六、彼の友人
私はその身を凍らせた。
「お……お……」
慌てて、深くカーテシーをする。
「王太子殿下……!」
「やぁ。楽にしてくれていいよ」
ブラックソーン伯邸の車寄せに大きな黒塗りの馬車が入ってきたことに気づき、玄関ホールまで降りていくと、そこには
王太子――ジュリアン・オルダーヴェイルがいた。
――聞いていないのですが……!?
アオサギはホールの螺旋階段を降りてきた私を驚いたように見ていたし、その隣にいたシラトリも困ったように頬に手を当てていた。
そもそも、私を呼ぶつもりはなかったのだろう。
――でも、客人をもてなすのは女主人の仕事よね……?
王太子は落ち着いたダークブラウンの髪に、琥珀の瞳の青年。
彼は、人懐こく笑った。
「ミサゴの奥方。やっぱり美しい方だね。
ミサゴが羨ましいなぁ!
僕は、ジュリアン・オルダーヴェイル。王太子だよ。
なんて……もう知ってるか。あっはは!」
――気さく!
彼が手を差し出す。
それを見つめ、私も手を差し出して握手をした。
異様なほどに強く握られる。
まるで、何かを確かめるかのように。
手が離れると、王太子は腕を組んで私の目をまじまじと見つめた。
「シルヴァミアの娘だったね。湖面のような美しい青い瞳だ。ミサゴが執着するのもわかる」
――え?
「後で二人きりで話をしよう」
殿下のそばに控えていたアオサギが眉を寄せる。
「“二人きり”はいけません。殿下」
私の後ろにいたアゲハも私の前に一歩出た。
「そうですよ。私は奥様から離れませんからね」
ジュリアン王子はアオサギとアゲハを順に見ると、肩をすくめる。
「ここの使用人は……個性派だからね。
僕は普通の人間同士で話したいんだよ。
――わかる?」
アゲハが鼻に皺を寄せている。
あれはレディがしていい顔ではないのでは……?
「まぁ、いいや。ミサゴは?」
アオサギが一礼すると、「こちらへ」と大階段を手で示した。
殿下は私に微笑みかけると、小さく手を振る。
「じゃあね。夫人。
あぁ、僕の“もてなし”については考えなくていいから。僕はミサゴの大親友だからね」
踵を返し、先に歩き出していたアオサギの後を追う。
白大理石の大階段。
踊り場には巨大な宗教画が飾られている。
その前を王太子たちは素通りし、彼らの姿は上階へ吸い込まれていった。
「大舞踏会で遠目にお見かけしただけだけど……あんな方だったのね……」
「変な人ですよねぇ」
「こら、アゲハ。不敬ですよ」
シラトリに注意され、アゲハが私に向かって小さく舌を出す。
「奥様」
シラトリは柔らかく目を細めて、私に向き合った。
「王太子殿下は、このように突然いらっしゃることも多いのです。
ただ、旦那様のお仕事に関わることでもあります……。
ですから、奥様は関わりになられない方が良いかもしれません。旦那様が好まれませんから。
それに、殿下は信頼のできる方です。
殿下が“考えなくていい”と仰るなら、考えなくてよろしいのですよ」
つい、心がほぐれてしまうようなゆっくりな話し方に、私はそっと息を吐いた。
「そう……なのね」
――旦那様のお仕事って、いったい何なのかしら?
部屋の扉が開く。
お茶の準備をしに出ていたアゲハが戻ってきたのかと顔を上げると、王太子殿下が部屋の中央に一人で立っていた。
「やぁ。夫人。来たよ」
――え!?
出窓のソファに座っていた私は慌てて立ち上がる。
彼の背後を見た。
「……アゲハは……」
「閉じ込めてきた」
「と……!?」
「怪我はさせてないよ」
ジュリアン王子は唇に人差し指を当てる。
「夫人はまだ、ミサゴの仕事については知らされていないようだね。
では、僕からもそのあたりは伏せさせてもらう。悪く思わないでね」
彼は私とは距離を保ったまま、腕を組んだ。
「僕はね、日頃は紳士なんだ。
だけど必要だから、今ははっきりと言う」
私は立ち尽くしたまま、眉を寄せる。
「君たちが白い結婚なのは、困るんだよね」
一瞬、息が止まった。
「君がミサゴを落とせるかどうか。
そこにこのオルダーヴェイル王国の命運がかかっている」
「……え」
「……というのは過言だけど」
私はますます眉を寄せた。
「でも、まぁまぁ大変な事態になることは目に見えている」
殿下が瞳を細める。
「王家としても、君を支援する。
心の問題だ。僕たちにできることはそう多くはないだろうが」
「王家と、旦那様……ミサゴ様のご関係は……」
鼓動が耳のそばで鳴っていた。
私は胸元を強く押さえる。
殿下は肩をすくめた。
「……僕は帰るよ。早急に部屋を出ないとミサゴに僕が嫌われてしまう。
その方が国の命運に関わる」
ジュリアン殿下はさっさと踵を返し、扉に向かった。
一度、彼が振り返る。
「あ、食糧庫にあの侍女がいるから、助けてあげてね。
じゃあ、夫人。またね」
扉が閉まる。
私は慌てて食糧庫に向かった。
アゲハはすぐに発見され、「私あいつ大嫌いですぅ!」と地団駄を踏んでいた――
私の胸には、
表現しがたい何かが、ぽつりと落ちていた。




