐ暗くなっちゃうだろ」
「うっさいよ小姑…いや観晴。あんたこそなんでいやらしくにやけてんのさ」
「いや、ちょっと後輩がね」
「ほう。そういえば観晴の後輩凄いね!」
「そうだろ」
「観晴が誰だかわかんないみたいだったから、"一番地味な奴"っつったら一発で当てちゃうんだもん」
梶原の気分はまた土砂降りに落ち込んだ。
「……で、何の用?」
「ああ。観晴に聞かせておきたい話を仕入れてきたの」
涼は血のように赤い夕日を背景にニヤリと口角をあげた。
嫌な予感しかしない。
「私達の通学路で突っ切る公園があるでしょ? そこを真っ暗な時に自 転 車で少 年が通るとね……」
「ちょっと待った。何故そこを強調するんですか涼さんんん」
青い顔をしている梶原を華麗に無視して涼は続ける。
「公園内のトイレの前にね……きれいな女の人がいるんだって……」
「ちょっと止めろよそういう話!!」
「そして少年に手招きしてね……"おいでー"、"おいでー"って言うんだって……」
「ストップ! もう止めてってば!」
「裸で」
「ギャアアア…あ…え……?」
涼は心底楽しそうに笑った。
「童貞狩りだって。気を付けてねチェリーボーイ。じゃ、アデュー」
さっと身を翻して去ってゆく涼を呆然としてたっぷり十秒見送った梶原は我に返って叫ぶのだった。
「この耳年増ァァ!!!」




