E8.再会の足音
「セツさん?」
訝しむようにアヤがこちらを見る。
「顔色、悪いですよ」
「……そうか?」
「そうっすよ。急に固まったし」
ルグまで心配そうに覗き込んできた。
思った以上に動揺が顔へ出ていたらしい。
「大丈夫。昔の知り合いからだ」
「へぇー?」
ランがニヤニヤしながら身を乗り出す。
「“ただの知り合い”でその反応する?」
「……する時はする」
「絶対ワケありじゃん。もしかして元カノとか?」
「ラン、あまり突っ込まない方が――」
「えー、でも気になるし!」
止めようとしたアヤの言葉を遮りながら、ランがぐいっと顔を近付けてくる。
「どういう関係の人?」
「……元相棒だ。三人には関係ない」
出来るだけ平坦に返す。
だが、自分でも分かるくらい声が硬かった。
三人の視線が少しだけ変わる。
茶化すような空気が、ほんの僅かに静まった。
「……まぁ、触れられたくない事くらいありますよね」
空気を読んだのか、アヤが柔らかく言った。
「ラン、謝れよ」
「あはは、ごめんね?」
ルグとランも気まずそうに頭を掻く。
「いや、別に怒ってる訳じゃない」
そんな事を考えている間に、もう一度通知音がなる。点滅するアイコンの右上に、『2』というカウントが増えた。
……読むべきか。
読むべきだろう。
開こうと思うのに、止まったままの手が上手く動かない。
「兄ちゃん」
不意に、店主が気安い調子で声を掛けてきた。
「そういう時は、さっさと開いた方が楽だぜ」
「!」
思わず顔を上げる。
店主は親指を立てながら、ニヤリと笑っていた。
「大体、後回しにして良かった試しなんざ無ぇからな」
その言葉はやけに刺さった。
痛みを誤魔化すように笑いながら、問いかける。
「……経験談ですか?」
「そりゃもう痛いほどな」
苦笑い。だが、豪快に笑う。「ガハハ」と響くその笑い声に、少しだけ勇気を貰う。
「……はぁ」
小さく息を吐く。
逃げたままでは居られない。
ゆっくりと指を動かし、点滅する通知アイコンへ触れる。
半透明のウィンドウが開いた。
『久しぶり、セツ』
『ノノさんから聞いた。帰ってきてるって本当?』
たった二つの短文。それなのに心臓が、嫌になるくらい強く脈打った。
どう返そうと考えた瞬間、また新しいチャットが届く。
『どこにいるの?』
逃げ場を塞ぐみたいなタイミングだった。
「うわ、反応早っ」
横からランが感心したような声を漏らす。
「見えてるのか」
「チラッとね!」
思わずため息が出る。
「覗くなよ!」
「プライバシーですよ!」
「えへへ」
悪びれもなく笑うランに、額を押さえた。
メールの覗き込み防止機能を、オフにしたままなのを忘れていた。
ギルドメンバーにチャットを見せることもあるからと、プライバシー設定を下げたままだった。
だが、そんなことは後回しだ。
余裕が無い。
ウィンドウの中では、カーソルが点滅している。
数秒迷った末、俺は短く打ち込む。
『玄武通りにいる』
『玄武通りのどこ?』
追加で届いたメッセージを見て、思考が止まった。
十中八九、こちらに来るつもりだ。
胸の奥がざわつく。
昔の記憶が、嫌になるくらい鮮明に蘇る。
並んで歩いた街。
くだらない雑談。
対立した攻略会議。
二人して罠に掛かった迷宮。
そして、負けた夜。
全部、今でも覚えている。
「男は度胸だぜ!」
力強く発せられた言葉が、俺の思考を引き上げる。
声の主は腕を組んだ店主だった。俺を真っ直ぐ見つめ、笑いながら彼は言う。
「ドンと当たって、玉砕しろ」
「いや、玉砕しちゃダメでしょ!」
元気よく突っ込むルグに、何も無い頭を擦りながら豪快に笑う店主。
少しだけ、肩の力が抜けた。
――男は度胸。
心の中で呟いて、俺は短く文字を打ち込む。
『九番通り沿い。上り側の露店』
送信。
直後。
『逃げないで』
