十六、新しい恋
ジュリアンが手を指し示す。
王城の庭園。ティーテーブルに向かい合い、ジュリアンとマーガレットは椅子に座っていたが、マーガレットは驚いて口元を手で覆った。
ジュリアンが示した先。
テーブル横にオズワルドが押してきた手押し車には、たっぷりと載せられた黄色の秋薔薇。
「君に」
「こ……こんなに……?」
風が吹き、さわりと庭園の木立の葉を揺らしていく。薔薇の甘い香りが、舞う。
ジュリアンはテーブルに肘をつくと、楽しげに笑った。
「婚約が内々ではあるけど、調ったお祝いに。やってみたかったんだ。薔薇をたくさん贈るの。庭師に庭園の薔薇がなくなるって小言を言われたけど。後で君の家に送らせるね」
彼は手押し車から薔薇を一輪抜き取ると、席を立って彼女の脇に向かう。
「ほら見て。君みたい」
マーガレットがゆっくりと顔を上げる。きちんと編まれた蜂蜜色の髪が、艶やかに光を滑らせた。
「蜂蜜色の花弁に、深い緑色の茎。蜂蜜色の髪と翡翠の瞳の君みたいでしょ。綺麗だなと思って」
その一輪をマーガレットに差し出すと、彼女はおずおずとそれを受け取る。ジュリアンは腰をかがめてマーガレットの顔を覗き込んだ。
「薔薇も綺麗だけど……より綺麗なのは、マーガレットの方だね」
マーガレットの頬が朱に染まる。それを見てジュリアンはにこりと笑った。
「あはは! きざだった?」
彼はゆったりと席に戻ると、また肘をついてそこに顎を預けた。にこにことしてマーガレットを眺める。
当の彼女はそっと息を吐いた。
「……殿下はお上手です」
「あ、君、真に受けてないね。マーガレットを美人だと思ってるのは本当なんだけどな」
声を立てて笑うジュリアンをマーガレットは静かに微笑んで見つめると、彼女は後ろに控えていた侍女に向かって軽く手を上げる。
小さな包みを受け取り、そっとジュリアンに差し出した。
「車いっぱいの薔薇に比べると、質素ですけれども」
「僕に?」
「……はい」
ジュリアンが包みを開ける。革のケースに入ったカフリンクスと手刺繍のハンカチ。彼はカフリンクスを指先で摘んでみせた。
「翡翠だ。素敵だね」
「殿下は洒落者ですから……。装飾品の贈り物は少しプレッシャーに感じてしまいます……。お好きなものを、ぜひ教えていただきたいのですけれど……」
ジュリアンはオズワルドを呼ぶと、彼にカフリンクスを付け替えてもらう。手首を持ち上げて、マーガレットに贈ってもらったカフリンクスを見せた。
「似合う?」
「えぇ、とても」
ジュリアンはにっこりと笑うと、ハンカチを開いてみる。
「改めて言われると、好きなものってよく分からないなぁ。
だらだら雑談するのが好きかな。物より、君がここにたくさん来てくれたほうが嬉しいかも」
「殿下は本当に、お上手ですね……」
「何が?」
「……無自覚なのですか?」
青い糸の刺繍を、王太子はそっと指でなぞる。
「スミレかな?」
「……季節外れで……申し訳ありません」
ジュリアンがきょとんとマーガレットを見つめると、マーガレットは瞳を伏せて俯き、後ろにいた彼女の侍女は眉を下げて小さく微笑んでいた。
「何?」
「あまり刺繍は得意でなく……。スミレなんて……手習いにはじめに習うようなモチーフなのです。満足に刺せるものがそれしかなくて」
「え? でも、君、先週、凝った刺繍のハンカチをくれたよね?」
「あれは……本当は……婚約者候補として茶会に呼ばれたときにお渡ししようと思って頑張っていたんですけれども……間に合わず。
結局お渡しできたのは先週になってしまったのです。
今回の刺繍は短期間で頑張りました」
「候補に上がってから茶会の日程まで一ヶ月以上無かった?」
「ありました」
ジュリアンは小さなスミレの刺繍に触れる。慣れた者なら、一日もかからないようなごく小さなものだ。
つい、彼は吹き出した。
マーガレットは恥ずかしそうに俯く。
「可愛い!」
「……え?」
ジュリアンは声を立てて大笑いし始めた。
「あはは! 我がオルダーヴェイル王国の令嬢たちは“刺繍が出来て当然!”みたいな文化で育ってるのに、マーガレットは苦手なんだね。淑女の鑑みたいな君が!
