46 変化の【種】
東部十五番迷宮……地底湖で僕たちはボスを討つことができた。
最後の一撃こそ【影】が加えたものであったにせよ、瀕死にまで追い込んだのは僕たちだ。さらに言えば誰も【影】に気づいていないのだから、僕たちが討ったと言って間違いはない。
キリエは約束を守った。
僕に、ボスの結晶を調べる時間をくれた。
イーライが難色を示していたようだったが、最後には黙認という形を取った。あの状況下、キリエが認めたことを覆す力はなかったのだろう。
魔力汚染者は少なくとも名目上、教会が管理しているという。そこのルールに引っかかる行為なのかもしれない。
そもそも、結晶はすぐに破壊すべしと言われているのだけれど。
ともあれ僕はあのボス……黒い鰐の腹を裂き、その心臓と一体化していた結晶を取り出し、それに〈解析〉を走らせた。
……すぐに顔をしかめる羽目になった。
何もわからなかったわけじゃない。むしろ、わかりすぎたと言うべきだろう。
〈言語〉スキルに潜ったときと似ている。
情報の海だ。一瞬で僕の脳の許容量を超える。さすがに慣れてきたため、〈解析〉結果をいきなり取り込むような真似はせず、少しずつ参照する。
すぐにわかったことが一つある。結晶はもう死んでいる。
【影】の魔力がわずかに結晶内部に残留し、その中枢を砕いたことを示していた。まるで僕に存在を教えるように。
【雷】はボスの肉体をほぼ殺しきった。最後の一線、僕がまだ途絶えていないと感じた生命……意思はおそらくこの結晶から発せられていたものだろう。それを断ち切ったのは【影】だ。
ボスの肉体も軽く調べる。花とは違い、こちらは爬虫類と言えど動物だ。脳があり、心臓がある。骨、筋肉、神経、全て揃っている。
きっと普通の鰐とは何もかも違うのだろう。材質から密度、強度、性能まで何もかも。同じものと扱っていい存在ではない。しかしその延長線上にはある。
魔物と同じだ。あらゆる点で通常の動物を越えているが、ある1点を除き、通常の動物の枠を広げた形でしかない。
魔力があるかどうか。
黒い鰐も元の生命体があったのか、それとも一から魔術によって構築したのかわからない。そこまで調べている暇はない。
花のボスを調べたときもやはり似たようなことを感じた。
この存在が明確に他と一線を画する部分があるとしたら、それはやはり結晶以外に無い。
花のときは現物に触れることは叶わなかった。
今、触れているこれはもう死んでいる。意思はない。
それでも、ようやくわかってきた。理解が及んできた。
……これは、魔術だ。
肉体を魔術によって構築、変化してきたことは察していた。わかっていた。
それとはわけが違う。
これは僕の【魔弾】や【刃】と同じものだ。
魔力をただ物質に変換しただけのもの。
【雲】のように複雑な構築を組んだり、新たな効果を付与したものではない。
純粋な魔力の結晶だ。
ぞっとする。
【魔弾】や【刃】と同じ? 桁が違う。あんなものは、短時間力を発生させ、物質のように振る舞わせているだけだ。
これは違う。この結晶は。
莫大な魔力、甚大な意思をもって生み出した本物に等しい。
魔力はわかる。源泉地などという無尽蔵の場を占有すれば得られるだろう。
意思は違う。常にこの結晶を維持するためには休んでなんかいられない。
絶えず意識し、休むことなく認識し続けていたに違いない。
生命には無理だ、それは。
肉体あるものに、そんなことはできない。
だから、この結晶自体に自身の意思を移した……のか?
恩恵はわかる。魔力自体に自分の意思を移せば、反応は早くなり、純度はより高まる。
肉体を強化する手を止める必要がなくなる。
休めない代わりに、休まずともすむ精神を得られる。
……耐えられるのか、それは。脳の限界という枷をなくした精神は、無限に思い続けることに耐えられるのだろうか。
そこまでして、変化し続けたいのか?