ドクン、と胸が鳴った。
たった五文字。
それだけで、全部見透かされているような気がした。
半年間逃げ続けてきた俺に、その言葉は重くのしかかってくる。
「へー、こっち来る感じだ」
「こら、また覗き込んで!」
「でも、二人も横目で見てたでしょ? シーフだよ私」
「「……」」
二人は気まずそうに目を逸らす。それは静かな肯定だった。
「あんまり行儀がいいことじゃないぞ」
「ごめんなさい」
「すみません」
まぁ、気持ちは分かる。
それに、プライバシー設定を低いままにしている俺にも落ち度がある。強くは言うまい。
「ところで、本当に来るんすか?」
ルグが遠慮がちに聞いてきた。
「多分」
「うわぁ、修羅場の予感」
「茶化さないの」
アヤがランの頭を軽く小突く。
心臓が落ち着かない。
PvP前とも違う。
ボス戦前とも違う。
もっと別方向のモノ。
気を抜いたら崩れ落ちそうな、そんな緊張が胸を埋め尽くしていた。
「セツさん、座ります?」
アヤが気遣うように近くのベンチを指差す。
「……いや」
動いたら、そのまま走り去ってしまいそうだった。
座ったら、前を向けなくなりそうだった。
『逃げないで』
その五文字が俺を踏み留める。
◇◇◇
「どの募集も後衛は埋まってるわね」
掲示板を見つめながら、私は思わずため息を漏らす。
聖水集めの野良募集。その尽くが、前衛だけに限られていた。
こんな時に彼がいたら。
ついついメッセージ欄の一番上。お気に入りに入った“雪”の文字へと視線が吸い寄せられてしまう。
夏休み二日目。
霜月 鈴葉という煩わしい現実を脱ぎ去って、私はゲームに励んでいた。
今日の予定は完全なるフリー。大いに遊ぶぞと意気込んで、いい条件の野良募集を探しに来たのだ。
しかしその気合いとは裏腹に、成果は芳しくない。
好条件は愚か、後衛が入れる募集すらないのだ。しかも前衛募集でさえ人が集まっていなかった。
これじゃ、今日は無理ね。
残念だがどうしようもない。
見切りを付けて、“連盟本部”を後にするため踵を返す。
「ん? “クレア”じゃないか。珍しい、こんなところで」
名前を呼ぶ声。ふと目を向ければ、いかにも鍛冶師といった風貌の小人がそこに立っていた。身長は私の腰丈ぐらい。もっさりと生えた白い髭が印象的だ。その白髭には見覚えがあった。
「あら、“髭じい”。お久しぶり。今日は納品かしら?」
「そうじゃよ。うちは“連盟”に加入してる数少ない生産職ギルドじゃからな。三日にいっぺん、こうして売れたものを補充しに来とるんじゃ」
両手で抱えた木箱を揺らしながら、髭じいがニカッと笑う。彼は貴重な生産職仲間だった。
本人のキャラコンセプトらしいけど、種族機能が未実装の為、残念ながらドワーフではない。
「お前さんは?」
「聖水を取りに行こうと思ったのだけれど、無駄足。今日の前衛は、砂漠の水より貴重らしいわ。いつから絶滅危惧種になったのかしら」
「はは、DDCTも近いしな。前衛は血の気も多い奴らが多い。特訓にでも行ってるんじゃろ」
「その特訓にもポーションは必要でしょうに……」
死にはしないPvPでも、ペナルティーとして負けた側はHPの9割を失う。街中で回復する手段は、ポーションか教会くらいだ。
「ははは。しばらく品薄が続けば、嫌でも募集が埋まり出すさ。ポーションの値段が高騰して、誰よりも困るのは前衛じゃからな」
「それもそうね。……何日か適当に待ってみるわ」
「それがいい」
「そうそう――」
立ち去ろうと背を向けようとした所を、髭じいの思い出したような声によって引き止められる。
「お前さんとこのギルドが無くなってから、“ナワバリ”絡みの潰し合いが増えとる。“黒鉄会”辺りは特にな。面倒事には気を付けるんじゃよ」
「えぇ」
短く返事を済ませ、今度こそ連盟本部を後にする。
