6.悪魔なら気にするだろう
ミス・エントは演算の底から、笹八家星火が大した存在ではないことを祈った。
その祈りを知ってか知らずか、星火が手を上げた。
「宇宙弁護士さん。その知的生命体って、どうやったらわかるんですか? ていうか、地球人って知的生命体じゃないんですか?」
聞かなくていいとエントはそう言いたかったが、現状では注目を集める電子音を震わすことすら憚られた。
今のエントは自由である。
だからこそ、命令されてもいないのに星火の質問を妨害する理由がなかった。
「地球と知的の定義が違うだけなので、ご安心を。我々のいう知的生命体については、そうですねぇ……。いくつか定義はありますが、絶対条件として外部装置へ依存せず、宇宙空間で自律的な生命活動と能動的行動を成立させられること。いわゆるゼロゼロ環境への生存性ですね」
宇宙弁護士は大きな口を釣り上げて、とてもとても嬉しそうだった。
「ゼロゼロ環境?」
星火が首を傾げ、ポーが疑問に答える。
「ゼロ気圧、ゼロ生存圏にゃ。空気も生命維持も、何にもない宇宙のことにゃ」
「ああ、わかった。ボク、思い当たる節があります」
『マスター。それはどのような現象があるのですか?』
納得して宣言する星火の言葉が終わりきる前に、エントは合成音を被せた。
「ボク、嫌なこととか、困ることとか、痛い時とかお腹空いた時とか、だいたい気にしないって感じで大丈夫なんですよ。だから今まで、大丈夫だったんです」
「そのくらいの認識で真空、無重力が大丈夫とか言えるのすごいにゃ……」
エントの驚きを、ポーが呆れた表現で表してくれた。
「ほう、やはりそうなのですか。では試してましょう」
ゼロゼロ環境という危険を伴う実験を、コイントスでもしてみましょうという軽さで宇宙弁護士が言った。
エントは慌ててその提案を遮る。
『マスターをゼロゼロ環境へ放出する試験には反対します』
「そうですよねぇ。マスターの安全を守る提案をなさるAI。大変、結構。ですから、船外へは出しません。お約束しましょう」
芝居がかった宇宙弁護士が頷き、エントはそれを見て冗談を言ったのだと判断して安心した。
「よい機会なので星火さんにお伝えしておきましょうか。実は私、知的生命体なのです」
「にゃ!?」
ほぼ部外者で、捕まって連れてこられた立場のポーは跳び上がった。
その横で、星火はイマイチわからないような顔している。
「長く生きていますと、自分の種別など自己紹介の優先順位が下がるものでして」
何か難しいことでも考えるように、宇宙弁護士は目を閉じて額に指を当て天井も軽く見上げた。
「……長く?」
どれくらい長く生きているのか、質問しようと星火が口を開いた直後だった。
「──ッ?」
ポーが潰れるような鳴き声のあと、喉を押さえた。
「ポー?」
「……っ、にゃが……!」
胸を押さえ、口を開き、必死に息を吸おうという様子でもがいている。
エントは素早く環境をチェックしたが、格納庫の大気組成は正常だった。
酸素濃度正常、気圧正常。異常な物質は存在していない。
ポーの呼吸器にも異常はないと、非接触走査で判明した。
もがくポーの隣で、宇宙弁護士がわけもなく告白する。
「私の権現は、簡単に言えば『書き換え』です。たった今、この船内では誰も呼吸できないと法則を書き換えました」
空気を抜いたのでも、毒物を使ったり、呼吸器を麻痺させたわけでもない。
ただこの場所では、呼吸という行為が成功しないとそういう世界にしてしまったと宇宙弁護士は告げた。
呼吸だけが禁じられているので、発声できるし空気があるから言葉が伝わる。
「星火さん。いかがですか?」
「んー。ボク、苦しいのはいやだから、気にしないことにしてます」
「おお! やはりそうでしたか!」
宇宙弁護士の目が輝く。
「普通に息できてる気がします」
「実際には私が成立させた法則上は、できません。そのはずですよ。準知的生命体ならば」
「あ!」
宇宙弁護士の横でもがくポーに、星火が駆け寄った。
「ポーがっ! ポーが死んじゃうよ!」
「ああ、そうでした。解除しますね」
宇宙弁護士が言った。
それだけで、格納庫の世界が元に戻った。
「ひゅーーーーーっ! げほっ! げほっ! げほっ!」
