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魔術師カイリの星巡り  作者: 雑木
4章 不変のさだめ
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49 フォルマとカイリ



 いつか、家族とくだらないことで喧嘩した。

 誰が相手だったかすら忘れた。多分、両親か兄だろう。妹と喧嘩することがあったとしても後に引くことはなかったから。

 僕はその日、始終不満で腹の底に重苦しいものが残り続けて見るからに不機嫌だったはずだ。

 子どもだった。幼いから許された……見逃された感情の発露だった。

 同級生には悪いことをした。居心地悪かったろうし、不快だったはずだ。まぁ彼ら彼女らも日々、年齢相応の幼さを無知に無遠慮に周囲に振り撒いていたのだから同罪、相殺ということで許して欲しい。中には一足先に大人びたものもいたかもしれないが、そこには素直に謝るしかない。

 ともあれ、そんな調子で放課後まで過ごして、いつもの図書室へ向かった。

 第二図書室……という名の、物置だ。

 僕が入学する数年前に新設された図書館にほとんど機能が移り、小説や過去問題集など人気の書籍も全てそちらに持っていかれた。残っているのは貸し出し実績のない不人気本や、破損し修繕を待つはずのほこりをかぶった古い本だけだ。

 司書の先生は図書館の方に居座っているため、こちらはというと図書委員が持ち回りで管理する……という名目になっている。実際はいなくても誰も困りはしない。数人の物好きが静かな放課後を求めて訪れるだけだ。

 その内の二人が僕らだった。

 友人はいつものように分厚い本をぱらぱらとめくりながら、窓際の柱に寄りかかっていた。

 薄暗いその部屋に、外から淡い光が差し込む。

 友人は光に半身を照らされながら、その分半身は色濃い影にいるように見えた。

 僕は確か、どすんどすんと足音を鳴らしながらいつも座っている席まで歩み寄り、勢いよく座ったはずだ。

 そして背中から椅子ごと倒れた。

 思っていた以上に椅子は軽く、僕の体重を受け止めきってくれなかった。

 幸い床は絨毯で、大した怪我もなく僕は座ったままの姿勢で自分に何が起きたか数秒経って理解した。

 友人はゲラゲラ笑い出した。

 腹を抱えて涙まで浮かべ僕を指差し、心底おかしいと言うかのように大笑いした。

 それを見て僕はもしかしたらもっと怒ったっておかしくなかったと、今なら思う。少なくとも傍から見る他人であったならハラハラしたはずだ。

 けれどどうしてか友人を見ていたら毒気が抜けていた。……というのも正確ではない。

 怒りは収まっていた。一日不機嫌でい続けて、とっくに「これ恥ずかしくない?」と気づきつつ、いつ止めるべきか考えていたからだ。矛を収めるタイミングを見失っていただけ。

