4 三草を守る
清盛の命日に行われた仏事。
その夜、三草山に源氏の軍勢が迫った。
初めて目の当たりにする戦火に、師盛は恐怖する。
それでも――
知盛から託された三草を守るために。
二月四日夜、三草山の陣中で法要は行われた。
場所は宿営地である朝光寺。
篝火の前で、資盛が琵琶を奏している。
炎に浮かび上がる兄の姿を、美しいと師盛は思った。
この二番目の兄を、師盛は尊敬していた。
長兄維盛と容姿は酷似しているが、繊細なだけの維盛と違い、男らしさが加味されその分より美しいと師盛は思っていた。
琵琶の名手でもあり、勅撰和歌集にも入集する文才もある。
この兄のようになりたいと、小さい頃から思っていた。しかし、今は違う。
琵琶の音は美しいが、戦場であるこの場で聞くと、頼りなく聞こえてしまう。ほっそりとした面立ちは、美しさよりもはかなさを、華やかな具足は白々しさしか感じない。
華奢な体つきは、触れればぽきりと折れてしまいそうで、戦で踏みとどまれると思えない。そんな師盛の不安を少しも感じていないところも、自信家の兄らしい……とは思うが。
師盛は恋しかった。
知盛の肩幅の広い背中が。隣で眠る体温の熱さが。
穏やかな口調は頼りがいを感じたし、控えめな色調の具足は内なる情熱をかえって引き立てているようだ。
兄ほどに整ってはいないが、知盛もまた人を惹きつける容貌に恵まれていた。太い眉、鋭い眼光、常に一文字にひき結ばれている唇の上に蓄えられた、整った髭。そんな全てが恋しかった。
願い出られるものならば、三草ではなく生田の森で、知盛と共に戦いたかった。
しかし、それは出来ない。知盛に言われたのだから。
『源氏の搦め手は、必ず三草を通る。くい止めてくれ、師盛の力で』
と。
知盛の願い通りに北辺を死守し、知盛によくやったと褒めてもらいたい。そして、次の戦いこそは知盛のそばで……それが、今の師盛の願いだった。
不意に、東の空が明るくなった。
夜明けのはずはない。
資盛の琵琶が止まり、皆が立ち上がる。
そのとき、駆け込んできたのは中央隊の侍大将・江見次郎だった。
中央隊の大将軍は、すぐ上の兄、有盛だったが、法要のため指揮所に来ていたのだ。
師盛は、丹後侍従忠房と共に遊軍となっている。
「夜襲にございます! 義経軍が小野原に、火を放ちました。民家を焼き払いながら、本陣に向かっております!」
真っ先に口を開いたのは、資盛だった。
「なんと卑怯な。法要中は、仕掛けないのが礼儀というものだ」
それを聞いても、がっかりもしない自分を師盛は感じていた。所詮、兄はこの程度なのだ。知盛であれば、文句を言う前に行動に移しているはずだ。
しかし、そんな気持ちも長くは続かなかった。
初めて見る戦の業火は、師盛の予想をはるかに上回るものだった。
目の前にそびえる炎の壁は、そのまま自分たちを飲み込んでしまうかのようだった。地を走る炎は、侵略という言葉でしか言い表せない動きで足元を狙う。
たまらずに見上げた空には、星を隠してしまう火の粉と噴煙。
具足を整える間もなく眼前に迫った火は、師盛の気概を根こそぎ奪ってしまっていた。
目に映る炎に圧倒され、体はとうに動かなくなっていた。全身が痺れ、手足の感覚もない。
もっとも、そのことに気づいたのは、江見次郎に、
「師盛さま、危ない!」
と叫ばれたとき。
炎に思考を停止され、吸い寄せられるようにゆらりと身体が炎に向かった瞬間だった。
はっとしたときはすでに、江見に抱えられ地面にひき倒されていた。
とたんに、全身にぶるぶると震えが走る。みっともないと思うのに、どうしても止められない。
そんな自分を、江見は哀れみの目で見下ろしている。
