78 現状
「神様に、この地に降り立ってほしいの。手伝ってくれない?」
数秒、彼女が口にした言葉を呑み込めなかった。
意味はわかる。けれど、言わんとしていることがわからない。あまりにもこれまでの僕の人生からかけ離れた内容で、その実体がつかめない。
だから、尋ねた。
「……神様、とは具体的にどのような方を指すんですか?」
「ありゃ」
彼女は……ランク5だという、コハナと呼ばれた女性は、目を見張った。
「うーん……どのような、と来たか。カイリちゃん難しいこと言うねえ」
特別気分を害した様子はない。少しだけホッとする。信仰は人の繊細な部分とつながっている。今の発言だけでももしかしたら怒られるかもしれないと案じていたが、どうやら大丈夫なようだ。
「カイリちゃん、神話とか建国記は読んだことある?」
「神話はあります。建国記は少しだけ教わりました。でも、神様が出てくる場面はなかったと思います」
「そういうところは、カイリが学舎を出てから教わるようになりました。最近、十歳になってからです」
と、横からサラが言う。
さすがに優等生だ。よく覚えている。隣のジードがそうだったか? みたいな顔しているのと大違い。
「あー、教育方針だね。そっかあ。それじゃ、ちょっと想像できないよね。うーん、今全部を話すヒマはないから、後で読んでほしいな。図書室に置いてあるから。とりあえずかいつまんで説明すると、神様っていうのはまず私たちを作ったお方じゃない? それはいい?」
「あの血や知恵を僕たちに授けてくれたっていうお話ですよね?」
「そうそう。でね、建国記でも神様について記された部分があるんだけど、これがね、笑っちゃうくらい少ないの」
「え」
本当に笑っている。困ったように眉尻を下げ、ほとんど苦笑いを見せている。
相当デリケートな話題だと思っていたから言葉を選ぶべきだと思っていたのだが、この人、びっくりするくらい軽く言い放つ。
「最初に魔族をこの地から追い払えって私たちに命令して、その後長いことだんまりで英雄さんに全部押しつけっぱなし。たまーにあれしろこれしろってお告げがあるくらいで、それも十年に一度あるかないかって話だったみたい」
言葉をそのまま文字通りに受け取るならば、恨み言に近いものだ。怒りや呆れがこもっていてもおかしくない。
けれど、彼女の声音はさっぱりしていた。
呆れはギリギリあるような気もするが、それも子どものやんちゃを見過ごすような響きだった。
「お会いしたことはないけど結構仕方ないお方だよね、神様」
そう思わない? みたいに振られても困る。
「でも、やっぱり神様は神様なんだよ。カイリちゃんには不思議かもしれないけれど」
「……どういう意味ですか?」
「うん。やっぱり」
コハナは憐れむような目で僕を見た。
「あなたは魔力汚染者だから、神様を感じ取れないんだね」
慈しむような声を聞く。
「普通はね、みんな中央に、特に中つ柱の近くに来ると神様のことがちゃんとわかるんだ。声を聞かなくてもね、私たちは神様に造られたんだって実感できるの。だから、子どもたちも学舎を出た後に一度は訪れてもらってる。私たちの使命について口で説明するより、その方がわかりやすいから」
「使命、とは」
「魔をこの地から追い払うこと。ここに、私たちの国を築くために」
さらりと彼女は言った。
けれど軽んじている様子はない。当然のことだから身構える必要もない、そんな声音だ。
「……魔に汚染されてしまった子たちは程度の差こそあれ、みんな神様が遠くなったって言うの。それが耐えられなくて離れていく子もいる。私も、ある日突然これを奪われたらそうなるかもしれない」
胸に手を当て、目を伏せる。
……僕にはわからない。
この地には何かがいる。何か、途方もなく巨大な存在がいる。それは感じ取れる。
けれど、そこに親しみを覚えない。造物主だという理解もない。ただ奇妙な居心地の悪さだけがある。
「僕の面倒を見てくれた人も言っていました。中央は安心する。けど、僕にはわからないかもしれない、と」
「メグロちゃんでしょ? 懐かしいなぁ。そう……あの子がそんなことを言ってたんだ。元気にしてる? 閉山舎にいるのは知ってたんだけど」
「あ、はい。元気、ですが……」
今更ながらふと疑問に思った。
この人、いくつなんだろう。
