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Duel・Duet ―砕かれた憧れの先へ―  作者: べちかつ
『銀夜の弱起』
2/12

E1.遺された約束


 煮えるように暑い日だった。

 一軒家の並ぶ住宅地を歩きながら、『なぜ歩くという選択をしてしまったのだろうか』と、俺は数十分前の判断を悔やんでいた。


 今日は夏休み最初の猛暑日。

 昨日の天気予報でも散々注意喚起されていたというのに、駅を出た時点でおとなしくタクシーを拾えばよかったのだ。バスがあと四十分は来ないからと、不用意に歩き始めるんじゃなかった。


「……暑い」


 額の汗を手の甲でぬぐい、生温くなったスポーツドリンクで乾きを満たす。


 目的地が近づくにつれ、思考は炎天下を歩く理由――昨晩届いた一通のメールへと戻っていく。


 送り主は、半年前の冬に他界した父方の祖父。俺が“爺さん”と呼んで慕っていた人物だ。

 メールの内容は爺さんらしく、『家に来い』とだけ短く記されていた。


 死後の世界から届いた――とは、さすがに思わない。生前に予約していたメッセージが自動送信されたと考えるのが妥当だろう。


 しかし、なぜ今になってそんなメールが届くよう設定したのか。その真意が気になり、俺は爺さんの家を訪ねる事にした。


 ペットボトルが空になる頃、石塀に囲まれた伝統的な日本家屋が視界に入った。

 

 近隣の家屋とは一線を画す大きさ。そして、重厚感。

 

