三十二、盟約
ブラックソーン伯邸。
その車寄せに王家の馬車が滑り込んできた。
私が旦那様と玄関前で待っていると、開いた馬車の扉からヴィオラ王女殿下とセオドア第二王子殿下が飛び出してくる。二人して私に向かって駆け出し、勢い良く抱きついてきた。
「えぇ!?」
「夫人! お兄様から話を聞いたの! ありがとう!」
「夫人! 本当に本当にありがとう!!」
「あ……はい」
――結局何に感謝されているのか、いまいちよくわかっていないのだけど……。
双子は私を離れ、旦那様の方へ体を向ける。
「う……」
旦那様の眉がわずかに歪む。
双子は互いに目を見合わせた。
「だめだわ。セオドア! 怖くてミサゴには抱きつけない!」
「僕もだよ、ヴィオラ! 世話になったのは確かなんだけど、やっぱり怖いよ」
「……俺に抱きつこうとするな」
二人のあとから笑いながらジュリアン王太子殿下が馬車を降りてくる。
彼は旦那様の前まで来ると、にっこりと笑んだ。
「大親友が会いに来てあげたよ」
「頼んでないが」
殿下はいつものように爽やかに声を立てて笑う。
「夫人と褒賞について、話したい。
それから、ミサゴ。
きっと君は言葉足らずだから、王家と案内人の盟約についてきちんと伝えていないんじゃないかな。
だから、僕から話す。王太子としてね」
彼は私の後ろにいたアゲハをちらと見ると、不敵に笑んだ。
「夫人と二人きりで」
「それはだめですぅ!」
「君のところの庭園には大きなガゼボがあっただろう? そこなら外だし、いいよね。
ミサゴ」
「……あぁ」
「私のこと無視します! あの人――ぐっ」
アゲハの口がシラトリによって塞がれる。
「お茶だけ……お持ちします」
アオサギが頭を下げると殿下は頷き、私の方を見た。
「ほら。行くよ、夫人」
殿下は歩き出そうとして、旦那様の方を見た。
「僕の弟妹が君にお礼を言いたがったから、連れてきたんだ。僕が夫人と話してる間、ミサゴが弟妹の相手してあげて」
旦那様の眉が歪み、双子は肩を震わせる。
笑いながら歩き出した殿下の後を、慌てて私は追いかけた。
◇
「で、まだやってないの?」
私と殿下の間に置かれたティーテーブルに紅茶を用意してアオサギが去ると、開口一番に彼が言った。
風が吹く。
少しだけ冬の気配のし始めた風は、冷たかった。
殿下はおもむろに立ち上がると、フロックコートを脱ぎ始め、テーブルを回って私の肩にそれをかけた。
そしてまた自分の席に戻る。
「殿下……これは」
「使用人を追い出して室内で二人きりで話すのは良くないなぁ……と思って。
以前よりも、話は少し長くなりそうだし。
僕のわがままで外で話すことになったんだよ。それくらいさせて」
私が眉を下げると、殿下は淡く笑った。
「どうする? ミサゴに媚薬を盛って、密室に閉じ込める? 協力するけど」
「……殿下」
「あはは! 半分くらいは冗談」
「半分だけ!?」
殿下は手を叩いて笑う。
ひとしきり笑うと、目元の涙を拭った。
「さて、本題に入ろう。
褒賞の話の前に盟約について話しておきたい。ミサゴから、話は聞いているのかな」
「王家が黄泉の案内人の立場や秘密を守る代わりに、案内人は王国の死者の魂をあの世へ連れて行くという約束があると。それから、ジュリアン殿下も王家の人間として、黄泉の案内人がきちんと働いているのか監視している……と、聞きました」
ジュリアン殿下の眉が歪む。
「なにそれ……。ミサゴはそう解釈してるってこと?」
私は思わず、殿下の瞳を見つめる。
「違うのですか?」
「違うよ。それだと、王家と黄泉の案内人の立場は対等か、王家の方が上に聞こえる。
――そうじゃないんだ。
王家がお願いして、黄泉の案内人にこの国にいてもらっているんだよ」
殿下はテーブルに肘をつくと、足を組んで、小さく息を吐いた。
「昔々、そのずっと昔から、黄泉の案内人は人のすぐそばに棲家を持ち、この世の死者の魂をあの世へ案内していた。
しかし、ある時代、人の王はこれを嫌った。自分たちの土地に勝手に棲み着いている人ならざる者を忌避したんだ。
――だから、迫害した。
繰り返し、繰り返し。
その結果、黄泉の案内人はこの国を見限った。
人の王は喜んだ。
余計なものがこの土地を穢さなくなった……と。
はじめは、特に何も起こらなかった。
生者には死者の魂は見えないからね。死者の魂があの世へ案内されなくとも、問題はないように思われた。
だが、知らぬ間に魂が溜まっていった結果、水が穢されるようになった。水が穢れれば、森が穢れ、作物が穢れる。そして、それを口にする人々も、絶え間なく疫病に襲われるようになった。
そして、溜まりに溜まった魂は、生者の目にも、触れるようになってしまった。
その国は大混乱に陥った。
だから、次代の王は願った。
あの世の黄泉の案内人に、どうか国に戻って来てください……と。
そうやって、オルダーヴェイル王国と黄泉の案内人の間に盟約は生まれたんだ。
だから、王家が黄泉の案内人に対して強気に出られるわけがない」
私は思わず肩にかかっていた殿下のコートを掴んだ。
「盟約の内容はこうだ。
王家は黄泉の案内人に不都合なことは決してしない。
彼らの立場を守るために爵位を与え、生活を盤石に整える。それでいて目立ちすぎないようにフォローするんだ。
ミサゴが領地管理をまともにしているところなんか、見たことがないだろう?
