二十三、閉じた扉
オズワルドは、ジュリアンが向かっている執務机にカップをそっと置いた。
「あぁ、ありがとう」
そのまま下がらずに隣に立つ。
不思議に思ったジュリアンは顔を上げた。
「ごめん。この書類は出来上がるまでにもう少しかかる――」
「殿下」
オズワルドの藍の瞳。
部屋を満たしていた白い光は、鈍くそこに差し込んでいた。
「……何?」
「今日は早めに休まれるべきです」
「え、何か明日あったっけ?」
「殿下」
オズワルドが、彼自身の目元に触れる。
「……隈が」
ジュリアンはいつも通りに軽く笑いながら、ペンを置いた。
穏やかな笑みを浮かべ、まっすぐに侍従を見つめ返す。
「僕だって、忙しいと隈の一つや二つできてしまうよ。大したことないさ」
「殿下らしくない。人に疲れを悟らせるだなんて。
眠れていないのではありませんか?」
「そんなことはない。
君が僕に夜に淹れてくれる安眠効果のあるお茶は大変有効だ」
「眠れていないんですね」
ジュリアンの眉が歪む。
オズワルドは小さく息を吐き、ジュリアンの前に並んでいた書類を勝手に片付け始めた。
「……分かりますよ。何年そばにいると思っているのです。
殿下がまだ嘘をつくのが下手だった幼い頃から、僕はあなたに仕えているのです」
「日頃僕によく撒かれてるけどね」
「本当に逃げ足が速くて困ってます。
もう少し聞き分けよくしてくれると助かるんですけど」
ジュリアンが机に肘を置き、その上に顎を預ける。ふぅっと長く息を吐いた。
「殿下……もしかして、夜、クラリッサ様は殿下のところに現れているのですか?」
「まさか」
ジュリアンは笑いながら手を振って見せたが、オズワルドの顔から血の気がみるみる引いていく。
「ミサゴ様のところへ――」
「嫌だ」
「殿下」
王太子は立ち上がり、執務室の扉へと向かって歩き出した。その扉に触れると、小さくこぼす。
「クラリッサの件は、僕個人の問題だし、僕の不始末によるものだ」
扉を開け、振り返った。
「僕、部屋で休むよ。オズの言うことを聞いていい子でいるね」
にっこりと笑う。
穏やかで、軽やかで――だが、誰にも触れさせない笑み。
彼が背を向け、扉が閉まる。
オズワルドは書類を抱えながら、大きくため息をついた。
◇
私が玄関ホールの階段を降りていくと、その女性はまっすぐに私を見上げた。思わず、私はその場で頭を下げる。急いでホールまで降り、カーテシーをした。
ホールにいたのは、旦那様と、ヴィオラ王女殿下、セオドア第二王子殿下。それから、おそらく、マーガレット・アッシュフォード侯爵令嬢様だ。
――ジュリアン殿下の婚約が内々に調ったと伺っているけれど……。もしかして、お相手はマーガレット様?
ゆっくりと体を起こし、顔を上げて旦那様を見上げる。
「ベアトリス。こちら、マーガレット・アッシュフォード侯爵令嬢。王太子殿下の婚約者だ」
「やはり……」
マーガレット様がにっこりと笑んで、小さくカーテシーをした。
「マーガレット嬢。これは妻のベアトリス」
「ブラックソーン夫人、マーガレットです。
突然訪問してしまった無礼、どうかお許しください。
夫人とは、舞踏会などで何度か顔を合わせたことはありますね。シルヴァミア子爵領のヴェスパー川は、輸送にも、生活水としても、オルダーヴェイル王国にとってまさに命の水を与えてくださる川です。
そんな子爵領ご出身の夫人とこうしてお話できるなんて、大変光栄です」
「お……う……」
領地に引きこもりがちで、この手の社交をしてこなかったことが悔やまれる。
「あ……ありがとうございます……。
マーガレット様も、ご婚約が調ったと。
おめでとうございます。
オルダーヴェイル王国の未来は大変輝かしいことでしょう」
マーガレット様が微笑む。蜂蜜色の髪に翡翠の瞳。華奢で、空気が柔らかくて、可憐な女性だった。
私がマーガレット様の後ろにいたヴィオラ殿下とセオドア殿下に目を向けると、二人は「こんにちは」とだけ返した。どこか、二人の雰囲気は沈んでいる。私は「ようこそおいでくださいました」とカーテシーをした。
「マーガレット嬢、さっそく話をしたい。執務室へ」
マーガレット様と、双子の二人が歩き出す。
「では、私はこれで――」
「ベアトリス」
旦那様が足を止め、こちらを向く。
「……はい」
「あなたも、来てほしい」
「え……? 執務室に、私が入ってもよろしいのですか?」
「あなたも関わることだ」
戸惑い、マーガレット様たちを順に見ると、マーガレット様は微笑み、双子たちは複雑な表情で私を見ていた。
軽く頭を下げる。
「では……御一緒させていただきます」
そばにいたアゲハの顔を見ると、彼女は小さく唇を噛み、少しだけ俯いていた。
「アゲハ。行きましょ?」
ハッとして彼女が顔を上げる。
「は、はい!」
――何かしら。
一体何が起きているのかしら……。
私は、旦那様達の後を追うように、歩き出した。




