三十三、思い出の行方
部屋にノックの音が響いた。
アオサギが扉を開けると、ジュリアンが執務室に入ってくる。部屋の様子を見て、彼は眉を寄せた。
ミサゴは執務机に向かい、双子はソファに座っている。双子の正面に座っているのはなぜかアゲハだった。
「……どういう状況?」
ヴィオラがにっこりと笑む。
「アゲハとお話していました。とても楽しかったです!」
「君たち、ミサゴにお礼はできたの……?」
「したよ! ありがとうって言ったら“あぁ”と言われて終わったんだ!」
「……そう」
ジュリアンがミサゴを見ると、彼は無表情のまま首を傾げた。
「うちのアゲハは子どもの相手がうまいということが判明した」
「……良かったね」
ジュリアンはため息を吐くと、双子を見て、手で扉を示す。
「交代だ。今度はミサゴと二人で話したい。
夫人のところへ行っておいで」
「「はーい」」
双子が席を立って離れるとその後をアゲハも追った。アオサギも一礼し、扉の向こうへ下がる。
ジュリアンは慣れたようにソファに座ると、ミサゴもその前に腰掛けた。
時計さえない部屋。
暖炉にもまだ火は入れられておらず、双子たちが遠ざかる足音がここまでよく聞こえてきた。
ジュリアンは眉を寄せて、ぺらりと手のひらを見せる。
「ねぇ、ミサゴ。
君、夫人に“水の巫女”について全く話してないの?」
「あぁ」
「僕は巫女としての彼女にお礼を言いたかったのに、本人が全く知らなそうだったから、何も言えなくなってしまったよ」
「そうか」
ジュリアンは目を見開く。
「“そうか”じゃないよ。言うべきだ。
彼女は“黄泉の案内人”の伴侶なんだ。
きっとこの先もまた、その力に触れてしまう機会はある」
ミサゴは無表情のまま、視線をわずかに下げた。
「……もしかして、僕が知らない話がある?
それとも、あの世の掟に関わるの?」
「俺の……わがままだ」
ジュリアンは腕を組むと、細く息を吐き出す。
「僕にできることはあるかな?」
宵闇の瞳。
それをまっすぐにジュリアンは見つめた。
「王家としては、跡取りを残して欲しい。
僕個人としては、君に、幸せな結婚生活を送ってほしい。
君が夫人を選んだ。夫人も、君を愛しているように見える。
――素直に愛し合えばいいじゃないか」
ミサゴが首を振る。ジュリアンはそれを見て、眉を下げた。
「そうか……」
彼はすぐに、気を取り直したように微笑んだ。
「ミサゴ。ありがとう。僕は君がいなければ、帰ってこれなかった。
君は夫人たちに“盟約があるから僕を守る”と言ったようだけど、そんな盟約はなかっただろう?
だからこそ……僕は君に簡単に助けを求めちゃいけないと思っていたし、君が来てくれたときは嬉しかった。
本当に、ありがとう。君はやっぱり僕の大親友だ」
「“親友”ではない」
ジュリアンが笑う。
「双子と婚約者に礼を言えばいい。
それから、いつも撒かれてるあの従者にも。従者は俺のところへは来ていないが、相当殿下のために走り回ったようだからな」
「……そうだね」
王太子はクラヴァットを抜き取り、ボタンを外すと、金鎖を取り出した。
テーブルの上にそっとそれを置く。
「まだ身につけていたのか」
「外しても外しても戻ってきていたことがあって……。完全に外してしまうのが怖かったんだ。
――見てくれる?」
ミサゴはペンダントを指先で持ち上げると、それを窓から差し込む光に翳した。
彼の口角が、ほんのわずに緩む。
「もう……ただの悪趣味な飾りだ」
「あはは! 悪趣味とは!」
ミサゴがペンダントを手のひらにのせてジュリアンに返すと、王太子はそれを受け取った。
「もう、執念の類は感じない。――俺が処分するか?」
ジュリアンは首を振る。
「いや、いいよ。僕の気持ちはマーガレットにあるのは確かなんだけど、ずっと後ろめたさはあってさ……。
彼女の目の前でこれは処分したいと思ってる」
「そうか」
「ミサゴ。……ありがとう」
ジュリアンが立ち上がる。
「また来る」
「今度は従者も連れてこい」
「嫌だ」
ミサゴの眉が寄るのを見て、ジュリアンは声を立てて笑った。
王城庭園。
池に架けられた橋の上で、ジュリアンとマーガレットは並んで立っていた。
