三十七、あなたが欲しい
雨音。
窓の外は雨だった。
ガラス窓に雨粒が当たっては、砕けて落ちていく。まだ昼だというのに、随分と空は薄暗い。
部屋のランプや燭台には火が灯されず、暖炉の火だけが、ぼんやりと部屋を照らしている。
私はソファに座り、ぼんやりと火を眺めていた。
旦那様は今日は外に出ていた。ティータイムには戻ると言っていたから、きっともうじき戻ってくる。
私はティーガウンの裾を少しだけ整えた。耳に触れ、真珠のイヤリングをそっと確かめる。
ひざ掛けを整え直し、静かに火を見つめた。
やがて、ノックの音。
私が座ったまま振り返ると、扉が開き、ミサゴが部屋に入ってきた。
「待たせてしまったか」
「いえ」
共に入ってきたアオサギがテーブルに紅茶や茶菓子を整えると、一礼し、すぐに部屋を出ていく。それをミサゴは不思議そうに目で追った。
二人きりで話したいから出ていてほしいと、アゲハたちには伝えてある。
ミサゴが隣に腰を下ろす。
霧と、白檀の香り。
彼は私を見ると、ふっと瞳をやわらげた。手を伸ばして、私の耳元に触れる。
「白も似合う。もっとちゃんとしたものを、今度は贈ろう」
耳に触れている彼の手に、自分の手を添えた。微笑めば、彼も、微笑み返してくれる。
ミサゴの手が離れ、彼はカップを持ち上げて、一口飲んだ。コクリ――と喉元が動く。
「今日は、一段と冷える」
「はい。本格的な冬が近づいているのでしょうね」
「そうだな」
私はひざ掛けを広げると、ミサゴに身を寄せ、彼の膝にも掛かるように掛け直した。それから、彼の肩に頭を預ける。すると、ミサゴは腕を回し、私の頭を抱くようにしてそっと髪を撫でた。
胸が、締め付けられる。
「ミサゴ……」
「ん?」
「お慕いしています……」
撫でていた手が止まった。
雨音が、大きくなる。
私は顔を上げられないまま、暖炉を見つめた。
「ジュリアン殿下から……聞きました。
黄泉の案内人はこの世の人とも子をなせると……」
自分のお腹を、そっとさする。
「ミサゴが私と共寝をしない理由は、ミサゴが人ならざる者だからだと……思っていたんですけど、違うのですね」
彼は何も言わない。
私の髪を撫でていたその手は、私の肩にそっと置かれた。
「許されるのなら、私は……ミサゴの子を産みたいです」
声が震えてしまった。
雨音は絶え間なく鳴っている。
ゆっくりと、顔を上げる。
衣擦れの音が、やけに大きく部屋に響いた。
ミサゴは、まるで痛みを堪えているかのように目を細めて私を見つめている。
その表情に、喉が、ぐっと締まる。
――どうして、そんな顔をするの?
「理由を……教えてくださいませんか。なぜ……」
視界が、滲んでいく。
――泣いてはいけない。
泣いたら、きっと困らせてしまう。
ミサゴは口を開けた。だが、何も言葉は出ず、そのまま、口を閉じる。そして、視線をそっと暖炉に向けてしまう。
外されてしまった視線が痛い。
私はミサゴの首に腕を回した。
彼の後頭部に手を当て、こちらに引き寄せる。
「ベアトリス、待て――」
――待てない。
そのまま顔を寄せて、唇を重ねる。
肌に触れる熱。
そっと顔を離せば、互いの呼吸が触れる。
私は、短く息を吐きだした。
「好きです。
私は……ミサゴに愛されたいのです」
彼は眉を寄せ、奥歯を噛んだ。
「どうしてですか? 何が問題なのですか?
結婚するのなら、私がいいと……私を選んでくださったのは、ミサゴなのに……」
「それは……」
彼の視線が、また壁に逃げる。
私は彼の言葉を待つが、聞こえてくるのは――雨音だけ。
視界が滲む。
涙が、こぼれ落ちてしまう。
ミサゴはハッとしたようにこちらを向くと、指先で私の涙を拭った。
「私のことは……憎からず思ってくださっているのですよね?」
「好きだ。好きに決まっている」
ミサゴの宵闇の瞳。
そこに、私がはっきりと映り込んでいる。
「……本当に?」
「好きでなければ……結婚なんて……。
俺は器用ではない。
好きでもない人を抱きしめたりなんか、できやしない」
「ミサゴ」
視線が絡む。
外し方も分からなくなって、ただ、彼の瞳を見つめた。
「ミサゴは夜はお仕事ですよね……。
し……寝室に……今……」
彼は首を振る。
「……すまない」
彼の首に回したままの腕に力を込めて、ミサゴを抱き寄せた。
「事情がお有りなんですよね……きっと。
私には教えてもらえない、理由が」
情けないほどに、声はやっぱり震えている。
たまらず、嗚咽が漏れた。
「泣かないでくれ、ベアトリス」
私の腕に触れる、彼のシャツ。その襟元には私が刺した刺繍。
ミサゴは、私に優しい。
私のことを大切にしてくれる。
だけど――足りない。
「わがままを言ってしまいました……。
でも、私はやっぱり、ミサゴが欲しい……」
ミサゴが、息を呑んだ。
暖炉の火が揺れる。
彼は私の肩に手を添えると、少しだけ私の体を押し、私の顔を覗き込んだ。
互いに顔を寄せ、キスをする。
呼吸が落ちる。
ミサゴの熱が、滑り込んでくる。
熱を絡めて、吐息も混ぜて。
その音は、雨音に紛れてしまう。
甘い熱に、ただ、身を委ねる。
やがて、互いに顔を離した。
熱が離れ、短い呼吸が漏れる。
ミサゴは、戸惑うように口元を手で覆った。
その仕草に、思わず、私はふっと笑ってしまった。
「やっぱり寝室に……」
ミサゴは困ったように眉を下げると、首を振る。
「それはだめだ」
私は、彼の胸に顔を埋めた。
「……いいんです。今はまだ……」
遅れて頬が熱くなってくる。私も口元を手で覆った。
「ふふ。キスしちゃった……。しかも、濃いものを……」
一人でくすくす笑っていると、ミサゴは諦めたようにため息をつき、私の背に腕を回して抱き寄せる。
「あまり煽らないでくれ。頼むから」
「善処します」
雨音。
暖炉の橙の光は、私たちをぼんやりと照らしている。
――今は、これでいい。
でも、私は彼が好きだ。
彼のことを欲しいと思ってしまう。