 家主を失ってなお、その屋敷は周囲を圧するような威容を保っていた。


 幼い頃に預かった鍵を差し込み、まずは門扉の鍵を解く。


 門を開いて最初に目に飛び込んできたのは、庭に植えられた一本の桜の木だった。


 見慣れた大きな桜の木。


 春になれば見事な花を咲かせるこの木の下で、爺さんとは将棋を指しながら花見をしたものだ。

 和菓子とお茶を楽しみながら、ゆったりと盤面を見つめる。時間の流れから隔離されたような、あの穏やかな時間が俺は好きだった。


 蘇る記憶に浸りながら、俺は庭を抜けて玄関に立つ。


 物理キーだった門扉とは異なり、こちらは生体認証で開く現代仕様だ。

 カメラに顔を向けて数秒、ロックが外れる無機質な機械音が響いた。


「……ただいま」


 半年ぶりに訪れた家の中は、わずかに埃っぽかった。


 靴を脱いで上がろうとしたところで、手首に着けた端末が着信音を鳴らす。

 送り主は、またしても爺さんからだった。


 内容は相変わらず簡潔で、『作業部屋へ来い』とだけ。


 驚いて辺りを見回すが、当然人の気配はない。


「自動送信、か……」


 家への立ち入りをセンサーが検知したのだろう。

 少し不気味ではあったが、俺はひとまずメールの指示通り、奥にある作業部屋へと足を向けた。


 幼い頃には迷宮のように感じていた広い屋敷も、今では身体が順路を覚えている。


 迷うことなく作業部屋へ辿り着き、俺は少しの警戒を抱きながら襖を開けた。


 窓のないその部屋は、真昼だというのに濃い暗闇に沈んでいた。


 ――カチッ。


 足を踏み入れた瞬間、独りでにPCの電源が入った。

 続くように、壁一面の巨大なスクリーンが淡い光を放ちながら起動する。


『対象ユーザーの入室を確認。指定プログラムを実行します』


 AIの無機質な音声が部屋に響く。


 流れるような状況の変化に戸惑っていると、今度はスピーカーから聞き慣れた声が漏れた。


「久しいな、悠冬」


 スクリーンに映し出されたのは、一人の老人だった。


 鋭い瞳に、豊かに蓄えられた白い顎髭。右頬の傷と険しい表情。

 死んだはずの男が、そこにいた。


「爺さん、なのか……?」


「それは是であり、否でもある。わしは“御鍵 春芳”が死後に起動するよう仕組んだ疑似人格プログラムだ」


「疑似人格プログラム?」


「春芳の再現人格だ。自身の死後、とある目的を完遂するために作り出された存在である」


 爺さんは“VW”関連の研究者だった。

 プログラミングにも明るかったから、この疑似人格もその知識の結晶なのだろう。


 それにしても、完成度が高すぎる。

 思考傾向を学習させたAIなのだろうが、まるで生前の爺さんがそこに座っているみたいだった。


「目的、っていうのは?」


「立つ鳥跡を濁さず。死んだ自分の後片付けだ」


 何事も最後までやり遂げることを信条としていた、いかにも爺さんらしい言葉だった。


 俺が納得したのを見て、疑似人格の爺さんは「さて――」と言葉を継ぐ。


「悠冬よ。わしの最期の願いとして、少しばかり頼まれ事をしてくれないか」


「頼まれ事? 俺にできる範囲なら、協力したいけど……」


 世話になった爺さんへの恩返しはしたい。

 だが、数ヶ月前に高校生になったばかりの自分に何ができるのか。自信のなさが、言葉を少し慎重にさせた。


 しかし、その答えで十分だったらしい。

 モニターの中の爺さんは、満足げに頷いた。


「悠冬なら出来るとも。なにせその願いはSecond(セカンド)Sphere(スフィア)でのことなのだからな」


 そのタイトルを聞いた瞬間、俺の表情は嫌悪感にこわばった。


 爺さんの趣味を馬鹿にするつもりはない。

 俺自身、かつては寝る間も惜しんでログインしていた側の人間だ。


 問題なのは、その舞台が〈Second・Sphere〉だということだった。


 今の俺は、あの世界を半ば引退した身だ。

 逃げるようにしてプラグを抜き、それ以来、ログイン画面すら見ていない。


 恩返しの情と、あの世界への強い忌避感。

 二つの感情が胸の中で激しくせめぎ合い、答えが喉に詰まる。

 

 部屋に重苦しい静寂が満ちた。


「嫌か?」


 沈黙と俺の表情から何かを察したのか、爺さんが問いかけてくる。

 モニター越しの瞳が、じんわりと悲しげに揺れた気がした。


 それを見て、心の中の天秤が傾く。


 たとえこれが、高度な演算によって作り出された偽物の表情だったとしても。

 俺は、爺さんにこんな顔をさせたくはなかった。


「……何を、すればいい?」


 喉から出たのは、絞り出すような声だった。


「わしの願いはひとつ。墓を作ってほしいのだ」


 脳裏に浮かんだのは、墓地にある立派な墓石。

 現実世界の爺さんの墓だ。

 

 だが、そうではない。

 爺さんの意図を確認するように、問いかける。


「それは、|Second・Sphereゲームの中に作るってこと?」


「〈世界樹〉の麓にある〈英雄墓地〉に墓が欲しい。それが、春芳が生前望んだ最期の願いだ」


 〈世界樹〉。

 それは、Second・Sphereを象徴する巨大な樹木である。

 

 そして記憶が正しければ、〈英雄墓地〉はその麓にある墓地だった。本来なら物語に名を刻んだNPCのみが眠る聖域。プレイヤーが勝手に利用できる場所ではない。


「ただのプレイヤーが墓を作れるような場所じゃないだろ。何か伝手でも?」


「うむ。春芳は生前、王と一つの約束を交わしていた。その約束を果たせば、埋葬を認めてもらえるはずだ」


「その約束っていうのは?」


「言えん。というより、わしにはそれを伝えれる権限がない。……手数をかけるが、王に直接会って聞いて貰う他ないだろう」


 爺さんは、俺を王に謁見させたいらしい。

 それによって何か特殊なクエストが始まるのかも知れないが、正直いうと約束は教えておいて欲しかった。

 しかし、わざわざそんな仕掛けを用意しているあたり、爺さんの本気度も窺える。


「……分かった。とりあえず王都を目指してみる」


「簡単ではないと思うが、頼んだぞ」


 返事をしたものの、胸の奥には重い鉛のような感覚が残っていた。


 もう二度と触れないつもりだった世界へ戻る。

 それがどれほど自分にとって苦い決断なのか、改めて実感する。


 ふと視線を巡らせれば、薄暗い作業部屋のあちこちに爺さんの痕跡が残っていた。


 使い込まれた工具。

 山積みの資料。

 机の上に置かれた、古い将棋盤。


 もう本人はいないのに、この家にはまだ爺さんの時間が息づいている気がした。


 だからこそ、不意に気になった。

 

「今後、この家はどうなるんだ?」


「……遺産管理もわしの管轄だ。幸い財はまだ残っているゆえ、悠冬が最期の願いを叶えるまでは維持するつもりだ」


「願いが叶った後は?」


「この辺りは再開発で地価も高騰している。売却して資金を分配するのが合理的だろうな」


 売られてしまう。


 その言葉に、胸がざわついた。


 爺さんとの思い出が詰まったこの場所が消えてしまうのは、自分の過去まで削り取られるようで嫌だった。


「俺が爺さんの願いを叶えたら、この家を譲ってほしい」


「意外だな。記録では遺産には興味がないはずだったが……。よかろう、承知した。春芳の願いが成就したあかつきには、この屋敷をすべて悠冬へ譲渡しよう」


「……いいのか?」


「構わん。もとより、対価なしに働かせるつもりはなかったからな」


 拍子抜けするほどあっさりとした返答だった。


 金が欲しいわけじゃない。

 ただ、爺さんとの記憶を“形”として守りたかった。


「ありがとう。じゃあ、さっそく準備を始めてみる」


「頼んだ。何かあればメールで連絡せよ。もっとも、疑似人格のわしが答えられることは限られているがな」


『プログラム終了』


 微かな笑みを浮かべた爺さんの顔を最後に、モニターが消灯した。


 再び部屋に暗闇が戻る。


 開いたままの襖から差し込む外光が、やけに眩しく感じられた。


「……タクシー、呼ぶか」


 外の殺人的な陽光を思い出し、俺は手首に付けた端末で配車アプリを起動した。

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