ジュリアンの手には二枚のハンカチ。
「ほら、見て。
ブラックソーン夫人がすぐに作って送ってくれたんだ」
琥珀色のレースがついた方をマーガレットに渡す。
「お揃い。一緒に持とう」
「はい」
マーガレットは丁寧にハンカチを広げた。
「やはり、美しいです。
縁起もいいのでしょうけれど、純粋に綺麗だと思うのです」
「夫人のセンスがいいんだろう」
「私、ブラックソーン夫人のもとに通って、このレース編みを教わろうかと」
ジュリアンはきょとんと、マーガレットを見つめる。
「難しそうだよ。君にできるのかな」
マーガレットは目を細めてジュリアンをジトッと見据えた。たまらずジュリアンが声を立てて笑う。
「そんな顔も可愛いなんて反則だよ。作品第一号は、ぜひ、僕にくれないか」
「……すごく下手だと思いますけど」
「君が一生懸命作った。どんなものでもきっと可愛らしい」
マーガレットが眉を寄せ、俯いた。
「殿下は……本当にお上手です」
ジュリアンは淡く笑み、ポケットから金鎖についたペンダントを取り出す。手のひらに乗せてマーガレットに見せた。
「これ」
「クラリッサ様の?」
「そう。捨てるよ」
マーガレットは目を見開く。
ジュリアンは池に体を向けると、腕を振り上げた。
「お待ちになって!!」
マーガレットは慌ててその腕を掴む。
「捨てなくて、いいと思います!」
「え……でも……」
彼女はジュリアンの手からペンダントを奪うようにすると、両手で大切そうに抱えた。
「……確かにこれは大変なことを呼び出してしまいました。
でも、殿下にとってこれは、大切な思い出の品なのです。それは変わりませんわ。
今のあなたがあるのは、ここに詰まった経験や記憶があるからでしょう?
……捨てる必要なんて、ないのではありませんか?」
「でも……」
「思い出をいつまでも大切にしていらっしゃる……そんな殿下を、私はお慕いしているのです」
「そんな風に言われたら、捨てられないよ」
「捨てなくてもいいではありませんか」
ジュリアンは息を吐くと、ポケットに入れたハンカチを見下ろした。翡翠色の三重の波が施されたもの。
「まぁ……いっか。
これからいろんな思い出の品を増やして、積み重ねていけばいいんだ」
「そうです」
ジュリアンはポケットの布を広げて見せると、マーガレットはそこに金鎖のペンダントを入れた。ポケットの上から、彼はそれをポンポンと叩く。
池の水がゆったりと揺れた。
二人は向き合うと、ジュリアンはマーガレットの肩に両手を添える。
「キスしてもいい?」
「今まで許可など……」
「良くなかったなと思って」
マーガレットは苦く笑った。
「いいですよ」
ジュリアンは彼女に顔を寄せ、口づけた。
時々淡く笑いながら、短く、何度も繰り返す。
視線が絡まった。
「ねぇ、口を開けてよ」
マーガレットは、手のひらをジュリアンの口元に当てる。
「嫌です」
「……え? な……なんで?」
「殿下は一度口づけを許してから、頻繁にキスをしたがります。
きっと、あれよあれよと言う間に、私は殿下に手籠めにされてしまいます」
「そ……そんなことは……」
「結婚するまで、これより先のことは致しません」
「え……!?」
ジュリアンの視線が宙を泳ぐ。
「僕たちの正式な婚約披露まであと半年。結婚まではそこから更に一年の予定だよね……」
「そうですね」
「つまり、一年半もお預けってこと?」
「そうなりますね」
「地獄だよ、それ」
「そうですか?」
マーガレットが美しく笑む。
一瞬ジュリアンはそれに見惚れ、首を振って我に返った。
「僕たちには話し合いが必要だと思う」
「あら……そろそろお開きの時間のようです」
「マーガレット」
「それでは、ごきげんよう」
「マーガレット!」
マーガレットが声を立てて笑う。
ジュリアンもつられるようにして、笑った。
彼は、彼女に手を差し出す。
「馬車まで送る。一分一秒でも長く、一緒にいたい」
「……はい」
二人は並んで歩く。
池の小さな魚が、踊るように跳ねた。
ピチャン……と小さな音が鳴る。
恋人たちの笑い声が、庭園に柔らかく響いていた。