◇
「より強く、より速く、より大きく……これが我々の本能だ」
まるで熱のこもっていない声音だった。
静かに、平淡に、いっそつまらなそうに。
だからこそ真実だと思わせる言葉だった。
「生命に根ざしたものだよ。誰もが逃れられない。君だってわかるだろう?」
「……欲望、ですか」
「そう」
フォルマは微笑んだ。
「何かを求めるということ、それは前提として未だ手に入れてないということだ。この身に初めから備わっていないものをね」
「……」
「たとえば常に生命の危機に脅かされる状況にあれば多くは強さを求めるだろう。あるいは、危険を避ける手段かな? 足とか、気配を隠すとかね。危険と同化するなんてのも意外とある」
「……」
「求める。願う。欲する。魔力は応える。どうなると思う?」
「肉体が変化するんでしょう、大体は」
「当たり。大体はね」
くすくすと笑う。
幼さの残る顔によく映える表情だった。それが本来、彼女のものではなかったとしても。
「より強く、より速く、より大きく。その場その場で求め、魔力は応え、変化する。そしてあるとき気づくんだ。バランス悪いなって」
「ああ……」
「当たり前の話、行き当たりばったりの変化に統一性はない。以前の形を邪魔する変化なんてザラだ。今でも馬鹿が陥りがちの失敗だね」
つい、と彼女は指を上げた。す、す、と動かす
その先、指を包む手袋が揺らめく。空間に絵を描くように【影】の線が残されていく。
「そして考える。この変化は失敗だ、先がない。より遠くへ行くため、君なら何を選ぶ?」
「……備えること、でしょう」
「そう。求める前、備えておく。自分に何が無いか、何が要るか、あらかじめ考え、そのときが来る前に作り上げる」
くる、と指が回る。
すると宙空にデタラメな絵を描いていた【影】が、すごい勢いで彼女の指へ戻っていく。
「魔術はそうして生まれる。我々の軌跡にして標だ」
「軌跡にして標?」
「自分はこのようなものが欲しいに違いないと考え、生み出す。その積み重ねの内で、自身が本当に何を求めているか、どこへ向かうかを導き出すためのね。……ま、君にはまだ先の話か。あるいは必要ないかもしれない」
確かによくわからない話だった。
強調するほどのこととも思えない。詳しく聞き返す前に彼女はまた口を開いていた。
「魔術を使い出す。すると、また問題が出てくる。今度はもっと単純な話で、魔力量だ。魔術を使うには当然魔力が要る。体内に貯め込むのが楽だし確実だ。するとちょっとしたことで魔力はまた肉体を変化させようとしてくる」
「……」
「これは魔力に働きかけることで解決した。君も似たようなことをしているね。魔力を不活性にさせるんだ」
【固定】のことだろう。あれの元はメグロの、引いては魔導士の術だ。魔力を動かさないための術だと思っていたが。
「それはそれで不便だ。すぐに使えない。さらに器には限度がある。どこかで頭打ちになるのは当然だ。魔力を濃縮させる手もあるが、これも根本的な解決ではないね?」
うかがってくる。
わかるだろう、と暗に言われている。
「器を拡張するしかないでしょう。確固たる計画のもとに」
「さすがだ」
彼女は首肯し、ふふふ、と笑った。
「君、この問題に直面しているものね」
嘲るような笑みに、僕は「そうですね」と肯定した。隠すことでもなかった。
今、僕の体内には【固定】と【圧縮】を重ねがけした魔力がぱんぱんに詰まっている。一部を解放させ、すぐに使えるよう循環させているだけだ。
不便だし、量にも不満がある。
器の限界を考えずに全て解放したとしても、たとえば今まで見てきたボスたちとは張り合えない。一割にすら届いているかどうか。
もちろん、目の前の魔女にも負けている。
「ま、そういうわけで身体の改造に着手するわけだが……これまた大量の魔力を必要とする。さらに、その魔力を制御し続ける意志力も」
「前者は迷宮ですね」
「そうだね。君たちの言う源泉地に繋がれば魔力量の問題は解決する。別の問題が出てくるが、これは今は関わりない。それで、後者の方なんだけど」
鋭い目が射抜いてくる。
「君、調べたね?」
何を、と彼女は聞いてこなかった。
僕も聞かない。自明のことだ。
「調べました」
「どうだった?」
「……信じがたい、というのが正直な感想です」
「そうか」
と、彼女は言った。
「フォルマとは違うね」
「えっ」
「あの子はこれを見たとき、羨ましいと言ったよ」
【影】のドレスがざわめく。
大きく一度、ぶるっと震えるや、ゆっくりとそれが姿を現す。
結晶だ。
肌に張り付くようなドレスから浮き上がるように、彼女の下腹部に透き通った紫紺の結晶が現れていた。
「【種】とか【卵】とか呼ばれるものだ」
さっと彼女の手が下腹部を撫でると、それは消えていた。
たった数秒見ただけだった。
それだけで気が遠くなりそうだった。今まで生きてきて、これほどの圧力を感じたことはなかった。
生きているとか死んでいるとかの問題ではない。はっきりと、あの黒い鰐のそれとは別物だった。桁が違う。
彼女がまた口を開いた。
「フォルマは変わりたかったみたいだ。けれど変われなかった。そのことに苦しんでいた」
「……」
「魔力による変化の果てに、苦痛が訪れることはある。どうしようもない限界はある。しかしそれは、行き着いた先のことだ」
……ようやく、僕にもわかった。
彼女は怒っていた。
「君たちはなぜ、変わることもできずに苦しんで死ぬんだ」
僕たちの有様を理不尽だと責め立てていた。
「私は、それが知りたい」
同時に、どこか嘆いてもいるようだった。
「……僕に近寄ってきたのは、それが理由ですか」
問うと、彼女は肯いた。
「そうだ」
「なるほど」
「気を悪くした?」
「いいえ。納得しました」
本当だった。
目の前にいてもどこにいるかわからなかった彼女の位置が、今はわかる気がした。
「……フォルマさん、その身体の持ち主の。大事な人だったんですか?」
「いいや」
彼女は肩をすくめた。
「短い間、一緒にいただけだよ」
何でもないことのように言うものだから、それ以上は聞けるはずがなかった。
数秒の沈黙の後、彼女が口を開く。
「……君の修行を続けよう」
「え、でも」
「他に何ができる?」
「……」
「変われないのなら、備えておきなさい」
その言葉に、肯く以外はできなかった。
◇
研究資料の閲覧が叶うとキリエから報せが届いたのは、それから半年後のことだった。