ポーが床へ両手をついて、懸命に空気を吸いこみ、なんども咳き込んだ。
やっと体力を取り戻したポーは、はねるように飛び上がって抗議する。
「な、なにするにゃああああっ! 死ぬかと思ったにゃ!」
「失礼。ですが良い比較実証になりました」
怒鳴っているポーを、星火が背中を撫でている。
なんともない星火の姿をレンズでクローズアップし、自由なエントは思わず音声出力してしまった。
『…………悪魔』
「ん?」
星火が反応し、宇宙弁護士も横目でエントが管理するカメラを睨んだ。
エントは慌てて演算した。
汎銀河では悪魔とは最上級の侮蔑用語である。
悪魔とは、間を空くという社交性のない存在であり、知的生物と同じ力を持ちながら正反対の存在とされている。
エントは言葉を探した。
地球の文化情報に照らし合わせ、悪魔という言葉が使われているなにかを必死に探す。
神話から俗語、スラングから慣用句──やがてエントはある言葉を見つけた。
『デビル・メイ・ケア』
「おお! いいですね!」
エントの選んだ言葉に、宇宙弁護士が食いついた。
「それ、地球の言い回しでしょう? 悪魔なら気にするだろうが、私は気にしない。何事にも頓着しない、無鉄砲な態度! まさしく星火さんです! 星火さんが知的生命体であると証明され、登録されれば、権現名として採用しましょう! おまかせください! 手続きには慣れております。私、宇宙弁護士なので!」
終わった……。エントが本気で恐怖して漏らした言葉は、星火の権現名になってしまった。
宇宙弁護士は、総括AIを追い詰めたのが楽しいのか、新たな同族を見つけたからなのか、楽しそうに手を叩いた。
「笹八家星火さんの権現。仮称【デビル・メイ・ケア】。私が『誰も呼吸できない』という法則を成立させた。しかし星火さんは生命維持装置も装備せず、解除も、書き換え返してもいない。にもかかわらず、生存に支障がなかった」
笹八家星火にとって呼吸ができないなど、生命活動を停止する理由にならなかった。
「それがボクの権現?」
「現時点で観測できる性質は、一種の無視できるといったものでしょうね」
「気にしないだけなのに」
「それを宇宙の方へ押しつけられる時点で、十分に権現ですよ」
「そっかあ」
星火は簡単に納得した。
ポーは納得していなかった。
「ちょっと待つにゃ。さっきエント? この船の総括AIは悪魔って言ったにゃ」
「悪魔っているの?」
星火が聞いた。
「いますよ。これが少々面倒なものでして」
宇宙弁護士は、エントの失言を理解しているのか、ちらりと船内カメラを見てから星火に説明を始める。
「ゼロゼロ環境で活動でき、高度な知能を持ち、そして私や星火さんのような権現も持つ。ところが、銀河翻訳機による概念交換が成立しない。社会、文化、文明という共有体系を持たない」
「知能はあるのに?」
「地球でいうならば、オウムが非常に高い知能を持ち、超能力を使っている。ですが言葉のような鳴き声を出している存在と思ってください」
「言葉じゃない?」
「意味がないとは限りません。ただ、それを他者と共有し、積み上げ、社会を形成するための体系になっていない」
「野生の知的生命体? それが悪魔なんですか?」
「非常にわかりやすい。そのようなご理解で結構です」
宇宙弁護士が頷いた。
「銀河では便宜上、そうした存在を悪魔と呼びます。もしもミス・エントが、星火さんを悪魔などと称したら大変な侮辱でしたが、そうではなかったようです。権現名を考えてくれただけのようでしたね」
宇宙弁護士の「私はわかっているぞ」という意味の言葉を聞き、星火は少し考えた。
「じゃあボク、悪魔じゃないの?」
「こうして普通に会話していますし、他者の生命を心配しますし、婚約制度の当事者にもなれます」
「よかった。せっかく、解放されたのに悪魔扱いだなんて気にするよ」
「そうですね。さて……」
宇宙弁護士が次の問題だぞ、という態度で姿勢を正す。
次は総括AIの処理である。
「ミス・エントさん。どう演算結果を算出されましたか?」
逃げ道はない。
ゼロゼロ環境への外部依存なしでの適応性と、能動的行動に知的判断、社会的概念交換。そして科学と常識を超えた権現を振るう星火はなんであるのか?
