23 魔導士との別れ
家族のことを思い出した。
つまり夢の中の、いつかの僕とともに暮らしていた人々のことを。
とは言っても、これといった思い出は出てこない。家族は家族であり、特別な存在ではない。最初からそばにいたから特別であるという意識が持てない。
いなくなってからわかると人は言う。
全ての価値は失ってからわかると。
それでは遅すぎるから普段から近しい人は大事にしろ、なんてお説教につながるのが世の常だ。
僕は仕方ないことだと思っている。
この世の大半は手遅れで、人は問題が現れてからでしか問題を解くことができない。なのに、問題が現れる頃にはもう完璧に解決するのは不可能になっているものだ。
……結局、僕はわかる側に回らなかった。
わからせる側になってしまった。
自分が死んだ時の記憶はない。
何度繰り返し夢を見ても、どれだけ記憶を遡ろうとも、自分がどうして死んだのかわからない。
事故か、病気か、はたまた殺人か。
知らない。もう知る由もない。
一つだけわかっているのは、最後の記憶を漁っても普通の家族だったということだ。
朝のこと。
何の変哲もない朝を覚えている。
泰然と新聞を読んでいる父、子どもたちの朝が遅いことにカリカリしている母、妹に朝からかまおうとする兄、最近兄二人が鬱陶しくなってきて邪険にする妹……
何も変わらない。家族は何一つとして普段から外れていない。
だから、僕がそこから失われて、家族は一体どう思っただろう。
僕の価値をあの人たちは真に理解することができたのだろうか。
引きずらなくていい。でもできれば時々でいいから思い出してほしい。その程度を望んでいる。
失わせた僕にそれを望む資格があるかはわからない。
◇
今、僕の前にメグロが立っている。
いつもと変わらない。濃紺の髪はボサボサと手入れされておらず、目元が窺えない。左腕は失ったものの、その佇まいの隙の無さに変化は無い。
そう思いたかった。
「寝不足からの貧血……」
「そのようだ。すまん、心配かけたな」
「……んだよ。驚かせやがって。この野郎がよー」
リュイスが手の甲でメグロの右肩を叩く。
鬱陶しそうな顔をしながらも、メグロはそれを止めない。
「つーか何をそんなに眠れなくなるようなことがあるんだっつー。んな図体して何か悩み事か? ああ?」
「大したことじゃない」
「大したことじゃない。けっ、大したことじゃねえなら倒れんじゃねえよ馬鹿が」
「ああ、すまん」
メグロは素直に謝った。
リュイスは一瞬表情を崩しそうになり、すぐに不敵な顔に戻してまた彼をからかおうとする。
「汚染が進行したんですね」
その光景を僕は一言で壊した。
メグロは鋭く僕に顔を向け、リュイスは動きを止めて、うつむいた。
「……カイリ、なぜそんなことを」
「左肩、魔力が集まっています。……制御が弱くなっている。気をつけてください」
「……」
メグロは左肩に手をやる。その先、失われた腕の断面に魔力が集っていることに彼も気づいただろう。言われなければ気づけないほど、彼は消耗していた。
魔力はすぐにメグロから排出され、杖に宿る。意識さえすれば支配に淀みはない。逆に言えば常に気を張っていなければ、彼は魔力を支配しきれなくなっているのではないか。
「寝不足なのは、意識を失うとそうなるからですか」
「……気づいていたのか?」
「いいえ。あなたは制御しきっていた。そんな様子、今日初めて見ました。でもあなたの体力が落ちていることは、なんとなく」
「そうか」
メグロは息をついた。
上を見上げる。かつて彼が口にした言葉がまた蘇る。
『軽症であれば十年は動ける。次の五年は体力が激減する。さらに三年で急にやせ細り、苦しみ抜いて二年で死ぬ。これが最も理想的な末路だ』
あのとき彼は自分のことを五年だと言った。
それから一年。合わせて六年となる彼に、ついに予兆が現れた。体力が落ちてきたのだ。
「おい」
小さな、震える声が上がった。
リュイスのものだ。
「本当か、今の話」
「ああ」
「なんで誤魔化そうとした」
「……まだいけると思ったんだ」
「馬鹿が。んなこというハナタレがいたらてめえどうしてたよ」
「怒鳴りつけて強引に休ませた」
「アホが。逆の立場になってどうする」
「……すまん」
「馬鹿野郎」
リュイスはメグロの右腕をつかんでいた。すがりつくような仕草だ。
「実際まだ当分は動けるだろう。この具合だと俺が見てきた限り……一年はいけるか。二年はわからん。三年後には療養所だろう」
他人事のようにメグロは言った。
ここでそういうことしか言えないのがこの男なりの誠意だとわかっていた。できれば隠しておきたかったことも。
僕が暴いたから言わざるを得なくなっただけだった。
「メグロさん」
