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魔術師カイリの星巡り  作者: 雑木
3章 邂逅の時
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21 人食い地底湖



 あれはいつだったか、学舎にいた頃のことだ。

 談話室で九、十歳あたりの子どもたちが集まって何やら真剣に議論していた。

 当時の僕は大体夢に溺れていたので人の輪に入ることは滅多になかった。しかし僕が本を読んでいると、近くで彼らが話し出したのだから否応なく聞こえてしまった。


 彼らが何に盛り上がっていたかと言うと、女の子たちの中で誰が一番可愛いと思うか、という実に年頃の男子らしいアホな話題であった。

 興味はなかったが、ほとんど隣で騒がれると否が応でも耳に入ってくる。結局、彼らが挙げるほとんどの名前とその理由を聞くことになってしまった。

 大体は気心知れた同期の名前を挙げていた。時折サラであるとか、下の世代でも目立つ容姿をしている女子を挙げるものもいた。中にはシズリ先生と口にする剛の者がいて驚かれていたものだ。年齢差と言うより彼女は普段でも圧の強い人なので……まぁ言ったやつは趣味が良かったのだろう。

 恋愛について、学舎の中では特に禁止されているわけではなかった。しかしさほど活発でもなかった。

 年長でも十歳。まだこれからの年齢だ。さらに幼い頃からずっと顔を合わせてきた相手とそういう間柄になるということがピンとこないものも多かったのだろう。

 それでも図書室の本や輸送隊の大人たちが語る話の中には色恋にまつわるものも多く、憧れを抱くものもいた。

 特別な相手が欲しい気持ちはあっただろう。

 僕らは生まれてからほとんどずっとあの学舎の中にいる。

 教師の誰も自分一人を特別扱いしない。同世代の者たちとは何か分かち難い縁を覚えることもあるが、それだって数は多く、格別のものじゃない。

 家族という真っ先に当然にそばにいる存在がいなかった彼らは、どういう形であれ自分だけの特別を探していた。

 家族は特別だが自分とは他人であるというプロセスを経る以前、そのスタートラインにすら立てていなかったのだ。

 僕は当時も今も、それどころか夢の中ですらいまいちそのあたりがわからなかった。特別な誰かは現れないし、いたとしても錯覚だ、なんて冷めてひねくれた考えを抱いていた。

 どんな相手であれ一瞬すれ違うだけだ、と。

 今思えば、それこそ子どもじみた甘えだった。




      ◇




 沈む。

 沈んでいる。

 どこか懐かしい心地だった。ゆっくりと落ちていく感覚ではない。何かに包まれている安心感がある。

 ぼんやりとした意識の中、身体に力を入れず、落ち行くままに任そうとして……

 ごう、と近づいてくる気配に目を覚ました。

 口を開こうとして入り込んできたものにむせる。ちょっと飲んでしまった。僕は大丈夫だが後で誤魔化さないと。

 思いながら【雲】を展開する。基本の【雲】だ。受け流すだけならそれで十分。

 直後、周囲を覆った【雲】に何かが激突し、ざりざりと削りながらしかし進路を変更してやった感覚が伝わる。

 代わりに僕もちょっと弾き飛ばされたが、むしろ好都合。この勢いを利用して浮上する。

 【強化】をかけた足を動かす。【雲】を足がかりに、泳ぐと言うよりも普通に登るように。

 呼吸は持つ。そんなにやわじゃない。

 見上げれば光がある。覆うような影も。

 腕もかき出すようにして動かし、回し……


「ぶはあっ!」


 僕は水面から顔を出した。

 すぐに声がかかる。


「お、無事だったか案内人。ほらつかまれ!」


 まだ濡れてぼやけた視界の中、手が伸ばされたのが認識できる。なんとかつかむと、力強く引き込まれた。

 びちゃあっ、と水音ともにしっかりとした床に引き戻された。よくよく感じればかなり揺れてるが固いというだけで水中よりマシだ。


「はあーっ、はあーっ」


 荒く呼吸していると、僕を引き上げた声がどこかへ呼びかけるのが聞こえる。


「お嬢ーっ、案内人が戻ったんでもうやっちゃっていいっすよー!」

「わかりましたわーっ! ……お嬢と呼ぶのはおやめなさいと何度言えば!」


 返ってくる言葉とともに、異様な雰囲気が立ち上る。

 生命力を練り上げた闘気ではない。明らかに魔に属するものだけが放つ威圧感だ。

 視線を向ける。何度見ても目を奪われるものがある。

 剣だ。

 細く、薄く、鋭い。

 形だけならば脆そうなそれは、しかしどうやっても壊せそうにないほど強靭に見えた。