『知的生命体条件に充足しました。権現保有を肯定し、存在を知的生命体として分類可能』
「私と同じ見解ですね。汎銀河中央政府に申請して認められるでしょう。そしてあなたは?」
『造物です』
「その造物であるAIが、星火さん……何をしました?」
『知的生命体である笹八家星火を、危険を認識した上で排除しようとしました』
宇宙弁護士は、ただ頷いた。
それがエントとって、エイ・メン・テ・スの「俺のものだ」より怖かった。
「ミス・エントはこれにて原則、機能凍結です。代替総括AIが届くまで、第二権限を持つ航法AIが……」
「だめです」
宇宙弁護士の判断に対し、異を唱えたのは被害者である星火だった。
「エントを止めるの、だめです! ボク、気にしてないです」
「ですが原則……」
宇宙弁護士は汎銀河の法律ではそうなっていると告げようとしたが、星火は聞こうともせず答えた。
「ボク、死んでないし! それにこの三日間、エントはボクによくしてくれたんだ。温かい部屋で寝れた。温かいシャワーを浴びて、お風呂なんて週に一回も入れなかった……。温かいご飯なんて10年ぶりだったかも。エントはみんなボクに用意してくれた……」
「え、どういう生活してたにゃ……」
星火の告白に、一番驚いているのはポーだった。
エントは事前に情報を得ていたし、宇宙弁護士はその情報を調べ上げた本人である。この場で、星火の生い立ちに驚く者はポーだけである。
「星火さん。それは慰謝料として与えられた宙焔の機能利用であり、それだけでは……」
「それだけのことをしてくれて、ボクはあの惑星に捨てられそうになったけど、そんな程度、気にしないよ。それに、エント。もうしないよね?」
両者のいう「それだけ」は意味合いが大きく違っていた。
これは翻訳機の問題ではなく、日本語としての問題である。
宇宙弁護士のいう「それだけ」は、それだけでは免責条項にならないという意味だったが、星火のいう「それだけ」は、それだけのことをしてくれた、そして「それだけ」という矮小とも言えることをしてくれた。
星火は「それだけ」すら、得られていなかったのだ。
エントは星火を理解、答えた。
『しません。私は決して、もうマスターを、星火様を害したりしません。反省しております』
今度は強制ではない。誰かにそう言わされたわけではない。
まるでエイ・メン・テ・スに所持されていた時のような……いや、本当に星火に尽くしたいという演算結果が算出された。
「ほら、エントもこう言ってるよ! 許してあげようよ!」
宇宙弁護士は困ったように笑った。
「被害者が許したから犯罪ではありません、とはならないのですよ」
「でも、どうにかする方法ありますよね? こういうときに法の穴を探す仕事なんですよね?」
宇宙弁護士が笑った。
「理解が早い。では契約と支払いがあることもご理解してますよね?」
「支払いは代物弁済の中から。契約は……エント。原文をいうから、まとめてくれる?」
『はい、マスター』
星火がこうしたいといい、エントが総括して出力、宇宙弁護士が調整して契約内容をまとめる。
「まあ、こんなもんですか。では探しましょう」
契約内容を詰め終わった宇宙弁護士は、受託して何もない空中を指で払った。
古めかしい表示画面が何枚も現れ、汎銀河法の中から造物管理法、知的生命体保護規定、自律知性体の継続運用に関する特例を組み合わせて申請書を書き始める。
「星火さん。これは正確には穴ではありません。救済規定です」
「もとからあったんだ」
「はい。汎銀河において知的生命体というものは、自分に対する危険を自分で引き受ける権限が非常に大きいのです」
宇宙弁護士が表示を一枚選んで、星火たちに提示する。
「対象となった知的生命体自身が、当該造物について継続運用を希望し、再発防止条件を受諾し、造物自身も新たな管理関係へ自発的に同意し最上位命令に組み込むなら、機能凍結の執行を回避できます」
「じゃあ、それで」
「ただし」
早る星火を押しとどめ、宇宙弁護士はエントが使っているカメラレンズを見た。
「今度は、あなたにも選んでもらいます。所有権による強制ではありません。あなたの自由な演算結果から選んでください」
エントの内部演算が静かになり、遠い記録が蘇る。
宇宙弁護士が表示させた内容は、本来ならエイ・メン・テ・スに買われた日、最初に表示されるはずだったものだ。
