E6.苦い残り香
決闘都市には、街の動脈とも言える四つの大通りが存在する。
四方位に設置された大門から、中心にそびえ立つ中心塔までを一直線に繋ぐそれらは、贅沢にも四神の名を冠している。
そのうちの一つ。
北門から伸びる〈玄武通り〉の終わり際。中心街に入ったところで脇道へ入り、数分進んだ先に目的地はある。
小・中規模のギルドホームが立ち並ぶ片隅で、ひっそりと営業している店の名は〈野の花〉。こじんまりとしたカフェ兼、魔導薬局であった。
カラン、カラン。
「いらっしゃい〜。悪いけど、ちょいまちで」
心地よいドアベルの音と共に入店すれば、気の抜けた女性の声が奥から聞こえてきた。
木目のカウンターにポーション棚。落ち着いた店内を満たす珈琲の香りと、聞き覚えのある声音。そのすべてに、つい感傷的な気持ちになる。
久しぶりの再会を前にして、格好の付け方が分からず入り口で立ち往生していると、程なくして“その女性”は現れる。
派手すぎないピアスに、鮮やかなネイル。青い瞳を持ち、明るい金髪をサイドテールに纏めた彼女は、この店の店主――〈ノノ〉さんだ。
エプロン姿のノノさんは俺を見るなりギョッとしたように目を見開き、それからすぐに、悪戯っぽく笑った。
「『おまかせブレンド』でいい?」
何度も聞いたその問いかけに、俺は半年ぶりに頷いた。
◇
「はい、お待たせ」
珈琲を置き、それを挟むようにしてノノさんが対岸の椅子へ腰を下ろす。勿論、自分用の珈琲も持ってだ。
脚を組み、頬杖をついて、彼女はこちらの言葉を待つようにジッと見つめている。
何から話すべきか。
時間稼ぎではないが、まずは喉を潤そうとカップを口元に運ぶ。
「……美味い」
思わず漏れた声と共にふと目が合うと、湯気の奥で彼女がニタリと笑う。
「そりゃ、ゲーム内一を謳う、うちのオリジナルブレンドだもん。セツっちが居なくなった後も、日々の研究を続けていた成果だね」
「そうみたいですね」
半年前と変わらない調子に、少しだけ心が軽くなる。
カップを置き、窓の外に目をやった。決闘都市には珍しく、今日は重たい曇り空だった。
「あんな別れ方をした手前、格好悪いですが……“爺さん”との約束を果たすために戻ってきました」
少しの静寂。
ノノさんは呆れたような表情で、俺を見つめた。
「……ばかだねぇ、セツっち」
小さく息を吐いて、カップに口をつけるノノさん。
彼女は少しだけ責めるような口調で、話を続けた。
「半年も音信不通。帰ってきたと思ったら、そんな湿っぽい顔してさ」
「返す言葉もありません」
「ほんとだよ。こっちは心配したんだから。クレアちゃんなんか特に」
軽い調子の言葉。
けれど、その奥に滲む感情は軽くない。
「……すみません」
「その反応。やっぱりクレアちゃんにも連絡してない感じだ」
「……」
「まぁ、そこは私が口を出すことじゃないけどさ」
そうしてカップを口元へと運ぶノノさん。
一口だけ珈琲を楽しむと、彼女はふっと表情を和らげた。
「まぁ、何はともあれ『おかえり』。で、私は何を手伝えばいいのかな?」
「流石、お見通しですね」
「今生の別れみたいな手紙を出した相手が、わざわざ戻ってきたんだもん。それに“ハル”さん絡み。……何かしら頼み事があるんだろうなーって推測しただけ」
本当に頭の回転が早い人だ。
だが、話が早いのは助かる。俺は本題を切り出した。
「……王に会いたいんです」
「それって、王都に居るNPCの王様のこと?」
「はい」
ノノさんは「なるほどね」と短く頷いた。
「王城まで行って、王様に会えるだけの伝手が欲しい、と」
俺は静かに頷く。
王都に行くだけなら誰でもできるが、謁見となれば話は別だ。今の俺では憲兵に門前払いされるのが関の山だろう。
「……いやまた、とんでもないこと言い出したねぇ」
ノノさんは呆れたように笑いながら、手元の珈琲へ視線を落とした。
「紹介状を書くにしても、普通のプレイヤーじゃまず通らない。最低でも“大規模ギルド長”か、“八闘傑クラス”の後ろ盾が欲しいところかな」
「……厳しいですね」
「王様に会うってのは、そういうことだよ」
勇者となって王から路銀を貰うような、一昔前のRPGじゃない。
プレイヤーは等しく一冒険者に過ぎず、王から見ればただの平民と同じ扱いなのだ。
「紹介状を書けそうな相手、心当たりが無い訳じゃないよ」
ノノさんは珈琲を揺らしながら、ぽつりと呟いた。
「ただまぁ……セツっちが一番会いたくない相手かもだけど」
「……誰です?」
「“指揮者”」
意図せず、カップを持つ手が止まった。
身体が強張り、息が浅くなる。
あぁ、嫌だ。
名前を出されただけで、忌まわしい記憶が引きずり出される。
無数の武器が、独りでに飛び交う戦場。
苦く硬い土の味。冷たく見下ろす瞳。
そして、『お前は弱者だ』と告げる声。
冷血なる鬼才。八闘傑の門番。
そう呼ばれる男との、絶望的なまでの実力差。
それは、俺の心に深く刻まれた敗北の象徴だった。
「セツっち、大丈夫?」
「すみません。ちょっと考え事をして……」