 間抜けな自分の振る舞いと、遠慮なく馬鹿笑いする友人の姿で、矛がどこかに飛んでいってしまった。


『あーおかしい』


 ひいひい肩を揺らしながら友人の笑いの発作はようやく治まったようだった。

 僕はと言えば、照れ臭くなってしかし文句を言うこともできずむっつり黙り込んでいた。

 友人は、はーっと大きく呼吸してから、こう言った。


『怒るの下手だねえ、君』


 煽るみたいなことを言うので若干「この野郎……」と思ったものの、しかし反論もできず顔をますます歪めるしかできなかった。


『悪いことじゃないけど、そのくせ感情の人なのが面倒だね』


 余計なお世話だ、とつぶやいたのだったか。

 それはそうだね、と友人も肯いた。


『けれど、一つだけ言わせて。怒るならもっと身を持ち崩すくらい怒らなきゃいけない』

『……は?』

『周囲に不機嫌を振り撒いて無駄にエネルギーを浪費するなんてナンセンスだよ。怒りは重要な原動力なんだから、もっと集中して、突き抜けさせるんだ』


 なぜって、と友人は言った。

 優しく微笑みながら。


『怒りがどこに行き着くかで君の人生は決まるんだから』




      ◇




 ぐるぐると黒く重いものが腹の底で渦を巻く。

 全身に不快感をもたらし、脳髄を無駄に疲弊させながらこの感情を忘れるなと吠え立てている。

 上せた頭はふわふわと漂うようで、視界が狭まり上手く身体を動かせない。今、自分がどんな表情をしているかもわからない。強張っているのか、呆けているのか、無なのか。

 彼女の顔がわからない。


「いいんですよ」


 と、声が聞こえた。


「そんな悲しそうな顔しなくたって」


 滾る頭を冷やすように染み渡る声音だった。


「……そんな顔してますか、僕は」

「ええ、とても。あたしにはもったいないくらい。これ以上は何も返せません」


 焦点が合う。

 彼女は……フォルマは、笑っていた。

 初めて会ったとき、魔術について語り合ったときと同じ、屈託なく友人に向けるような笑顔だった。


「それで十分。もういないフォルマには、それだけで大丈夫です」

「……そう、ですか」


 全身に巡っていた黒い感情が落ち着く。

 まだ残っている。腹の底で沈殿している。けれどもう猛ってはいない。

 今これ以上は筋違いだと気づいてしまった。


「落ち着きました?」

「はい」

「なら良かった」


 うん、と彼女は肯く。


「じゃ、話を戻しましょう。色んな感情とか抜きにして答えてください。あの資料は参考になりましたよね?」

「それは……そうですね。はい」


 実験はどんどん非人道的なものになっていき、当初の目的から逸脱していったように思う。しかしそれでも蓄積された人体と魔力との関係を表す情報は大いに役立つことだろう。

 役に立つ。そういう考えを持つことすら少し罪悪感が湧いてしまう。けれど知ってしまった以上、それを思考の外に置くような余裕はない。


「人間の肉体は魔力による変化を拒絶する……これが、あたしたちの結論です。高ランクほどその傾向が高い。けど高ランクはどうも元々魔力を取り込みにくいんですよね。結果として汚染者は低ランクばかりになります。あとは意思と魔力と肉体のせめぎ合いですね。変わりたいと強く思えば魔力は応え、肉体が拒絶する。……思えば、早く昇格したがっていた人ほど、そして汚染者となってしまって悲嘆に暮れる人ほど症状が進行するのは早かった」


 理解できる。僕が資料を読んでいる最中に持った所感と近い。

 当事者であった人、その場を知っているということはやはり大きい。主観の残る報告書では、想像はできても確信が持てなかった。


「肉体に原因がある、これはどうしようもないと思います。結局、あたしたちが取れる手段が魔術である以上、それによって肉体を変えようとすれば確実に拒絶反応が現れます。肉体は変えられない。その前提で考えるべきでしょう」

「そうですね」


 相槌を打ったところで気づく。


「……【種】を作ろうとしたのはそういうことですか」

「そうです。いや今考えるとやっぱり無茶ですね。でも、カイリさんならもしかして可能かもしれません。どこか適当な空いてる源泉地見つけて試してみればいかがです?」

「無理ですよ」


 魔力量の問題だけじゃない。何もかも足りていない。

 この半年というもの、フォルマの修行によって基礎的な魔力運用技術を磨いていたからこそわかってしまう。果てしなく遠い道の先にある技術だ。

 そして、何より問題が一つあった。


「もしできても意味が無いんです、僕だけでは」


 可能であったとして、それで助かるのは自分一人。他の誰も……メグロだけではない、全ての魔力汚染者に適用できる手段でなければ、治療法とは言えない。


「ですよね」


 わかっていたと言わんばかりに彼女は微笑んだ。


「となると、また別の手段を考えなければいけませんが」

「大きな条件は二つ。自身の肉体に手を加えないこと、多くの人に可能であること、ですね」

「……いやー、正直厳しいですね」


 彼女は苦い声を上げる。


「魔力汚染者が最初、これだけはと許可されて覚えさせられる魔術あるじゃないですか。【詰めろ】と【待て】。あれは最低限の魔力制御で汚染を食い止めるという方策だったんですよ」

「聞いたことがあります」


 メグロから聞いた。仕事に使うのは主に魔導士だが、案内人であっても誰でも魔力汚染者なら必要なものだと。


「問題は、魔力汚染された肉体は日々の生活で大気から魔力を取り込んでいることなんですよね。だから、いかに術で魔力を留めても取りこぼしが出てくる。術によらず自分の意思できっちり魔力制御していないといけないんですが、気を抜く瞬間は誰にでもあります」

「少量の魔力でも無意識下で変化への欲求に反応し続け、ある日突然肉体に拒絶反応が現れる……そういうことですよね」

「そうですそうです。なので、多くの人に可能な手段であっても、継続して可能かどうかはまた別の問題かなー……と、思っちゃいますよね」


 嘆息する彼女の様子を見ながら、僕は自身の情けなさに歯噛みしていた。

 この議論は、おそらく彼女からしてみればとっくに通過しているものだ。可能かどうか考え、試行錯誤し、取れる手は打った後、限界が来た肉体を前にして彼女は賭けに出たのだろう。分の悪すぎる賭けであっても、可能性が一筋でも残されているならと。

 結果が今だ。

 そこに僕は何も言えない。

 すぐに新しい手を思いつくこともできない。


「だから、そんな顔しないでいいんですよ」


 その言葉に、沈んでいた顔を上げる。目が合う。


「また、してましたか」

「はい。悲しそうな顔。カイリさんは優しいから、周りの人のことをたくさん考えてしまうんですね」

「……そんな、ことは」


 ない、と思う。

 口にはできなかった。今、彼女を否定するようなことを僕は言えなかった。


「あたしはもう終わったんです。今、ここにいるのはそれこそ影のようなもので。影から少しだけ役に立ちそうな情報が得られた、その程度に思ってください」

「……無理ですよ」

「その優しさはどうか生きている人に。あなたは他人に心を尽くせる人だから、それは今生きて、あなたを大事にしてくれる、あなたにとっても大事な人に使ってあげてください」


 そして、にっこりと彼女は笑った。


「あたしがお役に立てるのはここまでです。ここから先は、あの子に考えがあるみたいなんで、もう代わりますね」


 立ち上がった。


「それじゃ、お元気で」


 【影】が床より湧き上がり、一瞬で彼女を包む。

 すぐに滴り落ちるように影は消え、そこにはもう同じ顔の別人がいた。

 暗いドレス姿の、魔族のフォルマだ。

 ほんの少し前まで同じ顔が浮かべていた屈託のない幼気な笑みとは違う、不敵で小馬鹿にするような笑みがそこに張り付いている。


「明日、最後の課題を与える」

「え?」


 それだけ言って、彼女は消えた。

 影に溶けたように、その姿が失われていた。


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