三、開かれた部屋
目が覚めると、部屋にはすでに水のように朝陽が漂っていた。
起き上がって、枕を背にぼんやりとそれを眺める。
透明な空気。
ゆっくりと、深呼吸をした。
ベッドから降り、スリッパに足を入れる。
絨毯を踏んで出窓に向かった。
――昨夜は、夫婦の寝室ではなく自室で寝た。
白と水色の上品な部屋。
調度品も木目の美しい明るい色のもので揃えられていた。まるで白樺の並ぶ湖畔にいるような、そんな気分になる部屋だ。
丁寧に、整えられた場所。
大きな出窓には、水色のダマスク柄の布が貼られた一人掛けの椅子と、同柄の二人掛けのソファ、それから小さなテーブルが置かれていた。
そこの椅子に腰を下ろす。
ここからは、庭園がよく見えた。
王都の街は、いつも霧に包まれている。
だけど、ブラックソーン伯邸の庭園は、とても澄んで見えた。
その時、扉が一度だけ叩かれ、静かに開く。
「あ、奥様。もうお目覚めでしたか」
顔を向けると、アゲハがにっこりと笑っていた。彼女の手元の銀のワゴンには、水差しや櫛、オイルなど、朝の支度のいろいろなもの。
私は立ち上がって、歩き出す。
この部屋には、最新式の洗面所がある。水を建物の上階まで汲み上げる機構があることは知っていたが、それはまだ高位貴族のみの特権だったはずだ。
“伯爵”も高位貴族ではある。だが、一言に“伯爵”といっても、中身にはかなりの格差があるのだ。
洗面所で顔を洗うと、アゲハが差し出した布巾で顔を拭う。
「奥様。
こちらで旦那様が一緒に朝食を召し上がられたいと。
よろしいですか?」
「……ここで?」
布巾を彼女に手渡すと、アゲハは大きく頷いた。
「嫌ですか?」
「あ……いえ。構わないわ」
「では、お支度が済みましたら、こちらに朝食を準備しますね」
――食事は朝と晩は必ず一緒にとるのね……。
――夜は共寝をしないのに。
アゲハがじっと私を見つめる。
「……どうしたの?」
「奥様は本当にお綺麗ですねぇ。
髪もほどよくうねりがあって遊びがいがあります。お目々もおっきくて可愛らしいです。
今日はどうしましょうね。編み込んでいいですか? あんまりにも可愛くって旦那様が交尾……じゃなかった。その……えっと……大切にしたくなっちゃうくらいに素敵に仕上げましょうね」
「今……なんか……」
「なんですか? 私失言なんかしてませんよ。今日はアクアブルーのモーニングドレスにしましょうね!」
「あ……はい」
――なんか、押し切られた気がする。
アゲハに背を押され、ドレッシングルームに連れて行かれる。
彼女が楽しそうなので、まあ……良しとする。
朝食は、旦那様は珈琲とパンだけ。私も紅茶とスコーンと、少しのフルーツだけ。
それを出窓のテーブルに並べて待っていると、時間を置かずにノックの音が部屋に響いた。
アゲハが扉を開けに行く。
廊下からふわりと流れ込んできたのは、冷えた空気。
アオサギを伴って旦那様が部屋に入ってきた。
「おはよう。ベアトリス」
旦那様がほんのわずかに笑んだ。
私は立ち上がり、軽く頭を下げる。
「おはようございます。旦那様」
彼が歩きながら手を差し出したので、私も歩み寄りながらその手に指先を添えた。
少しの距離。
エスコートされるようにして、出窓の前へ。
二人掛けソファに私を座らせると、旦那様も隣に腰を下ろした。
向かいの一人掛けの椅子を見る。
――こちらに並んで座るのね……。
旦那様の横顔を見つめる。
――共寝はしないのに……距離は近いのよね。
私の視線に気づき、彼がこちらを向いた。
「どうした?」
「あ……いえ」
彼がカップに手を伸ばす。
わずかに、旦那様のトワレの香りが立ち上がる。
それから、霧の匂いも。
「……外に出てらしたのですか?」
――まだ、朝なのに。
私が旦那様の黒い瞳を見つめると、彼はわずかに目を見開いた。
だが、すぐに視線がそらされる。
「庭を……歩いていたんだ。……あなたも一緒に歩くか?」
「はい。お誘いいただければ、ぜひ、ご一緒に……」
私もカップを持ち上げ、一口飲んだ。
まろやかなミルクティー。
そっと息をつく。
――この邸宅の庭園は、晴れて澄んでいる。霧は出ていない。
王都の街とは少し違うのだ。
「庭は……よく歩かれるのですか?」
「……どうだろうか。
今日はあなたは、邸宅を見て回る予定だったな」
――旦那様は、街に出ていたのでしょう?
でも、それは、私には話したくないのね。
私が壁に控える彼らを見ると、アオサギとアゲハは頷いた。
「はい」
旦那様が飲む珈琲の香り。
「そうか。俺の仕事は少し込み入っていて……執務室など、仕事が絡む部屋だけは絶対に近づかないでもらいたい。
それ以外は好きにしてもらっていい。
……俺の私室も、あなたなら構わない。
ノックなしに入ってもいい」
「え」
旦那様と、目が合う。
端正な顔立ち。その頬が少しだけ緩んでいる。
清潔な白いシャツが、朝の光を返して少し眩しい。
「あぁ、俺があなたの部屋に入るときはちゃんとノックするから」
旦那様が、軽く笑った。
どうして?
なぜそんなに私を受け入れてくださるのに、夜だけは来ないの?
なぜ朝から霧の匂いを纏っていたの?
――旦那様は、何を私に隠しているの?




