77 建国記
「いいのか?」
思わず尋ねてしまった。気になってはいたものの、あまり踏み込むべきではないと考えていた。だというのに、何故か今、ぽろっと口から出てしまった。
「何が?」
やつはあっけらかんと聞き返してくる。それがあんまりにも自然体なものだから、僕も観念してちゃんと口にするしかなかった。
「コハナさんからのあれ。断って」
「ああ」
渋面を見せてくる。おもしろい話ではないのだろう。
けれど一度聞いてしまった以上、もう最後まで踏み込むしかなかった。
「どうせ君ならその内たどり着いてたろ。そのときだろうと今だろうと、大元があの人なら何も変わらないんじゃないか」
「お前はそう考えそうだよな」
「……まさか、そのときにもまた断ったりしないよね」
「いやいや、さすがにそんなバカらしいことはしないよ」
つい、とやつがあらぬ方角を見る。
その先では、木々の中でサラがパレットと戯れていた。意外にもと言ったら失礼か、彼女は小動物が好きなようだった。パレットも基本優しくしてくれる人になつくものだから、すぐに仲良くなった。
彼女も当惑している様子だったが、もう腹が据わったようだ。僕らよりよほど強い。
「まぁでも言葉にしたらバカらしいことかもしんないなあ」
「何だよ」
「わかってもらえるか自信がない。自分でもよくわかんないしな」
「君でも、そういうこと言うんだな」
「俺のことなんだと思ってんだよ」
「……難しいな。一言では言い表せない」
でも、と僕は言った。
「今日、あの人は君を一言で呼んだよ」
「そうなんだよなあ……」
渋面は変わらない。
彼は手のひらを上に向けた。鋼がそこに現れ、球体を形作る。まだ他の人のものと比べて鈍色が薄く見える。
「これ、この鋼、もらったときの話してねえよな」
「話したいならそうすればって言ったよ」
「ああ。あんまりおもしろくない話だから、やめたんだ。まぁでも、結局これと同じことなんだと思う」
数秒、黙っていた。
しばらくして、ジードはこう言った。困惑がその顔に浮かんでいた。
「最後まで持っていけないだろ、こういうの」
脈絡があるかどうか微妙な、前後のつながりがよくわからない、すぐには意味がわからない言葉。だけど多分、それがこいつにとって何より重要なことなんだろう。
どうしてか、それを聞いてしまって何かが腑に落ちたのだ。
◇
神について記述された資料を集める。
さぞ膨大なことだろうと思ったのだが、意外とそうでもない。全体の資料は数多くとも、ほとんどがスキルについての細かい研究結果や、その練度を限界まで上げたとみなされた人物の証言だ。
歴史……神話について語るものが、あまりに少ない。無いわけではない。ただし、それについての研究がない。神話にあたる短い記述があり、その後の建国記があり、現在進行系の歴史書がある。それだけだ。後はせいぜいが地位ある人物の体験記などが文書として残されているくらい。それだって、神について語っているものはほとんどない。
語るべからず、あるいはそんな教義、暗黙の了解があるのだろうか。だとしても何かおかしい。
……おかしいと感じるこの僕が、あるいは間違っているのかもしれない。
しかし、神話の記述は本当に短い。だから学舎で聞いたときも印象に残らなかった。
『神はまず血を満たした。次に知恵を、息吹を、鋼を授けられた。そして我々が生じた。神は我々に強くあれとお命じになられた』
たったこれだけ。
これだけで神話と、人類誕生秘話と言われても困る。解釈は様々できようが、それにも限界がある短さだ。
……今となっては、マードウの言う〈丹紅〉がこの血に当たるのだろうと思う。知恵とはスキルであり、息吹は精気か〈気功〉か、鋼はそのまま〈鋼化〉だろう。
強くあれで締めるのは何ともふわっとしてるな、と初めて聞いたときは思ったものだ。
さすがに建国記となると、序文でももう少し長くなる。
『旅の終わりは灼熱の日照りと天地をかき混ぜるような嵐を抜けた先にあった。我々はこの地へたどり着き、根を下ろした。すると地には大いなる魔が眠っており、我々を呑み込まんとしたので、これを打ち倒し、踏みつけにした。魔はその身を四散させ、無数の小さな魔へと変じさせた。以後、地には魔が潜むようになった。神は我々に魔をこの地より一掃せよとお命じになられた』
始まりがこれだ。
まぁこちらも始まりからしてどこから旅してきたんだよとかしかももう終わってるしとか色々あるが、ひとまず最も気になるのは、魔についてだ。
明確に、魔と記されている。
これはまず間違いなく僕の知る魔と同じものといっていいだろう。学舎に建国記は置いていなかったが、存在は知っていたし、学習訓練の中で一部紹介されたこともある。
ただ、この序文は知らなかった。
おそらく魔について書かれているためだろう。魔力汚染に通じることからか、それとも記述されたこの魔に何か問題があるのか、それはわからない。
確かなことは、少なくとも建国記の記述によれば、我々はどこからか渡来してきたもの、ということだ。
驚きはない。建国記の始まりは三百年前とある。たったそれだけでスキルを作り上げたという方がおかしい。それ以前があって然るべきだ。問題は、それ以前のことなどどこをさらっても書いてないということなのだが。
建国記を読み進めると、主に英雄と呼ばれた人物が中心となって、魔を打ち倒し、国を作っていく様子が記されている。
英雄の名は、アルカ。
無尽蔵の精気と莫大な鋼を持って個人でも比類なき武力を有しながら、集団を率いても不敗の名将であったという、神話伝説にありがち盛りすぎエピソードがごろごろ出てくる人物だ。
