45 手紙
東部八番迷宮に潜っている間、フォルマは僕にひたすら地味な訓練……修行と言うしかないようなことを課してきた。
「そう。術にしてはいけない。ただの魔力を広げる。もっと、もっと。昨日よりは広がったね? その状態を一時間維持」
「う、ぐ……」
返事をする余裕はない。
魔力を空間に広げる。普段から【霞】でやっていることと似ているが、感覚で言えばかなり違う。
魔術が仕立て上がった衣服だとすれば、魔力はその糸の一本、繊維の一筋に等しい。衣服は着用できるが、糸はひっかかるだけだ。すぐに落ちてしまう。
魔力を自分という器の外で常に制御下に置き、しかも広範囲に拡大させるなんて、僕にとって無理難題に近い。ギリギリまで精神力を振り絞らねばならない。
「君、【支配】とかいう術を魔力にかけてあるだろう? あれで相当楽になってるはずだよ。実際、私もすぐには手を付けられなかったんだ。厄介な術だよね」
彼女の言う通り、僕は魔力を常に制御下に置いておくため【支配】を作った。一年前の彼女との戦いにおいて、最後の最後でそれが役立ってくれて、備えをしておくに越したことはないと思ったものだ。
ただ【吸収】で奪われるように、留めておく力はない。あくまで自分という器から離れても、すぐには他者に使われないようにするための術だ。
しかし、ここは迷宮だ。
他者の、ボスの領域になる。
術として構成されていないただの力など、少しずつ確実に削られていく。それが全体に及ぶのだから、維持しようとする意思さえ苛まれていく。
「耐えなさい。確かに【雲】にしてしまえばずっと楽に広げられ、結果的に消耗も少ないだろう。ただし、相性の悪い敵にはすぐに負けてしまう」
相性。
本当にそれはある。
フォルマの【影】、キリエの【雷】、その両方とも僕と相性が良かった。全体で見るとまるで違うのに、どこかが噛み合っている。
だから【影】は制御を奪え、【雷】は威力を増幅できたのだと思う。ただしそれは、相手から見ても同じことが言えるはずだった。
「たとえばそう、【風】なんか君とは相当相性悪いはずだ。瞬く間に吹き飛ばされてしまうだろう。そういう相手にどう対抗するか……逃げるか、さもなくば力押しだよ」
すでに一割削られている。
あともう一割が限度だ。それ以上は早々に回復できない。明日以降に響く。
「君も少しはわかってたはずだ。魔力を物質化した術を複数用意したのはそういうことだね?」
【魔弾】、【障壁】、【刃】。
実際そんなに得意な術ではない。今、魔物を相手にすることがあるため単純殺傷力を求めて【刃】はよく用いているが、他二つはほとんど使っていない。
それでも必要になるときがあるだろうとちまちま改良はしていた。何より、得意でないというだけで消費は軽い。
「術の特性に頼っているだけでは、基本の力が伸びない。出力、制御力、持久力だよ。肉体と同じだ。鍛えねば身につかない」
学舎の訓練を思い出してしまう。
嫌いではなかったが、好きでもなかった。しかし、結局ああいう地道な繰り返しが力になるのだろう。
……その日、結局一時間かけて魔力を三割ほど持っていかれてしまった。
◇
フォルマと修行する内に、一ヶ月は瞬く間に過ぎていった。
この東部八番迷宮の探索も結構進めることができた。無理に奥底へは行かず、浅いところから中頃までの隠し通路をおおよそ見つけ、ついでに魔物の巣がありそうな箇所に目星をつけておいた。
やり過ぎない……つまりボス部屋を発見しない程度の功績を上げた。
さて、次はどこへ向かおうかと考えていたところ、手紙が二つ届く。
リュイスとキリエからだった。
リュイスの方は簡単だった。彼女がいつメグロのいる閉山舎にいるか、日付が書かれたものだった。この期間に来いということで間違いない。次の迷宮に向かう前に寄ることにしよう。
キリエからは少し込み入った話が書かれていた。
『親愛なるカイリへ
お変わりないでしょうか。わたくしは日々、新たに覚えねばならぬ職務が舞い込んできて大忙しです。こんなことを言ってしまうとまた父に叱られてしまいますが、あの短くも濃密な迷宮攻略を懐かしく思ってしまいます。まだ一月も経っていないというのに、もう遠い昔のよう。少し寂しいですね。でも、この思い出があるからこそわたくしは今、憂いなく役目を果たすことができています。あなたのおかげです、カイリ。
その恩人であるあなたに残念で腹立たしい知らせを伝えねばなりません。希望された研究資料ですが、あなたに与えられるのは当分先のことになってしまいそうです。学院から反対の声があります。ケインに探らせましたが、どうやらやはりあなたの年齢を問題視されています。あなたの実績に疑う余地はありません。学院の連中ときたら、なんて頭が固いのでしょう!