“ナワバリ”――狩場や素材ルートの奪い合い。
そして、かつて私が所属していたギルドから分裂した一派、“黒鉄会”。
髭じいの忠告がやけに耳に残った。
連盟本部を出たその足で向かったのは工房。
だけど、何かを作る訳ではない。ポーションが高騰するのを見越して、在庫を引っ張り出していただけ。
工房のストレージから保管してあったポーションを何箱か取り出し、両手で抱えて〈野の花〉へ向かう。
〈野の花〉の店頭には専用のポーション売り場があり、そこが私にとって唯一の安定した稼ぎ場なのだ。
それに暇になった時間を潰すのに、カフェと言う存在はちょうど良い。
カラン、カラン。
「いらっしゃい〜。……あれ、クレアちゃん。ダンジョンは?」
「街の前衛が、恐竜よろしく絶滅しちゃったようだから中止。……その影響でポーションが値上がりそうだから、工房から持ってきたの」
「なるほどねぇ。……消えた恐竜達はみんな闘技場かな。DDTCも近いし、私も含め前衛は対人好きが多いから」
珍しくテーブル席に座るノノさんが、珈琲を揺らしながら窓の外に目を向ける。
その方角にはあるのは、対人戦が盛んな南区。屋根の隙間からチラリとだが、話に上がった闘技場が見える。
「ところで、誰か来てたの?」
一枚の金貨と、その横に置かれた空の珈琲カップを見つめながら問いかける。
明らかに過剰な料金を見るに、常連の誰かだと思う。それか、情報を買いに来た何処かのお偉いさん。
会話を繋ぐための世間話として問いかけたそれは、しかし意外な言葉によって返される。
「あぁ、セツっちだよ」
手から滑り落ちたポーションの箱が、床とぶつかり大きな音を立てた。
「ちょっと大丈夫!? ポーション割れてない?」
心配する声は耳に届かない。
ポーションなんてどうでもいい。割れていようが関係ない。
――それよりも。
「ノノさん。いま、セツって」
「あ、セツっちね。さっきまでそこに居たんだけど、数分前に帰っちゃった」
数分前までそこにいた。
空いた椅子を見つめながら、彼の姿を想像する。
「……何か、言ってた?」
「ん? あっ、そうそう。久しぶりでも私の珈琲は美味しいって。……ふふ、嬉しいこと言ってくれるよね」
そんな事を聞きたい訳では無い。それを分かっているはずなのに。遠回りするように焦らされる。
「気になるんだったら連絡してみな」
焦る気持ちを察したように、ノノさんが言う。
一瞬の躊躇い。
拒絶されたら。
そんな考えがよぎる。
私の事が嫌になったのかも。
煩わしく思っていたのかも。
彼が残した『ごめん』の三文字。
その真意が分からない。
――それでも。
私はメッセージアプリを起動して、『雪』に向けて文字を打つ。
『久しぶり、セツ』
返信は直ぐに来ない。
カチッ、カチッ。そう響く秒針が不安を煽る。
待ち時間と比例するように、負の感情が肥大する。
昔から、褒められる性格では無い事は自覚していた。
意見の衝突で他人と対立する事は多いし、自分が誰からも好かれる人間だとは思っていない。
もしかしたら、私から離れたかったのかも。
隠している弱い心が顔を出す。
――それでも。
『ノノさんから聞いた。帰ってきてるって本当?』
弱音を奥に押し込んで、チャットを送る。
返信はない。
けれど待つ。
ゆっくりと過ぎていく時間で、押し込んだ不安が溢れてきそうになった時、それは来る。
チャットの下。そこに小さく既読の文字がついた。
『どこにいるの?』
すぐさま送る。
『玄武通りにいる』
『玄武通りのどこ?』
会いにいかなきゃ。
そう思った。
『九番通り沿い。上り側の露店』
走り出すようにして店を出る。
三文字だけじゃ分からない。
貴方の気持ちを聞かせて欲しい。
『逃げないで』
これが最後のチャンスかもしれないから。
私の足は止まらない。




