50 はじまりの
次の迷宮に向かう道すがら、フォルマはずっと黙って僕の横にいた。
僕も何か口にしようとは思わなかった。
居心地が悪いわけではなかった。彼女が不機嫌そうに見えたわけではないし、僕自身に思うところも特に無い。言うべきことも言いたいことも何も無いだけだった。
ただ乾いていた。
日が中天に差し掛かる頃、いつか見覚えのある道を進んでいく。
遠くに見える山の形、街道近くにまで広がる林、丘を迂回し、川に架けられた橋を渡る。
静かで、穏やかで、変化がない……もうすぐなのだろうと悟るに十分な時間だった。
果たして、沈黙は破られた。
「カイリ」
フォルマが僕の名を呼んだ。
「はい」
僕は応えた。
【影】で編んだ傘を差し、陽光を遮る彼女の顔は暗く、見えないが僕の方を見ていないことはわかる。視線も寄越そうとしない。その顔には何も浮かんでいない。
「私は君のことが好きじゃない」
「知っています」
自然にその言葉は僕の耳に届いた。
だから僕もただ感じたまま一言で肯いた。
「君に興味がない……は嘘か。興味深くはある。けれど、それが好意に変わるわけじゃない」
「はい」
フォルマは僕に好意を持っていない。
最初からわかっていたことだ。自身を撃退した人間への関心と、僕の魔術に対する興味を彼女から感じたことはあれど、好かれているなと思ったことはない。
僕に近づいてきたのは人間を知るためだと言っていた通りだ。
どうして人間が知りたいかは聞いていない。でも想像はつく。彼女がなぜその姿でいるか、その姿を作ったかを考えれば。
「そもそも好悪というものがわからない。必要なものかな、それ」
「感情はあるものなので、必要を論じるには不適じゃないですかね。選べないんですよ」
「私には余分に思える」
「余分を抱えたまま増えちゃったんで、前提にするしか無いんですよ」
「どこかで捨て去っていた方が楽だっただろうに」
彼女は影の中、吐き捨てるように言った。
「私にはわからない」
もう彼女は返事を求めていなかった。
涼やかな風が吹く。
会話が途切れる。
後に続くことはない。
交わされたものなど何も無かったように、僕らはまた乾いた静寂を間に街道を進んだ。
◇
「いや、それはいくらなんでも承諾できないよ」
「許可いただけなくともやろうと思っています。これは報告に来ているだけで」
「困るなあ」
「いざというときは何も聞いていなかった、ということにしていただいて結構です」
彼はまた「困るなあ」と言った。
横を向き、僕を視界から外している。それ以上何も口にする様子が無い。
「では」
礼をして、館長室を後にする。
扉を閉じるまで、館長からの返事は無かった。
東部三十六番迷宮……基本はよくある洞窟型。特徴としては色鮮やかな結晶があちこちに生え、場合によっては通路や部屋全て結晶に囲まれていることがある。さらに魔物も、多くは尋常の動物を変化させたものだが、身体のどこかに結晶を生やしている……寄生されている、と見るべきだろう。外見だけなら小型のボスと勘違いしそうなほど【種】によく似ているが、それほどの力はない。元はただの結晶に魔力が凝縮され、それによって魔物を常に強化し続けている。迷宮の構造は単純で、あくまで魔物主体で侵入者対策をしている。
「……ただ、結晶が密集した場所は魔物がいなくても厄介ですね。結晶間で流れるというか、なんだろうこれ、投射? とにかく、魔力が行き交っていて、体力奪ってきますね。そこを魔物に襲われると相当厄介ですよ」
「君ならどう攻略する? チームで行くとして」
「普通に力押しですね。魔物に力を入れているということは、裏を返せば迷宮そのものは簡単にせざるを得ないでしょう。そこまで力を入れてたら自分に使う魔力がなくなります。多分、高ランクをガンガン投入すればすぐに攻略できますよ」
しかし、そうはなっていない。
ランク3をトップとし、ランク2が多くを占めるここの攻略隊で回している。優先度が低いようだ。間引きだけはしっかりやる方針だろう。この半年間よく見た。
優先度が高ければ高ランクによってすぐ攻略されるとも聞いた。
基本、東部は後回しの迷宮しか残っていない。攻略隊全体の戦力の多くは南部に回されている。
「一応、さらえる限りの隠し通路は発見しました」
「見落としは?」
「無いと思います。中頃までなら網羅できたはずです」
今、【霞】を広げている。半年前までより遥かに広く、遠方の隅々まで行き渡っている。
その範囲の情報も、前までであればもっと時間をかけて精査していたが、精度も速度も上がった。
フォルマから施された修行のおかげだ。
魔力を広げ、制御し続ける。ただそれだけ。ただそれだけのことで魔術を根本から支える技術が上がった。正確にいえば、安定した。劇的に威力や効果が上昇したわけではない。余裕が生まれた。時間であり、体力であり、意思の余裕だ。
半年前ならまだ残っている隠し通路があるかもしれないと思うが、今ならほとんど断言できる。無い。あるとすれば、ここのボスはよほどの凄腕だ。搦手じゃ敵わない。