見た目は二十前後、十代でも通じるくらいに若々しい。
ただし僕らの老化はかなり遅く、五十を超えてもせいぜいが三十代にしか見えない人も多い。どうやら高ランクであるほど、または〈気功〉系の練度が高いほど老化とは縁遠くなるらしい。
大体は立場や所作でこのあたりかなと類推できるのだが……
彼女はランク5で、当代最高の癒し手、つまり〈治癒〉を極めていると言ってもいいはずだ。さらには、メグロやマードウを子供扱いしている。
普通に考えれば結構な高齢だと思う。
けれどその立ち居振る舞いは無邪気だ。幼く感じるところさえある。浮世離れしている。
「カイリちゃんにはわかりにくいかもしれないけど、みんなそうなの。神様を感じて、そのお言葉を真剣に受け止めて、できる限り叶えようとしている」
透徹した目。
声音も表情もほとんど変わっていないのに、がらりと印象が変わる。
「それももうすぐ終わるよ」
予言のように彼女は言った。
「今、この国で脅威となりうる魔は二つあるの。南部の大迷宮と、西部の泥沼」
「……」
「西部は国境だね。軍がずっと押し止めてる。多分、全戦力を投入すれば滅ぼせるだろうと言われているけど、そんな余裕はなかったからとにかく数で壁を作ってる。どちらかといえば南部の方が危険視されていて……カイリちゃん、東部で案内人してたんだよね? 南部のことは何か知ってる?」
急にまた雰囲気が変わった。というより戻った。
ただ思いついたから、そんな様子で尋ねてきた。
「行ったことはないので詳しいことは。おそらく百に近い数の迷宮が連結しているとか、内部構造が日に日に変わるとか、一度制圧した場所でさえ奇襲を受けて取り返されるとか、そういう噂は聞いています」
「うんうん。それね、全部本当なんだって」
「……そうですか」
「驚かないね。さすがに迷宮ってやつが何でもありだってことはわかってるんだ」
「何でもありとは思いませんけど、何が起きてもおかしくない場所だとは感じていました」
「へえ。カイリちゃんの経験談も聞きたいな。今度よろしくね。それで、南部についてなんだけど、そんなわけでもうずっと手こずっててさ。ランク4をたくさん送っているんだけど、一進一退が続いていたわけ」
やれやれといった様子で彼女は大げさに肩をすくめる。
そこに、
「イマイチよくわからないんですけど、ランク4が大勢いても勝てない敵がいるんすか」
「バカ、あんたは黙ってなさい」
ジードが口を挟み、すぐにサラが頭を抑えようとする。
コハナはひらひらと手を振ってそれを制した。
「いいんだよ、サラちゃん。ジードちゃんの疑問ももっともだから。私も行ったことはないんだけど、同じことを心配した。それで聞いてみたら、倒せない魔物はいないってさ」
「なら」
「魔物は倒せても、地形の方はそうはいかないんだって。内部構造が変わるっていうのはね、道が変わるとかそういう話じゃないの。環境そのものが変わるの」
「迷宮の性質そのものが変わるってことですか?」
黙っているつもりだったが、思わず口にしてしまった。
「そうなんだって。さすがに本職だね、カイリちゃんは。今のでわかっちゃうんだ」
「んん、どういうことだよ?」
称賛してくるコハナと、まだ首をひねるジード。そのままコハナが説明するのかと思ったが、両手を僕に差し出して「続けてみて」と言ってくる。
「……たとえばすごく寒い、氷でできたような迷宮があったとする。ジード、君ならどうする?」
「精気で全身覆えばなんとかなるけど消費もバカになんねえし、一度戻って厚着するかな」
「装備を整えるよね。それで次の日、また同じ迷宮に潜る。そうするとそこは焼けた岩がゴロゴロ転がっているような高温の地形に変わってるんだ」
「はあ!?」
「そういうことなんだと思う。魔物を倒す以前の問題として、進めない。進もうにも昨日までの知識が役に立たない。とことん攻略を阻害してくる」
コハナを見ると、うんうんと肯いている。合っているようだ。
「付け加えれば、おそらくそういう風に変化があるのは一番外側、浅い部分だけで、奥は変化しないはずだ。そうじゃなければ迷宮として成り立たない」
いくつもの迷宮がつながっている。想像は難しい。けれど、迷宮としての大原則を無視しているとは思えない。
迷宮はボスのために存在している。その身体を、力を、より強大なものとするために。