その目の色に、知盛の言葉を思い出した。『源氏の搦め手は、必ず三草を通る。くい止めてくれ、師盛の力で』
「くい止めなくては……北辺は、死守しなければ……知盛さまと……約束したから……」
そう言っているのが自分の声だと気づいたときには、江見に馬上に押し上げられていた。
「ひとまず、退却いたしましょう」
江見も馬上の人となり、進む方向を指す。
「いやだ! 退かない!」
そう叫んで、ようやく自分を取り戻した。今の状況も、何とか把握できた。
「師盛さま!」
叱るような江見の口調に負けじと言い返す。
「退かない。北辺を守るために、我らはここにいるのだ。何があっても、くい止めなければ!」
「この火の勢いでは無理です」
「しかし!」
「第一、くい止めようにも、兵がおりません」
あらためて周りを見回す。
そこには、資盛の姿も、有盛の姿もなかった。放たれた火に浮き足立って、いち早く逃げてしまったらしい。
江見と、数人の武士が残っているだけ。
「くっ!」
悔しさに、どっと涙があふれる。
「師盛さま」
江見が、さっきとは打ってかわった優しい声で言う。
「ここはひとまず、退きましょう。一ノ谷までの道は遠い。くい止められる機会はまだあります」
師盛はうなずき、江見に従って西へ走った。
心の中には、資盛、有盛に対する憤懣が渦巻いていた。しかし、走るうちに兄を責められないことにも気づいた。
自分も、あの火を見て足がすくんでしまったのだから。そして、たとえ年は十歳も上でも、戦経験がないということには、兄も自分も変わりはないのだ。
燃えさかる炎に急かされながら、夜の中、師盛は三草の山を西に走った。
しかし、資盛達もただ逃げるだけで終わったわけではなかった。
夜が明け火がおさまって、彼らも冷静さを取り戻していた。落ち着けば、義経軍と兵の数はほぼ同じ。負けが決まっている戦ではない。資盛も、有盛も三草の山のあちこちで戦いを始めていた。
師盛も、夜明けと共に西へ走る足を止めた。そして、搦め手軍の一ノ谷侵入をくい止めるための戦いを始めた。
といっても、実際に戦ったのは侍大将の江見次郎とその配下の武士達で、師盛は馬上からそれを眺めているだけだったが……
これでは戦をしているとはいえない……そう考え、その心苦しさを訴えると、江見はふっと笑って見せた。
「師盛さまは大将軍です。大将軍は自らが戦う必要はないのです。戦いは、私たちがいたします。師盛さまは踏みとどまるという指示を与え、後ろにどっしりと控えていてくださるだけでよいのです」
そういって微笑む江見の顔がどこか知盛に似ていて、師盛は心の中から不安が消えていくのを感じていた。
そして、火に迫られ逃げ出したときに感じた敗北感も、徐々に消えていった。
自分は戦える。
戦おうという意志さえあれば、戦いは出来るのだ。
戦の経験がなくても、力が弱くとも、弓、刀の扱いが下手でも。ここに踏みとどまり、一歩も退かない、怯まない、という意志を示すことが、軍を率いる大将軍の戦の仕方なのだから。
胸の中に、ふつふつと自信と勇気がわいて出る。師盛は、心に浮かぶ知盛の姿にささやいた。
『北辺は……三草は、師盛が力の限り死守いたします。どうか知盛さま、安心して一ノ谷の戦を』
師盛にとって、初めての本格的な戦です。
戦場に立てば、誰もが勇敢に戦えるわけではありません。
恐怖に足がすくみ、逃げたくなることもある。
師盛自身も、最初はそうでした。
けれど、江見次郎の言葉によって、師盛は「大将として戦う」ということの意味を少しずつ理解していきます。
そして最後に、知盛へ心の中で誓います。
次はいよいよ最終話です。