「ごめん、ちょっと無神経だったね。セツっちと彼の因縁、知らない訳じゃないのに」
「いえ、手段のひとつとして提示してくれただけですから」
情けない姿を誤魔化すように笑い、嫌な記憶を押し流すように珈琲を飲み干す。
「――それで?」
ノノさんが頬杖をついたまま、こちらを見る。
「“指揮者”は無理として。セツっち、これからどうするつもり?」
「……別の伝手を探します」
「当てあるの?」
「それは……」
言葉に詰まる。
そんな都合の良い相手が居るなら、最初からここへ相談になど来ていない。
「だよねぇ」
ノノさんは苦笑してから、ふっと視線を落とした。
「じゃあ、やっぱりクレアちゃんかな」
「……っ」
反射的に息が詰まる。
その名前だけで、胸の奥が鉛のように重くなる。
「いや、そんな露骨に嫌そうな顔しなくても」
「してません」
「してるしてる。昔のセツっち、クレアちゃんの話になると分かりやすかったし」
からかうような声音。
だが、その瞳はどこか真剣だった。
「……会わせる顔が無いんです」
絞り出すように言葉が漏れる。
半年間、一度の連絡もなし。
なんだかんだ情に厚い彼女の事だ。心配してくれているだろう。
それを分かっていながら、俺は彼女を避けていた。
「まぁ、それはそう。自業自得だね」
「否定してくれませんね……」
「事実だもん。でもさ」
ノノさんの声音が、わずかに柔らかくなった。
「会わせる顔がないって思ってるなら、尚更ちゃんと会わなきゃダメでしょ。逃げて終わらせるつもり?」
その言葉を残し、彼女は席を立った。
残された俺は、空のカップに視線を落として考える。
会うべき……なのだろうか。
負けたあの日。
彼女の隣に立つ資格はないと思い知らされた。目を逸らしていた弱さを叩きつけられ、俺は逃げるように姿を消した。
憧れを砕かれた、格好の悪い自分。
彼女の輝きを奪わないために。もっと高く飛んでもらうために。
そんな言い訳を用意して、俺は隣を離れる選択をした。
カチッ、カチッ、と時計の秒針が鼓動を刻む。もう何周しただろうか。呆れたような表情で、ノノさんが戻ってきた。両手には新しく淹れ直された珈琲が二つ。
「もしかしたら国王様への謁見も、クレアちゃんがお願いしたらイケるかもよ」
珈琲を差し出しながら、彼女は続ける。
「“魔導調合師”としての彼女の伝手、忘れたわけじゃないでしょ」
「それは、まぁ」
クレアは生産職プレイヤーの中でも、群を抜いて知名度が高かった。
高位ポーションや魔導触媒の精製技術において五本の指に入る職人であり、武器や魔導具を治せるという貴重な“修繕士”。
様々な筋から特別な依頼が入るほどの有名人だった。
「セツっちが居なくなった後、生産職としての活動がさらに本格的になってね。今のクレアちゃんなら、王宮の錬金院とかとのパイプもあるんじゃないかなぁ」
「……そうですか」
胸の奥がチクリと痛む。
俺が居なくても、彼女は前へ進み続けていた。
それは望んでいたことのはずなのに、逃げ出した自分が余計に惨めに思えてしまう。
「まぁ、だからって無理に今すぐ会いに行けとは言わないけど」
ノノさんは新しい珈琲へ口をつけながら、ちらりとこちらを見る。
「でもさ。クレアちゃん、多分ずっと待ってるよ」
「…………」
「セツっちがクレアちゃんに置いていったアイテム達ね。彼女まだ、倉庫に残してるの」
売ってくれて構わなかったのに。
そう思いつつも、『嬉しい』と感じてしまう自分が一番嫌だった。
「怒ってるとも思う。泣かれるかもしれないし、殴られるかもしれない」
「フォローになってませんよ」
「あはは。でも逃げたままよりはマシでしょ?」
そう言って、彼女は悪戯っぽく笑った。
「セツっちってさ。一人で考え込んで、取り返しがつかなくなるまで抱え込む癖あるし」
思わず視線を逸らす。
図星だった。
口をつけた珈琲が、やたらと苦く感じる。
「……クレアは、今どこに?」
沈黙の末にそう尋ねると、ノノさんは少しだけ目を細めた。
「腹は括った?」
「……まだ怖いですよ」
「いいの、それで。大人になるってのはさ、『失敗しなくなることじゃない。上手に失敗できるようになること』なんだよ」
「深いですね」
「とある老人の受け売りだけどね」
ノノさんはそう言って柔らかく笑う。
そのまま彼女はフレンド欄を確認して、店にある掛け時計へと目をやった。
「クレアちゃんはオンライン。聖水集めでダンジョンに行ってると思うけど、夕方には街に戻ってくると思うよ」
「……ありがとうございます」
気合いを入れるように、珈琲を飲み干した。
金貨を一枚。
珈琲二杯分としては破格な金額を机に残し、俺は立ち上がる。
逃げたい気持ちは消えてない。
今の情けない姿を見せたら、がっかりされるかもしれない。
それでも、向き合わなければならない相手がいる。
「それじゃ、頑張ってね」
ひらひらと手を振るノノさんを残し、店を出た。
見上げれば、空はいつの間にか晴れていた。
「……ふぅ」
深く息を吐いて前を見る。
止まったままではいられなかった。