それでもあきらめずに一ヶ月以上かけて刺繍を刺してくれたなんて、健気じゃないか!
僕はもともと君のことは素敵だと思ってたけど、今の話で大好きになっちゃったよ!」
「……」
マーガレットの顔が真っ赤に茹だる。
「君を婚約者に選んで正解だった。マーガレットを僕に勧めてくれたのはオズワルドなんだよ。彼はやっぱり僕のことをよく分かってるね」
彼女が脇に控えているオズワルドを見ると、彼は嬉しそうに頭を下げた。マーガレットも口元に手を当て、そっと笑う。
「笑顔も愛らしい。
やっぱり君からの贈り物は、君が僕に会ってくれて、笑ってくれれば、それでじゅうぶんだよ」
「……殿下」
「ジョークじゃないよ。本気だよ」
マーガレットが諦めたように息をつくと、二人で淡く笑い合った。
少し離れた木陰で、二人を覗いている者がいる。
どこか似た背格好の少年と少女は顔を寄せ合い、ひそひそと話し出した。
「お兄様が笑ってらっしゃる」
「兄様はわりといつも笑ってるけど」
「でもほら、瞳が柔らかくて優しいわ」
「兄様の瞳はいつも柔らかくて優しいでしょ?」
「でもほら……恋する男の目だわ」
「“恋する男の目”を君、見たことあるの?」
少女が少年を睨みつける。
「なんなのです! セオドアは!」
「ヴィオラこそなんなのさ」
二人はジュリアンの双子の弟妹、王女のヴィオラと、第二王子のセオドアだった。
ヴィオラは腰に手を当て、頬を少し膨らませる。
「お兄様がやっと踏み出したのです。応援したくありませんの?」
「応援したいに決まってるじゃないか」
「それか、マーガレット様に不満があるとでも?」
「ないよ。優しそうだし、立ち振る舞いも優雅だし、美人だし。減点する箇所が見つからない」
「でしょ? ではなぜ私の言うことを否定ばかりするのよ」
「……慣れ?」
ヴィオラは「もう!」と言いながらその場で地団駄を踏んだ。
「あ、二人が席を立ったよ。庭園を歩くのかな? それとも、もう解散かな?」
セオドアの視線を追ってヴィオラもそちらを見ると、ジュリアンがマーガレットの手を引いてゆっくりと歩き出したところだった。
二人の髪が、風に柔らかく揺れた。
見つめ合い、微笑み合っている。
ヴィオラとセオドアのダークブラウンの髪も、風にそっと揺らされる。
「……お似合いね」
「うん」
「やっと……お兄様は、幸せになれるのね」
「うん。きっと、幸せになれる」
双子は目を合わせると、互いににこりと笑った。
一瞬、強く風が吹く。
二人は髪を押さえながら、そろって振り返った。
向こうの生け垣の前。
赤髪の少女がいる。
彼女は泣きそうな顔をして、自分のスカートを握りしめていた。
「……え?」
双子の声が揃う。
だが、二人が目を凝らしたとき――
少女の姿は、もう無かった。
「……今のは?」
「……気のせい?」
風が吹き、葉擦れの音が鳴る。
秋の風は少しだけ冷たかった。




