第五十六話=散らされた正義
周りを響きまわった女性の声、それはまさしく姫様の声だった。そしてその声は、その方はチェレスさんに向けて姉さんと呼んだ……いや、違う、きっとアレはラルフの声だったんだ、きっとそうだ。実際ラルフの声はちょっと女々しいので、その可能性はないとも言い切れない。
「ほう、チェレス『姉さん』、とな~?」
剣をチェレスさんの体から抜く。いつの間に剣を抜いて突き刺したのはわからない、そもそもアイツは元々剣を持っていなかった。なのに今、抜かれた剣は目の前にある。その上についている血はピタピタと地面に垂れ流している。どういうことだ、一体……!
「プリスティン、アンタもう?」
「思い出せねぇんだよ!昔のことなんざ!ただ、昔は、昔は……!」
頭を抱えて後ろへ下がる姫様。やはり、さっきの声は……
「昔はアイツのことを、姉さんって呼んでた。それしか……!」
「うん、今度は素直ですね!せっかくだから、ご褒美を上げようか?」
「ふざけるんじゃねぇ!姉さんを、姉さんを返せ!」
剣を握りしめる、今すぐにでも狂いだしてしまいそうな姫様。だが、一方であの狂神は……
「ご褒美に、アンタの記憶、戻してあげようか?」
「いらねぇ!思い出したくねぇ!これ以上思い出したくねぇ!!」
「ははっ、いいね、いいねぇ!その目、その憎悪に満ちた目!」
剣を構えた。今すぐにでも襲い掛かりそうな姫様。そして同時に隣から剣を抜いた音がした。今、まだ剣を抜かなかった人と言ったら……師匠だけだ。
「その憎悪を忘れるな、そして……」
剣を完全に抜いた、すると同時にチェレスさんの体がやっと支えをなくして、倒れてしまった。
階段を転がり落ちたチェレスさんを、姫様が支えに行った。玉座の前に居るラルフはいまだに我に返っていない、放心状態のままだ。
「姉さん、姉さん……!」
顔に目線を当てる、視線を合わせた。チェレスさんは、まだ、生きているようだ。だがその目はすでに虚ろになっている。
「は……姉さん、ねぇ……」
「姉さん、声が……!」
声が戻った?それとも、返された?
「アタイのこと、姉さんと、呼んで、くれるとは……ねぇ……」
「もういい、これ以上しゃべるな!おいラルフ!早く姉さんを、姉さんを癒せ!早く!!!」
まったくもって緊張を、恐慌を隠していない姫様。それだけチェレスさんが大事なんだろう。ならば今、私がやるべきことはたった一つ。黙っていることだ。
しかし、いくら姫様が騒ごうとも、嘆こうとも、涙を流そうとも、ラルフは玉座の前から降りてこない、チェレスさんの血も流れ止まらない、そして誰もチェレスさんを救おうとしない……そもそも、出来るものなんて、果たしているのだろうか
「ラルフ、早く!!」
「ああ、あああああ……」
虚ろな目でチェレスさんを見るラルフ、だが一向に動く姿勢は見られない、助けに来ようとしない。
その同時に、彼女は今もなお血を流し続いている……だめだ、これ以上血を流させたら……!!
「姫様、ちょっと失礼します。」
しかし、ククレスさんは今どこで何をしているんだ!貴方の主が今にでも命を絶ってしまいそうになっているんだぞ!?それも、ここに居る存在達でなら、あの狂神に勝てる存在はいなく、貴方だけが頼りだぞ!
なのにどうして、ここにいないんだ!
「触るんじゃねぇ!俺の姉さんに触れるんじゃねぇ!」
「――!」
涙を流す姫様。チェレスさんに応急手当をしようとした私が、姫様の阻まれてしまった。
「しかし、急いで応急措置をしなければ……!」
「そ、そうだった……だから、早くこっちにこい、ラルフ!ラルフ!!」
しかし、相変わらずラルフに応急手当を、求めようとする。こっちに来ようともしないラルフに助けを求むなんて、姫様、もっと冷静になって!
「無駄ですよ、ゆうしゃ君。」
「なに……?」
「チェレスはもう助からないよ、それは……貴女が一番わかるんじゃない?」
視線を姫様に合わす。どうして姫様が一番わかると思うんだ?
「助かったとしても、傷が治ったとしても、彼女の体の中にはすでに『私の力の残滓』がある。助かったとしても、私の操り人形ですよ。」
「ふざけたことを……そんなの、そんなことよりも、さっさと姉さんを返せ!」
叫びながらも、チェレスさんを抱えているままの姫様。
そして、やっとチェレスさんの声がまた響いてきた。
「あれの言うとおりだよ、プリちゃん。」
「姉さん……?」
さっきまで姫様の願い通りに、静かになっていたチェレスが、まさか狂神の話に乗ってしまった。
「アタイはもう、助からねぇ……だから、さ……」
「な、何を言うんだ、姉さん……姉さんが助からねぇなんて、そんなの……」
「はぁ……」
大きくため息をする狂神。
「残念だったね、チェレス。アンタがもし、昔のことを覚えていなければ、こうはならなかったんだろう。」
「貴様……!」
グギギギ、歯を噛み締める音がする。よく見ると、姫様の口から少し血が流れ出している。それだけ彼のことを恨んでいる、それだけ彼のことを死んでほしいと望んでいる。
視線を上に移せば、目が怖ろしく開いている。そしてさっきまで流していた涙が、今や赤色になってしまっている。
「私も悲しいよ?目の前で命が消えようとしているのは。」
「どの口が……!!」
「全部アンタが悪いんだぞ、チェレス。アンタがさっさと昔のことを忘れていれば、アンタは死ななかったぞ。」
「これ以上……!!」
「だからな、恨むなら自分を恨むんだぞ?私のことは、恨んじゃだめだぞ?」
「コロシテヤルうぁあああああ!!!」
一瞬、ほんの一瞬だった。
ドタンと、地面を思いっきり蹴って前へ飛んだ音が、一瞬で二つがあった。
カーン!パリーン!
先に剣がぶつけた、そして次に……剣が折れてしまった。
「なっ!?」
攻撃を防がれた。防がれたのは姫様だった。
「危なかったですね。」
「しなくていいのに、まったく……」
攻撃を防いだ。防いだのは、師匠だった。
「どうしてだ、クリア……どうしてアイツをかばいやがった!」
「そんなの、当たり前じゃない。」
「……グハッ!」
振りかざされた腕を、まずは払ってから姫様を強く蹴った。地面に叩きつかれ、また、玉座の玉から遠ざかれた。
「神様を、御守りいたすために決まっているじゃないですか。」
その師匠の目には、信念を貫き通す決意がある。
(つづく)