「お前の面倒を見るのも難しくなるだろう。別の魔導士を紹介する」
「いいえ、いりません」
「……何?」
メグロは怪訝な顔を見せた。
あるいは、やはり予想していたのだろうか。
「僕は、案内人になります」
そう言ったとき彼は険しい顔のまま、しかし驚いてはいなかった。
激しい反応を見せたのはリュイスの方だった。
「ざけたこと抜かしてんじゃねえぞカイリ」
僕の前に立ち、表情を作らず彼女は見下ろしてきた。
「ふざけていません。本気です」
「こんな小せえナリでンなこと抜かすやつがふざけてなくて何だってんだ」
「ずっと考えてたことです。攻略隊にも前から誘われてました」
「館長か」
メグロが口を挟んだ。
「はい、今すぐにでも案内人にならないかと」
「こんなチビにカスみたいなこと言いやがるやつだな。どこか教えろ、ぶん殴りに行く」
リュイスはますます昂ぶっている。
申し訳ない、という思いがまた湧く。そんな気持ちは過分だ。僕はもっとどうしようもないやつで、だからどうしようもない方向に自分から行きたがってしまう。
「……お前の扱いは特殊だが、基本的には新たに汚染者となったものと変わらない」
メグロが言った。いつもの口調だった。
「以前聞きました。最後は自分で選んでいいんですよね」
「そうだ。最低限の魔力制御を覚え、汚染の進行をできる限り自分で抑えられるようになったなら後は好きにしていい。魔導士の資格を得るのも元の所属に戻るのも、早くから療養所に行くのもいい。案内人も選択肢の一つだ」
「あなたから見て、僕の魔力制御は合格ですか」
「わかりきったことを聞くな。とっくに俺より上だろう」
ふん、とメグロは鼻を鳴らす。
僕もへらっと笑った。
「なーに男同士でじゃれ合ってんだアホくせえ」
リュイスが苛立ったように言う。
「で、てめーはどういうことが言いてえんだよメグロ」
「……いかに魔力の扱いに長けるとは言え、カイリはまだ幼い。せめて学舎を出るまでは面倒を見るのが筋だろうと思う」
「だよな」
「だが、俺がこんな状況になった」
「……だから、別の人間に預けようって話なんだろうが」
声を落としたリュイスに、メグロは穏やかに言った。わかりきったことを。
「カイリも汚染者なんだ、リュイス。いつこうなるかわからない」
リュイスがうつむく。彼女もそんなことわかっていて、ただ目をそらしていただけなんだろう。
……ごめん。ごめんなさい。
ひどく胸が痛む。この世に生まれて初めてだ、こんなに心苦しいのは。
僕は勝手をやって、それで道を踏み外しただけなんだ。あなたにそんな風に思ってもらう資格なんてない。
メグロが僕に向き直る。
僕も、気を強く持つ。まっすぐ彼を見据える。
「教えられることはまだあるが、教えなければいけないことはもうない」
「はい」
「カイリ、今日でお前はもう自由だ。好きにしていい」
「……今まで、お世話になりました」
メグロは肯く。何を思っているかはわからない。
「カイリ……」
リュイスが僕を抱き寄せる。
採寸するときの、口調とは真逆の丁寧な手付きともまた違う、弱々しい力だ。
「あたしは反対だ」
「……はい」
「だからお前、せめて月イチで来い。顔見せろ。怪我してたら殴る。怪我隠して来なかったら次もっと殴る」
「えっ」
「返事は」
「せめて三月に一度で……」
「ああ!?」
急にものすごい力で締め上げられる。痛い痛い痛い痛い。
メグロは珍しい薄ら笑いでこちらを見、止めもしない。
……結局、二月に一度ということで一旦離してもらったが、その日はもう完全に解放されることはなかった。
一晩リュイスに付き合わされ、手料理をしこたま振る舞われる。身体まで洗おうとしてきたのはさすがに断ったが、一緒のベットで寝るのは断りきれなかった。
メグロは終始半笑いで僕らの様子を眺めていた。そして途中で逃げた。
次の日、僕は早速迷宮に向かうことにした。
背嚢にはメグロがしたためてくれた紹介状がある。無くても大丈夫だろうと言っていたが、有って困ることはない。
「……元気でやれよ。無茶すんなよ」
「最初は先達のやり方を見ろ。お前ならすぐ自分に合ったやり方が見つかる」
メグロとリュイスが見送りに来てくれる。
肯き、二人に感謝と別れを告げると、迷宮に向かう馬車に乗り込んだ。
馬がいななく。車輪が回転を始める。荷台が揺れる。走り出す。
後ろ向きに座った僕の視界には、こちらを見守る二人の姿が映っていた。道を曲がり、丘で視界が閉ざされるまで、ずっと。
……切り替えねばならない。
やるべきことができた。
いや、とっくにわかっていて、決めていたのに僕は足踏みした。
一年近くを共に過ごした男との別れよりも、そのリミットに強く思いを巡らせる。
……一年。一年だ。
一年で、魔力汚染の治療法を探し出す。