「ま、そんなとこだろう」
「フォルマさんはどのように見たんですか」
「君と変わらないよ。奥まで見たけど、似たようなものだった」
そして、僕の師匠であるらしい女性の技量も思い知る。
何でもないことのように、僕がこの迷宮を半分ほど調べる間に全てを暴き立てている。
【影】が走るのに気づく人間はいない。
魔物であろうと彼女の操る【影】には早々に気づけない。たとえボスであろうとも。その枕元にまで忍び寄られようとも。
「とりあえずこれで館長に怪しまれない程度の報告できますが、そろそろ教えていただけますか、三日も迷宮内に留まり続ける許可をとった理由を」
この迷宮に潜る前、館長に会いに行き、迷宮内で日をまたぐ許可をもらった。僕のような年齢の案内人が一人で潜るなど、許される要素は何もかも無かったがゴリ押しした。キリエの紹介状と、やはり〈契約〉が働いていないのが大きいだろう。
何としても止めなければならないと思えなかったに違いない。
そして、その指示を僕に下したのはフォルマだった。今回はまとまった時間が必要だと言い出した。
彼女は「うん」と肯いた。
「では、この迷宮を出ようか」
「……え?」
◇
いつか、メグロと話したことがある。
僕が魔力汚染者になった経緯についてを。
いつのことだったか。一年以上前ではあるはずだ。【影】……フォルマとの戦いが終わり、メグロと旅を始め、それにも慣れた頃だった。
迷宮がもう死んでいる山の頂上だった。
一通り見回りが終わり、僕らは昼食をとっていた。
『俺がお前たちの山を見回ったのは半月前のことだった』
突然メグロが口を開いた。
『は?』
と僕が間抜けな声を上げるのにかまわず、彼は僕を見ようともせずに話を続けた。
『あの山は少し特殊なところがある。三つの小山が隣接し、一つの迷宮を形作っている。内部には源泉地が三つあったらしい』
『はあ』
『といっても、源泉地の一つ一つは他と比べても規模が小さく、合わせて同じ程度と判断された。実際に、他と比べて強いボスだったかと言われるとそうではなかったらしい。やりにくかったとは聞くが』
『……』
『俺の仕事は変わらない。山に入り、大気に漂う魔力を確認し、想定よりも濃くなっていないか……封印が漏れていないか調べるものだ。あのときも異常はなかった。学舎近くの泉を見ても変わりはなかった。時折少し魔力量が増えるので、抜くことはあったがそれもなかった。半月後、急に泉の魔力が増えたと聞いた。向かうと、確かにそうなっていたが原因はわからなかった。ひとまず魔力を抜き、一度上に報告してからまた戻ろうとした』
メグロは僕を見た。
『その間に、お前が泉に落ちた』
僕は肯いた。
『そうですね』
『急に活性化した泉に何が起きたかはいまだにわからない。お前を監督するようになってから俺はあの場の担当を外れた。お前が当時を思い出してしまうだろう、ともっともらしい理由をつけて』
『思い出す……?』
『魔力汚染は忌まわしいものだ。たとえどれだけ役に立とうとも』
『ああ』
『その後、理由がわかったとも聞かない。担当が誰だかも知らん』
『……』
メグロは鼻を鳴らした。
無愛想な男であるが、珍しく本当に苛立っているようだった。
『あの泉に、あの山に何が起きた?』
それは独り言に近かった。
別に僕に答えを期待しているわけではない。ただ多少なりとも関わっているから言っておくか、程度のものだ。会話が下手なこの男らしい会話だった。
しかし、変化を一つ、僕は知っていた。
『そういえば』
『うん?』
『ランク5が来たらしいです。僕が泉に落ちる数日前に』
『……何?』
『同期が会ったって言ってました。何だったかな、確か任務で来たとか何とか』
『待て』
『はい?』
気づくと、メグロは険しい顔をしていた。眉間に強く力がこもっていた。
『ランク5と言ったな。間違いないのか?』
『直に会ってないので知りません。ただ同期のランク3ともう一人優秀なやつが学長に引き合わされたそうです』
険しい顔のまま、メグロは僕を見ず、ぶつぶつと何事かつぶやいていた。
『学長が……だとしても〈暗示〉程度はかけてそうなものだが……対象外となったのか……』
そして、唐突に僕の肩をつかんだ。
『このこと、他の誰かに言ったか?』
『いえ』
『では、今後二度と口にするな。誰にも、俺にもだ』
僕が肯くのを確認すると肩の手を外し、押し黙った。
眉間には力がこもったまま、何かずっと考え込んでいるようだった。
◇
あたりは薄暗くなっていた。
視覚を強化することで問題なく周囲の地形を認識できているが、必要なかったかもしれない。
何度も何度も目に焼きついた風景だった。
「ここは……」
「見覚えがあるはずだろう」
フォルマは言った。
静かな声だった。
「君が魔力に汚染された場所だよ」
山も森も森から漂う泉の気配も変わらない。
そして、遠くに見える建物も。
僕が物心ついてからずっと過ごしていた学舎がそこにあった。