「変化しているというのもきっといくつかの型が用意されていて、組み合わせているんだと思う。一から作るとか、さすがにそこまで効率悪いことするとは考えにくい。ただ、その型の組み合わせ次第で変幻自在に見えている。そんなところじゃないか。だとしても対策は同じだ。装備とチームの質をとことん上げるしかない。だから案内人も組み込めなくて攻略が難航して、る……」
視線を感じる。
全員が、僕を見ていた。
「すごいねえ、カイリちゃん」
と、コハナが言った。
混じり気のない称賛だけを感じた。
「合ってるかどうか私にはわからない。でもその視点、感覚は私たちには無いものだね」
「……調子に乗りすぎました。すいません」
「いいんだよ。おかげで、ますます手伝ってもらいたくなったから」
そう言って、ぱん、と彼女は軽く手を叩いた。
「今の話のとおり南部は厄介な場所なんだけど、近年ようやく攻略が進んでね、目処が立ったらしいんだ。少なくとも数年の内には終わらせる……と、攻略隊は考えているらしいね」
「……」
「そうなると南部に回していた戦力を西部に、その次には北部や東部の迷宮に向けることができるね。それはもう時間の問題。この地から魔族がいなくなる、その兆しが見えてきたんだよ」
楽観的だ、とどこかで考える自分がいる
同時に、けして夢物語ではない、とも思っている。
「……ランク4って、何人いるんですか?」
「お、興味ある? だよねえ。あんまり言いふらすことでもないんだけど、大まかにならいっかな」
彼女は二本の指を上げた。
「二百人。大体ね」
多いのか、少ないのか、わかりかねる数字だった。
ただし、かつて見たランク4の戦闘を思い出す限り、迷宮のボスですら手玉に取れる戦士が単純に考えて百倍いることになる。
お膳立てさえ整えたなら、確かに十分な戦力なのかもしれない。
「魔族は消える。神様のお言葉をもうすぐ実現できる。この予想は、私たちランク5や各組織の上の方ではほぼ確実のものとして扱われているの。もちろん油断するわけにはいかないし、不測の事態というのはいつだって起きうるものだけど。それでも、先のことを考える段階に入ったんだよ」
「……それで、神様に降り立ってほしい、と」
「そう。そうすれば」
彼女は肯いた。
「神の降臨を願える。建国記の始まりより三百年の歳月をかけて、私たちはようやく本当に国を造ることができる」
「国造り……ですか」
「カイリちゃんにはピンと来ないよねー。そうだねえ……今、この国で力を持つ組織がいくつあるか、わかる?」
問われて、特に中央に来てから、クライスに聞いたことを思い返す。
「回生所、教会、軍、攻略隊、輸送隊、学院、学舎、衛兵隊、あとは果樹園と法廷とか、名前だけ」
「うん。ほとんど合ってる。細かいところをいえば、学舎はほとんど学院に吸収されていて、法廷は実体がなくて、果樹園も発言力はあるんだけど組織ってほどの人員はいない。衛兵隊は逆に人員はそれなりだけど発言力がないんだ。というか、私が代表だからほぼ回生所と同じと考えて。本当はそういうのあんまり良くないんだけどね」
だとすれば、実体はもっとシンプルだ。
「では……六つの組織がこの国を形作っている、ということですか」
「それと、近衛があるよ」
何度か聞いた名前だった。
その響き、また軍や攻略隊とは別枠というところから、なんとなく正体を察しつつ、ここまで深くは聞いてこなかった。あまり関わりたくなかったからだ。
「近衛はランク4以上で構成された組織……というか、集団だね。主な任務は中つ柱、特に上層部の守護。手が空いた人員が軍や攻略隊に出向することも多いけど、基本的にはここの上にいるよ」
「神様を守っているんですね」
「そうだよ。この国で最も名誉ある、誰もが憧れる立場らしいね。原則として彼らが会議に参加することはないけどその意向は無視できない。神様直属の組織ということもあるし、まぁ普通に最高戦力だからね」
会議という単語が出た。
その意味するところは、もう考えるまでもない。
「回生所、教会、軍、攻略隊、輸送隊、学院……その六つの組織の代表と、近衛の一部が集って会議は行われる。それでこの国は運営されているんだ」
彼女は眉尻を下げ、微笑んだ。
「情けないことにね、この会議が今、割れているの」