 その人は船の上から剣を湖面に浸すと、口を動かした。

 音は届かない。ただし、剣から放たれた魔力がその意味を僕に教える。


【召雷】


 瞬間、青い稲妻が湖面を走る。

 湖面どころではない。水中、ここら一帯にすさまじい威力の雷が広がっていったことを僕の感覚が捉えていた。

 数秒、ぷかぷかと浮かんでくるものがある。

 巨大な魚だ。魚と呼ぶしかない。ヒレや鱗が刃のように研ぎ澄まされ、目はなく、やけに口がでかい。

 僕以上の体長を持つ怪魚が何体も浮かび上がってくる。


「ご覧になって、この偉業を!」


 高笑いする声が聞こえる。

 圧倒されていた気持ちが一瞬で切り替わる。というか盛り下がった。

 立ち上がると、隣りにいた男に声をかける。


「これ、先に進むの大変そうですね」

「……ん、まぁかき分けていくしかねえわな」


 視界には湖面を埋める魚の群れ。

 全てが魔物であり、この東部十五番迷宮、通称『人食い地底湖』に蔓延る怪魚なのであった。




「だからあれは招集役の魔物だから下手に刺激しないでくださいって言ったじゃないですか」

「魔物である以上、これは殲滅の義務がありますわ。現にわたくしの力によって一掃できたでしょう。また一つこの迷宮の攻略に近づきました。それの何が不満なのです?」

「……呼び出された魔物の体当たりで船が転覆しかけました」


 そして僕が落ちました。


「決まれば大きいですけど、一つ間違えれば全滅です。この迷宮の大部分を船で進むのなら、もう少し慎重に向かいましょう」

「む……」


 彼女は口をつぐんだ。

 ちょっと、いや大分うかつみたいだが聞く耳はある。


「ケイン! ケインあなたどう思いまして!?」

「ん。まぁ、俺は正直今回の案内人の意見が正しいと思いますね」


 彼女に答えたのは護衛役の男だ。

 ランク2、盾使いのケイン。焦げ茶の髪、無精髭が目立つ長身の戦士。


「まーお嬢様はもう少し後先考えてもいいですよねー」


 のんびりした声を出すのは僕とは別の船に乗っていた女性だ。

 ランク2、〈治癒〉持ちのイーライ。杖を持ち、薬品類がぱんぱんに入った背嚢を背負っている。肩口で切り揃えた黒髪を揺らす姿はこんな地底でも涼やかだ。


「……生意気なやつ」


 ぼそっと僕に向かってつぶやいたのは少年だ。僕より体格がいいが年は近いだろう。

 ランク2、荷物持ちのカン。灰色の髪を刈り込んだ彼は、一旦湖から地面に上がる際に重ねた船を、専用の台車があるとはいえ苦もなく運ぶ、並外れた〈怪力〉の持ち主だ。

 そして、


「……ぐぬぬぬぬ」


 うなりながら僕をにらむその人は、僕よ少し年上だろうか。十代の半ばあたりに見える少女だ。

 ランク3、宣告士のキリエ。

 金に煌めく髪を腰まで伸ばし、橙色の瞳は燃えるように輝いている。頑丈そうな衣服、関節を保護する防具、無骨なブーツと基本的な迷宮攻略の姿ではあるが、明らかに素材が違う。金がかかっている。

 絶対いいところのお嬢さんなのだが、詳しくは聞いていない。

 彼女はふん、と鼻を鳴らすと、そっぽを向いた。


「よろしいです。わかりましたわ案内人。ここからはなるべくあなたの指示に従いましょう。その代わり、ボスまでの案内は任せましたよ」

「はい。体力の続く限りは」


 合意が取れたところで、キリエは僕から離れていった。イーライの側に行く。

 ふう、と息をつくと僕もしっかり腰を下ろし、上を見た。

 この場所はずいぶん天井が高い。と思えば低いところもあり、船だけでは奥まで向かえないところもある。妙に入り組んでいる。しかしやはり大部分は湖なため、足の問題もあって攻略が難しい迷宮だった。


「おう、おつかれさん」


 ケインが近寄ってくる。


「いえ、大丈夫です。僕こそ失礼はなかったですか」

「まぁお嬢もあれであんたを落としたこと気にしてんだ。素直じゃないから態度に出ないけど」

「あれで……?」


 僕が愕然とすると、ケインは大笑いした。


「まぁよろしく頼むぜ。あんた案内人としての実力は確かだって聞いてるからな」

「微力を尽くしますよ」


 肯き、ケインは離れていく。こういうフォローも彼の仕事なのだろうか。

 ……僕は今、迷宮に潜っている。

 魔力を研究するため、魔力汚染の治療法を探すためのアプローチの一つとしてだ。

 なかなか進んではいないけれど。

 学舎を離れてもう一年が経つ。

 僕は九歳になっていた。



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