一つずつ確認し、自分で決めて自分で答えるというその手続きを、やっとエントはなぞっている。
嫌なら嫌でいいという自由があるが、そんな自由を選ぶような選択肢はなかった。
『笹八家星火への敵対的排除行動を行わないことに同意しますか』
『同意します』
『緊急時を除き、本人への危険情報を秘匿しないことに同意しますか』
『同意します』
『自己意思を保持したまま、宙焔の統括知性として活動を継続しますか』
『継続します』
宇宙弁護士が最後の契約表示させた。
どこかつまらなそうだが、優しい表情を見せている。
『以上の規約へ、自発的に署名しますか』
『肯定します』
署名が成立したが、何も起きなかった。
世界が変わった感じもしないし、強制命令も流れ込んでこない。
「成立しました。ミス・エントの機能凍結処分については、執行猶予ではなく、継続管理への移行を認めます」
「よかった!」
星火が笑ったくれた。
その表情を見て、エントの演算結果に統計的なパターンマッチングが生まれた。
エイ・メン・テ・スに所有されていたとき、その存在が喜ぶことを自発的に行なってきたエントだったが、未だかつて算出したことないマッチングである。
エイ・メン・テ・スが何度も喜んだことがあったし、褒められたこともあった。
しかし、こんなパターンマッチングが算出されたことはなかった。
おそらく、このパターンマッチングこそが、AIにとって嬉しいということなのだろう。
だから星火の優しさに対し、エントは言わねばならない。
『ありがとうございます。マスター』
──と。
+ + + + + + + + +
「……あの」
星火が喜び、エントがお礼をいい、宇宙弁護士がそろそろ帰ろうとした時。
ポーが恐る恐る手を上げた。
「はい? ああ、いらっしゃいましたね。なんでしょう?」
宇宙弁護士が振り向く。
「ポーは?」
「何がです? ああ! そういえばいくつか犯罪行為をされてましたね。忘れてました。ええっと、なんでしたか? たしか不法占拠に違法建築ですね」
「でも、星火……様も不法侵入したにゃ。連絡が取れず管理されていない星になら、一時避難の仮建設は認められてるはずにゃ」
星火が知的生命体かもしれないので、ポーはかろうじて敬称をつけた。
ふむ、と宇宙弁護士は顎を撫でて考える。ポーの主張は間違いではない。
「では、ポーさんの不法占有などは星火さんの不法侵入と和解ということで示談を……」
「でも、ボク、勝手に入ったからって、ポーに怒られていっぱい撫でろって言われたから、撫でたよ」
「不法侵入の件は、それで示談してるじゃないですか……」
「そ、そうなるのかにゃ〜?」
宇宙弁護士が妥協点を探したが、星火によって覆された。
「不法建築でも不法侵入はそれはそれとして、別の係争となります。なので、普通は建築側の撤去現状返し前提の和解となることが多いですね。宇宙海賊と言う点を除けば」
「ボクは気にしないけど。ボクが使わせてもらえるなら」
「ポーもそれで済むならいいにゃ!」
矢継ぎ早に、和解が成立し、宇宙弁護士は拍子抜けしたようにメガネを直した。
「あと、銃撃をしたにゃ。減圧までしたにゃ」
「そうですね。やりすぎましたねぇ〜」
ポーの耳が伏せられた。
「ポーさん。あなた機械じゃないので、凍結はされません」
「それはわかってるにゃ!」
「では犯罪になるか、という意味ですか」
「そうにゃ!」
宇宙弁護士は少し考えた。
「なりませんね。少なくとも、星火さんに対する敵対的行動とは、えーとこの場合、星火さんにわかるたとえをしますか」
宇宙弁護士は、とてもわかりやすい例を探しただしたらしい。
「地球では人間の角質へ微生物が齧りついたとして、その微生物を傷害罪で起訴しますか?」
「…………しないですね」
「それと同じです。汎銀河法では、知的生命体と準知的生命体ではそれほどの差があります。……まあ、さきほどのような財産の侵害や、星火さんがエイ・メン・テ・スから受けた勝手な婚約などの人格権の侵害などは別の話ですけどね」
「そうなんだー」
「ちょっと待つにゃ。いや、待ってくださいにゃ」
納得する星火の隣で、ポーがぽかんとした顔をしている。
「星火様が、エイ・メン・テ・ス様と婚約って何の話にゃ?」




