↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/38

三十七、あなたが欲しい


 雨音。


 窓の外は雨だった。

 ガラス窓に雨粒が当たっては、砕けて落ちていく。まだ昼だというのに、随分と空は薄暗い。

 部屋のランプや燭台には火が灯されず、暖炉の火だけが、ぼんやりと部屋を照らしている。


 私はソファに座り、ぼんやりと火を眺めていた。


 旦那様は今日は外に出ていた。ティータイムには戻ると言っていたから、きっともうじき戻ってくる。

 私はティーガウンの裾を少しだけ整えた。耳に触れ、真珠のイヤリングをそっと確かめる。

 ひざ掛けを整え直し、静かに火を見つめた。


 やがて、ノックの音。


 私が座ったまま振り返ると、扉が開き、ミサゴが部屋に入ってきた。


「待たせてしまったか」

「いえ」


 共に入ってきたアオサギがテーブルに紅茶や茶菓子を整えると、一礼し、すぐに部屋を出ていく。それをミサゴは不思議そうに目で追った。


 二人きりで話したいから出ていてほしいと、アゲハたちには伝えてある。


 ミサゴが隣に腰を下ろす。

 

 霧と、白檀の香り。


 彼は私を見ると、ふっと瞳をやわらげた。手を伸ばして、私の耳元に触れる。


「白も似合う。もっとちゃんとしたものを、今度は贈ろう」


 耳に触れている彼の手に、自分の手を添えた。微笑めば、彼も、微笑み返してくれる。


 ミサゴの手が離れ、彼はカップを持ち上げて、一口飲んだ。コクリ――と喉元が動く。


「今日は、一段と冷える」

「はい。本格的な冬が近づいているのでしょうね」

「そうだな」


 私はひざ掛けを広げると、ミサゴに身を寄せ、彼の膝にも掛かるように掛け直した。それから、彼の肩に頭を預ける。すると、ミサゴは腕を回し、私の頭を抱くようにしてそっと髪を撫でた。


 胸が、締め付けられる。


「ミサゴ……」

「ん?」

「お慕いしています……」


 撫でていた手が止まった。


 雨音が、大きくなる。


 私は顔を上げられないまま、暖炉を見つめた。


「ジュリアン殿下から……聞きました。

 黄泉の案内人はこの世の人とも子をなせると……」


 自分のお腹を、そっとさする。


「ミサゴが私と共寝をしない理由は、ミサゴが人ならざる者だからだと……思っていたんですけど、違うのですね」


 彼は何も言わない。

 私の髪を撫でていたその手は、私の肩にそっと置かれた。


「許されるのなら、私は……ミサゴの子を産みたいです」


 声が震えてしまった。

 雨音は絶え間なく鳴っている。


 ゆっくりと、顔を上げる。

 

 衣擦れの音が、やけに大きく部屋に響いた。


 ミサゴは、まるで痛みを堪えているかのように目を細めて私を見つめている。


 その表情に、喉が、ぐっと締まる。


 ――どうして、そんな顔をするの?


「理由を……教えてくださいませんか。なぜ……」


 視界が、滲んでいく。


 ――泣いてはいけない。

 泣いたら、きっと困らせてしまう。


 ミサゴは口を開けた。だが、何も言葉は出ず、そのまま、口を閉じる。そして、視線をそっと暖炉に向けてしまう。


 外されてしまった視線が痛い。

 

 私はミサゴの首に腕を回した。

 彼の後頭部に手を当て、こちらに引き寄せる。


「ベアトリス、待て――」


 ――待てない。


 そのまま顔を寄せて、唇を重ねる。


 肌に触れる熱。

 そっと顔を離せば、互いの呼吸が触れる。

 私は、短く息を吐きだした。


「好きです。

 私は……ミサゴに愛されたいのです」


 彼は眉を寄せ、奥歯を噛んだ。


「どうしてですか? 何が問題なのですか?

 結婚するのなら、私がいいと……私を選んでくださったのは、ミサゴなのに……」

「それは……」


 彼の視線が、また壁に逃げる。


 私は彼の言葉を待つが、聞こえてくるのは――雨音だけ。


 視界が滲む。

 涙が、こぼれ落ちてしまう。


 ミサゴはハッとしたようにこちらを向くと、指先で私の涙を拭った。


「私のことは……憎からず思ってくださっているのですよね?」

「好きだ。好きに決まっている」


 ミサゴの宵闇の瞳。

 そこに、私がはっきりと映り込んでいる。


「……本当に?」

「好きでなければ……結婚なんて……。

 俺は器用ではない。

 好きでもない人を抱きしめたりなんか、できやしない」

「ミサゴ」


 視線が絡む。

 外し方も分からなくなって、ただ、彼の瞳を見つめた。


「ミサゴは夜はお仕事ですよね……。

 し……寝室に……今……」


 彼は首を振る。


「……すまない」


 彼の首に回したままの腕に力を込めて、ミサゴを抱き寄せた。


「事情がお有りなんですよね……きっと。

 私には教えてもらえない、理由が」


 情けないほどに、声はやっぱり震えている。

 たまらず、嗚咽が漏れた。


「泣かないでくれ、ベアトリス」


 私の腕に触れる、彼のシャツ。その襟元には私が刺した刺繍。


 ミサゴは、私に優しい。

 私のことを大切にしてくれる。


 だけど――足りない。


「わがままを言ってしまいました……。

 でも、私はやっぱり、ミサゴが欲しい……」


 ミサゴが、息を呑んだ。


 暖炉の火が揺れる。


 彼は私の肩に手を添えると、少しだけ私の体を押し、私の顔を覗き込んだ。


 互いに顔を寄せ、キスをする。

 呼吸が落ちる。

 ミサゴの熱が、滑り込んでくる。

 熱を絡めて、吐息も混ぜて。

 その音は、雨音に紛れてしまう。


 甘い熱に、ただ、身を委ねる。


 やがて、互いに顔を離した。

 熱が離れ、短い呼吸が漏れる。


 ミサゴは、戸惑うように口元を手で覆った。

 その仕草に、思わず、私はふっと笑ってしまった。


「やっぱり寝室に……」


 ミサゴは困ったように眉を下げると、首を振る。


「それはだめだ」


 私は、彼の胸に顔を埋めた。


「……いいんです。今はまだ……」


 遅れて頬が熱くなってくる。私も口元を手で覆った。


「ふふ。キスしちゃった……。しかも、濃いものを……」


 一人でくすくす笑っていると、ミサゴは諦めたようにため息をつき、私の背に腕を回して抱き寄せる。


「あまり煽らないでくれ。頼むから」

「善処します」


 雨音。

 暖炉の橙の光は、私たちをぼんやりと照らしている。


 ――今は、これでいい。


 でも、私は彼が好きだ。

 彼のことを欲しいと思ってしまう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。