しかし、あながち眉唾でもない。一昨日までならともかく、今の僕はありえなくもないとわかってしまう。
英雄はあるものを持っていたとされる。
神器。
スキルでは再現不可能な、神によってもたらされた人知を超えた道具。
ランク5の絶対条件。
神器に選ばれたものが人間として至高の位置に至れるのだと、昨日、僕は知った。
事実として、その一つを垣間見た。
それは確かに人の領域を外れた、御業と呼ぶしかないものだった。あるいは、領域の線を決めるものかもしれなかった。
……かの英雄はその神器を、三つ有していたとされる。
なるほど、だとするならば建国記にある活躍も事実の可能性が出てくる。
敵対するあらゆるものを叩き伏せ、山河を切り開き、国土を広げて道を作る。そういえば、学舎で聞いた話もこのあたりだったなと思い出す。当時は個人でやっていたとは思わず、そういう社会がどこかであったんだな、とぼんやり思っていた。
英雄はほとんど一人でそれを成し遂げた。
どうも建国記の序盤、人間は少なかったようだ。おそらく三桁程度の人間が、今と同じように中央を拠点にしていたと思われる。中つ柱の記述があるため、まず間違いないだろう。
渡来してきたことを考えると仕方ない。むしろ、三百年でよくも増えたものだと思う。
ただ、やはり数は力だ。少ないということは、弱いということだった。
その分の強さは英雄が補完しなければならない。
建国記は途中から、徐々に疲弊していく英雄の姿が見えてくるようになる。
まず、言葉が失われる。
次に、目が光を映さなくなる。
最後に動かなくなった……とある。
そこに至るまでにいくつの魔物を斬り伏せたか、どれほど国を広げたか、想像できない。
英雄は二百年生きたというのだ。
あながち冗談には思えない。高ランクの真実を知ってしまってからというもの、そこにある絶対的な差を今まで以上に想像できなくなってしまっている。
ありえなくはない。そう思う。
そして、英雄の最後の戦いの記述が、目から離れない。
『……嵐が追いかけてきた。嵐は木々をなぎ倒し、山々をえぐり、大気を震わせた。中つ柱に迫り来る。しかし、アルカは最早戦えまい。残された戦士たちで決死の特攻を仕掛けようとしたそのとき、光を失ったアルカが我々を押し止めた……』
英雄はそのままたった一人で「嵐」と対峙し、三日三晩戦い続け、ついにはこれを打ち倒した、という。
これが百年前のこと。建国の終わり。
英雄を失って、人々は現在も残る社会の原型を作り上げた。おそらく似たような組織はできていたのだろう。それが頼るべき人物を失い、急速に力をつけていった。
だから、ここからは伝説ではない。現在と地続きの歴史だ。今僕が備え、頭に叩き込んでいなければならないのはこちらの方だった。
だけど、ダメだ。
見てしまう。
考えてしまう。
嵐。
それは、天地をかき乱す大災害だろう。
魔族だとしたならば、僕が今まで対峙してきたどれとも比べ物にならない力を有しているに違いない。
……そんな光景を、見たことがある。
【雲】を受け継いだときのことだ。あのとき、【雲】は過去を懐かしんでいた。懐かしむというには全く穏当ではない、風雨と雷雲に満ちた過去の光景を再生していた。
そして、もう一つ思い出すものがある。
キリエの持つ魔道具……【雷】の力を有した細剣。
点と点がつながる。
……相性が良いわけだ。
想像にすぎない。でもそれは、多分真実だろう。
わざわざランク5が【雲】にとどめを刺しに来たのも、それで納得がいく。細かい事情はわからないが、そりゃあ放っておけまい。
軽々に見せるつもりはなかったが、今後魔術を見せる機会があったとしても、【雲】は最後だと心に決める。規模が違うので、よほどでなければ関連付けまいが、用心は重ねておくに越したことはない。
それに、疑問があった。
【雲】と【雷】、これはいい。片方は瀕死で逃げ、片方は死体を利用された。ままあることだ。そこに思うことはない。
嵐の構成要素はその二つではない、ということだ。
少なくとも、あと二つ。
【風】と【雨】……そのようなものがいるはずだ。
死んでいるのなら問題はない。
生きているのなら……どこに?
……考えても答えが出るはずもない。僕は建国記を閉じ、しばらくして直近百年の歴史書を開くことにした。
ぐ、とのびをする。
根を詰めすぎた。時間がないとはいえ、一度に摂取していい情報量を超えている。
図書室……学院の中にあり、本来広いはずが、ぎっしりと本棚で埋まっているせいで狭く感じる部屋は今、閑散としていた。
数時間ずっといたが、誰一人として現れる様子がない。
学院内部の人間がいないのはまだ理解できる。おそらく必要な資料はすでに持っていっているのだろう。
学院外の人間もあまり来ないのは……まぁ、学舎を出てまで勉強したい人間は早々いないということか。物語などはほとんど置いていない。スキル研究は役に立ちそうだが、実践の中で鍛える方が主流のようだ。
僕はマードウから書架閲覧の許可をもらった。
参考になるだろう、と言われたからだ。
確かに、参考にはなった。ありがたいとは思う。しかしそもそも、特大の悩みを持ち込んでくれたのは向こうの方だった。
……思い出す。その必要さえない。
コハナ。生まれて初めて出会った、ランク5。彼女の存在感は並外れていた。今も、目を閉じればまざまざと浮かび上がる。
神の降臨を願う、と彼女は言った。
その言葉は字面の荘厳さとは裏腹に、人間社会の厄介なしがらみを背景にしていた。