わたくしも働きかけ続けます。必ずあなたに報いましょう。
あまり長い手紙はうるさく言われますので、このあたりで筆を置くことといたします。
再会を待ちながら キリエ』
……困った。
正直に、困った。
ここ一月、フォルマとの修行にかまけていたのも、研究資料を待っていたところがある。
それがまた当分見れないとなると、先が決められない。何をするかも迷ってしまう。他の迷宮に行くのはいい。また待つのも構わない。けれど、いつまで待つかわからないのは嫌だった。
自分一人で考えていても埒が明かない。ひとまず僕はフォルマに相談することにした。
「ふうん」
と、僕の話を聞いてまずフォルマはそうつぶやいた。
どうでもよさそうというほどでもないが、あまり関心は高くないようだ。
迷宮の中、いつものように他の人間が下りてこないくらい深くにある小部屋に僕らはいる。
「仕方ないんじゃないかな」
「仕方なくは……」
「だからって君、無理やり資料を盗み見ようとかそういうことは考えてないんだろう? 少なくとも今は」
「問題になります」
「問題を力づくで潰せない。それが君の弱みだね」
彼女はため息を吐く。
「フォルマもそういう扱いを受けていたようだよ。この身体の元の持ち主も」
胸元に手を置き、彼女はそう言った。
「多分、下手すると君より悪い扱いだったんじゃないかな。そう若くなく、案内人として力量が高いわけじゃない。実績から見ても、資料を閲覧できるほどじゃなかった。望んでいたけどね」
「……」
「君のように、彼女も治療法を求めていた……これは当たり前の話か。察していただろう?」
「魔術の研究をしていたというなら、くらいには」
「そう。で、当然叶わなかった。彼女には運も才能もなかった」
「……」
「君には時間がある。何を焦る。私が保証するけど、君は限界が来る前に解決策を見つけるよ」
治療法、と彼女は言わなかった。
そこに言及することはせず、僕はただ決めたことを口にする。
「世話になった人にもう兆候が現れています。急がねばなりません」
は、と彼女は笑い飛ばした。
意地の悪い、よく彼女が浮かべる笑みが、さらに深まっていた。
「ならなぜ私に聞かない?」
瞬間、すう、と背筋を氷でなでられたような気がした。
呼吸がごちゃつく。ニヤつく彼女の顔が遠く見える。
「魔力汚染に治療法があるか、と聞けばいいじゃないか。君たちの言う魔族だぜ、私は」
「……」
「信用できない? 師弟となったからには今更だろう。むしろ私がどのように答えたか、それを判断材料にできる強かさが君にはあるはずだ。らしくない……と思ったけど、違うか。悩んでいるんだな、君は。だからこんな、愚痴のような意味のない話題で私の反応をうかがっている」
ふうっと彼女は息を吐き出した。
「結論から言おう。知らない」
……それは、おそらくそうだろうと思いながら僕が今日まで確かめられなかった答えだった。
「知らない、というのはどういう意味ですか」
「言葉通りだよ。魔力汚染なんてね、ここに来て初めて見たものだ。なんでそんなことが起きているか、私にはまるで理解できない」
「……」
「いい機会だから教えておこう。私はこの国が戦争しているやつらとは関係がない。もっと遠くから渡ってきたものだ。正直ここらへんのやつらなんてほとんど知らない」
「魔族にも種の違いがあるってことですか」
「そりゃあるだろう。君、今まで迷宮潜ってきて似通ったボスがいた?」
「……いません」
「これも断言したって構わないが、戦争しているものと迷宮のボスも関わりないはずだ。少なくとも同族ではない。共通点は君たちの敵であるということだけ。お互いの存在を知っているかすら怪しいね」
だからね、と彼女は言った。
「国境と迷宮、両方で魔力汚染が起きるということは、魔族側が示し合わせて仕掛けたことではない。誰も意図していない出来事だろう」
沈黙が下りた。
彼女は口を閉ざし、僕を見ている。何も言うことができない僕を。
……どこかで想像していたことだった。
一年以上、魔力に触れ、考察し、研究を続けている内に気づいたことだ。
魔力それ自体に毒性はない。
ただ、応えるだけだ。
だからもしも魔力を取り入れること自体が死を招くというのなら、その原因は、それは……
「君は、魔力をどのようなものと定義した?」
彼女が尋ねてくる。
僕は、いつかメグロに似たようなことを尋ねられたと思いながら、そのときと変わらぬ答えを口にした。
「意思に応え、望み通りに振る舞い変化しようとする力です」
口にして気づく。
もうあのときには気づいていた。
ただ目をそらしていただけだった。
フォルマが微笑む。
「君は正しい」
そして、こう続けた。
「だからやはり、君たち人間は変化できない生き物なんだろう」
あるいはそれは、僕が初めて彼女に決定的な断絶を覚えた瞬間かもしれない。