王家が代わりにやってるんだよ。黄泉の案内人に負担をかけないように。
――かと言って、彼らに案内人の仕事をするように強制することはない。
あの世にはあの世の掟があるようだから、僕らの目には理不尽に見えても、彼らの掟には絶対に口出ししないってね」
殿下が、こちらを見る。
にこりと笑った。
「だから監視なんかしていない。
むしろ、不都合がないか、お伺いを立ててるんだよ」
「でも……旦那様は……」
私は眉を寄せた。
「あの……旦那様は、盟約があるから王家を守らなければならない。王太子である殿下を守りたい……と仰っていたのですが……」
「へ? ミサゴが?」
ジュリアン殿下は腕を組んで、眉を寄せる。
「素直じゃないだけじゃないの?」
「え?」
「黄泉の案内人のほとんどが、いまだに王家からは距離をとってる。
何かあったときに黄泉の案内人に最も後回しにされるのは、間違いなく王家だよ」
殿下はカップを持ち上げると、それを口につけた。そして、その口元が緩む。
「王太子だからじゃなくて……僕だから守ろうと思ってくれたんじゃないかな……なんてね。
そうだったら嬉しい」
また、風が吹いた。
「……黄泉の案内人がいなくなるのは、本当に困る。
彼らの多くは、こちらから口を出さなくてもあの世かこの世かで伴侶を決めて跡継ぎを残してくれる。
だけど、ミサゴは適齢期を迎えても結婚する様子どころか、恋人の気配さえなくて……焦ったよ。
どうにかこうにか聞き出したら、どうしても結婚するならベアトリス・シルヴァミア嬢がいい……ってミサゴが言ったんだ。
だから、“王命”で君たちを結婚させた。
シルヴァミア子爵は死ぬほど驚いただろうね。小田舎の領地の娘に突然王命が下ったんだから。しかも、今どき“王命”での結婚なんかなかなか無いでしょう。
君に婚約者がいなくて、本当に本当に良かったよ……」
私は口に手を当てる。
「黄泉の案内人たちは、この世の方とも普通に子をなしているのですか?」
「そうだよ」
「でも……旦那様は“人ならざる者”だから私とは体を繋がない……と」
殿下の眉が歪んだ。
「……これ以上、僕から話せることはない。ごめんね」
「何かお心あたりはあるのですか?」
「ある。でも、こればかりはミサゴが君に伝えていないなら、言えない」
「……わかりました」
互いに、小さく息を吐く。
「君への褒賞なんだけど、盟約により黄泉の案内人を目立たせないようにしなくちゃいけない。
だから、表だって何かを贈ることは難しいんだ。
僕がシルヴァミア子爵と直接話をして、領地に何かこっそりプレゼントしたらどうかと思っている。税を数年安くする……とかそういうの。
君個人に何か贈るより、そういう方が君は喜ぶかと……どう?」
「大変ありがたいのですが……褒賞をもらうほどのことを私は――」
「したんだよ。
それも、そのうち、ミサゴが君に伝えるだろう……。いや、聞き出すんだ、自分で。
放っておいたら、ミサゴは何も話さなそうだからね。頑張って」
私が眉を下げると、殿下は声を立てて笑った。
「あと一つお願いがあって……」
殿下がウエストコートのポケットからハンカチを取り出す。三重の波が施された、白いハンカチ。
テーブルに広げると、彼はレース部分を指さした。
「これの色違いが欲しいな。琥珀色と、翡翠色」
思わず、口角が上がる。
「お二人で持つのですか?」
「うん」
「喜んでお作りします」
「ありがとう」
殿下は別のポケットから、以前も貰った黒瑪瑙の飾りを取り出すと、私に差し出した。
「代わりと言っては何だけど……。もう一つあげるよ。
――これ、好きでしょ?」
「え?」
受け取りながら、不思議に思って殿下を見つめる。
「ミサゴ色だもんね」
途端に、頬が熱を持つ。
殿下は笑いながら席を立った。
「もう、早くやっちゃいなよ。君から押し倒せば?」
「……殿下!」
殿下が笑う。
穏やかで、軽やかで、人懐こい。
そんな笑い方で。
私も、思わずつられて笑ってしまった。




