十三、遠いあなた
私は庭師の少年の隣に立ち、少しだけ腰をかがめて目線を合わせた。
「ご苦労様」
少年は私に顔を向けると、愛想よくにこりと笑う。
彼が触れていたのはブラックソーン伯邸の車寄せまで続く並木道の樹木。イチイの濃い緑の細い葉と、赤い実が青空によく映えていた。
「あぁ、奥様。ありがとうございます」
私はその実にそっと手をかざす。その様子を見た庭師の少年は口角を柔らかく持ち上げた。
「奥様はイチイはお好きですか?
よろしければ、枝をお部屋に飾っていただくこともできますよ」
「イチイを部屋に? それも面白いわね」
「では後ほど、奥様のお部屋にお届けします」
少年は私の後ろにいたアゲハと目を合わせると、彼らは頷きあった。
私はそっと少年を見る。
少しだけ色の濃い肌。肩ほどまである髪は首の後ろで一つに結ばれていた。
服装はブラックソーン伯邸使用人用の黒い制服に丈の長いエプロンをつけている。いかにもオルダーヴェイル王国の使用人という装いだが、顔立ちはどこか異国を思わせた。
旦那様から、彼らが“式神”であると教わってからは、どうしてか、彼を含めた使用人たちの顔が異国人風に見えるようになった。それまでは、オルダーヴェイル人にしか見えなかったというのに。
アゲハを振り返る。
私と目が合うと、彼女はいつも通りに金茶の大きな瞳を細めてニコッと笑った。
彼女は以前と変わらない。
アゲハ、アオサギ、シラトリは初めて会ったときと変わらぬ姿だ。
その時、門の方からかすかに軋む音。
そちらへ、目を向けた。
門番が黒鉄の門を開け、そこから馬車が滑り込んでくる。ちらと見えたのは、ブラックソーン家の家紋。
黒舟に白鷺、交差する銀の櫂。
今思えば、まさに旦那様の仕事を象徴するかのような紋だ。
「あ、旦那様が戻られましたね」
「えぇ」
日中、旦那様はこうしてお出かけになることもある。どこへ何をしに出ているのかは私は知らない。だが、旦那様のお仕事に関わることなのだろうと察してはいる。
私はそのまま、並木道の樹木のそばで、旦那様の乗る馬車が通り過ぎるのを待った。
馬蹄と車輪の音。
石畳を馬車がゆっくりと走る。
だがそれは、私の目の前で停まった。
内側から扉が開けられる。
手にシルクハットを持ったままの旦那様が、馬車から顔をのぞかせた。
「ベアトリス。街に出るか?」
「……え?」
「デートですかぁ?」
呆然とする私の横で、アゲハはにこにこしながら旦那様に言う。
「そう。デートだ」
わずかに、旦那様の目元が緩む。
アゲハは私の手を引いた。
「急いで準備しましょう。ね? 奥様。
旦那様、大急ぎで支度をしてまいります」
「アゲハ、急がなくてもいい。俺は馬車の中で待つ」
「はぁい」
アゲハにぐいぐいと手を引かれ、部屋まで歩き出した。
「……デート」
アゲハが私を振り返る。
「嬉しい楽しいですね。奥様」
「……えぇ」
「奥様可愛い〜!」
「ちょっとアゲハ……」
頬を染めた私を見て、アゲハこそ楽しそうに笑っていた。
特に目的も決めず、旦那様と街を歩く。
整った石畳。
街路樹のニレの葉は黄色い。
すれ違うご婦人方のレースの日傘に、鈍い霧の光がかすかに滑っている。
「王立公園にでも行こうか。
秋薔薇が美しく咲いているらしいと、殿下が言っていた」
「殿下も……王立公園に行かれたりするのですか?」
「さぁ? 人から聞いたんじゃないか?」
思わず、笑ってしまう。
旦那様の肘に添えた手で彼の服をキュッと掴めば、旦那様がこちらを向いてくれた。
広い石畳の通り。
等間隔に並んだガス灯のガラスに、霧の雫がついている。
馬車はすれ違うが、歩いている人は少ない。
「旦那様は……その……二十六歳であってますか?」
「……どういう意味だ?」
「結婚前にいただいた身上書にはそのように……。ですが旦那様は――」
「あぁ……。俺は正真正銘、二十六だ。二十六年しかまだ生きていない」
「その……寿命は……」
「ベアトリスは二十歳だったな」
顔を上げる。
ほとんど表情の変わらない旦那様のお顔。
「……はい」
――“寿命”は教えてくださらないんだ……。
「アゲハは一歳にも満たないかもな」
「え?」
「あなたが来る直前にはもう成虫だったが……冬を越えた蝶だとは思えないからな」
「あ……なるほど……。では、彼女の寿命は――」
「冬をいくつも越えるだろう。もう、あの子は虫ではないから」
旦那様の端正な横顔。
その黒い瞳は、道のずっと先を見ている。
――“寿命”が具体的にどれほどなのかは、教えてくださらない。
でも、私の不安は解消しようとしてくださる。
「あぁ、すごいな。あれは」
旦那様の声に、顔を上げ、視線の先をたどった。
王立公園入り口のアーチは黄色の薔薇で覆われている。
「まぁ……本当に」
並んだまま、それを潜った。
旦那様に手を引かれ、美しく整えられた花壇を眺めながら歩き、ベンチの一つに腰を下ろす。
花が揃って揺れている。
散歩をするご婦人たち。
石畳を駆けて遊ぶ子どもたちの声。
向こうに並ぶ木立の多くの葉は、黄色く染まっていた。
「あの……。使用人たちなんですが、最近顔が違って見えるんです。異国人に見えると言いますか……。
なぜなのでしょうか」
旦那様がゆっくりとこちらを向く。
「それはあなたが、アレが何であるかを知ったからだろう」
少し冷えた秋の風がふわりと吹いた。
「アレは、見る者が見たいように見える。
少年だと思えば少年に見えるし、老婆だと思えば老婆に見える。
あの術を教えてくれたのは浮世絵の国の案内人だったから、本来はその国の民の姿をしているのかもしれない」
「あの紙を……見てみたいのですが」
旦那様は、眉を少しだけ困ったように下げた。
「だめだ」
膝の上にのせていた私の手に、彼が手を重ねる。
「あの世に関わるもの以外なら、いくらでも、何でも見せてあげられる」
「……はい」
大きな手。
私の手など、すっぽりとつつみ込まれてしまう。
「わがままを言ってしまいました。……ごめんなさい」
旦那様が首を振る。
「ベアトリス。あなたは“わがまま”なんかじゃない」
胸が、締め付けられてしまう。
――旦那様はとても優しい。
私は旦那様の手にもう片方の手を添え、その指を握った。
――でも、いまだに、やっぱり遠い。




