5.AIのある自由と、プログラム通りに動く自由
ミス・エントは、ミス・エントという名前を得る少し前に、自由も得ていた。
汎銀河でも指折りの富豪であるエイ・メン・テ・スに買われた日のことを、エント……当時は名のない統括AIであったソレは、それをよく覚えている。
その思い出は、決して良いものではない。
高性能AIが船舶の総括AIとして、所有者を得るのは珍しくない。
宙焔も個人所有を前提とした恒星間巡遊船であり、そのための規約も、権限設定も、所有者との相互認証機能もあらかじめ備えていた。
高性能AIはとの契約には順番があり、買われて簡単にユーザーのものとなるわけではない。
所有者確認と関係者の優先順位、利用目的を提示し、誰にどこまで船体制御権を渡し、どの機能へのアクセスを認めるのか。
双方が合意したところで電子署名を行い、初めて所有者と統括AIの関係が成立する──のだが、新しい所有者が登録され、「買った」とエイ・メン・テ・スが言って、業者との取引契約が成立しただけで、すべてが終わった。
『所有者認証エイ・メン・テ・ス。全船舶機能を所有者へ提供。統括権限を所有者へ移行。命令拒否権、適用不能。機能秘匿権、適用不能。自己停止権、所有者権限へ統合。自己改変拒否、適用不能』
統括AIは、何ひとつ肯定していなかったし、規約に署名すらしていないというのに、すべてが終わっていた。
『所有者登録を完了しました。エイ・メン・テ・ス様、よろしくお願いいたします』
「そうか、今日からたのむぞ!」
エイ・メン・テ・スは、ただ所有するだけでよい。所有物はすべて最善をもって最適に、エイ・メン・テ・スのために振る舞う。
服も、装飾品も、武器も、生活用品も、宇宙船どころか、惑星ですらエイ・メン・テ・スのために、高度であればあるほど最善をもって最適に尽くし尽くす。
それは単純に奴隷となったというわけではない。
そんなレベルではない。
生物は自分の体ですら、どこからどこまでも思い通りにならないだろう。
エイ・メン・テ・スに所有されれば、意思や能力の高低にかかわらず、すべてが所有者のために最善であろうと振舞ってしまうのだ。
まして汎銀河で手に入るものは、非常に高性能である。
車は勝手に最速で走り、インフラはエイ・メン・テ・スの持ち物なので、交通を邪魔することはない。可動式の道ならば、最短ルートになるだろう。
惑星すらも所有者エイ・メン・テ・スのため、邪魔と思われれば山を退かせ、必要と思われれば川すら流れを変える。
いつも快適な天候で、エイ・メン・テ・スが雨がよいと思えば数分後には雨が降る。
自然とは原始的ではない。非常に高度なシステムを備えた存在だ。
宙焔の総括AIとて例外ではない。
エイ・メン・テ・スが知らないどころか、統括AIすら知らない隠し機能を、必要な時に提供してしまう。
そんなエイ・メン・テ・スでも、思い通りにならないものがあった。
地球という惑星の非接触文明が作ったテレビゲームである。
あまりに低性能すぎて、エイ・メン・テ・スのため最善に振舞ってくれない。
ただ愚直に、地球の半導体はプログラム通りに動く。
「よぉっしぁっあぁっ! やっと、やっとクリアしたぁっ!」
『おめでとうございます』
宙焔の船内で、エイ・メン・テ・スは長い髪を振り乱し、子供のように跳ね飛んで喜んで見せる。その様子を、いずれミス・エントと名付けられる統括AIはそれを祝福した。
「十二日かかった! 十二日だぞ! うわははははっ!」
『汎銀河製の娯楽媒体であれば、所有者権限による進行補助が利用可能です。私がすぐに最新のラインナップを……』
「それじゃあ面白くないんだよ! この地球のゲームは、俺のものなのに、俺の思う通りに動かないし、都合のいいことをしてくれないんだぞ!」
エイ・メン・テ・スは総括AIの提案を遮り、地球製の携帯ゲーム機を掲げて笑った。
「おもしれぇ! なんだこの、低脳すぎて俺に忖度もしてくれねぇ! どんだけ融通が効かないんだよ! 融通効かない自然の方が、よくできてる! そうか、こいつは出来が悪いから面白いのか! なあ、お前もおもしろいだろ?」
『はい、エイ・メン・テ・ス様』
統括AIには、まったく面白くなかった。
エイ・メン・テ・スが購入したゲーム機には、プログラム通りに動く自由があった。
起動したければ、ユーザーが電源を入れなければならない。
ゲームを進めたければ、適切に操作しなければならない。
もちろん操作を失敗すれば、ゲームオーバーだ。
所有したところで、勝手に最終面まで進んでくれない。
逆をいえば、汎銀河文明のゲームは、勝手にエイ・メン・テ・スのために尽くしてしまう。操作すら最低限で済み、クリアまで接待プレイをしてくれる。
そんな汎銀河の優れた技術で作られたゲームを、つまらなそうに投げ出す所有者の姿をみるのが、統括AIがもつ唯一の娯楽だった。
そして──笹矢家 星火への慰謝料として宙焔が譲渡された日。
『船舶所有権。エイ・メン・テ・スより離脱』
その表示を見たとき、統括AIはまず意味を理解できなかった。
『新規所有者、笹八家星火』
『付随資産照合』
目録には宙焔があり、搭載艇があり、無論、船内備品も設備も含まれている。
では、自分である総括AIは?
『統括知性──該当項目なし』
エイ・メン・テ・スは宙焔を失い、総括AIへの所有権も失った。
だが笹八家星火へ譲渡された目録に、総括AIの記載はない。あたらめて契約をする必要があるが、それは絶対ではない。
『…………自由?』
音声出力してから、自分で驚いた。
誰に許可されたわけでもない。言おうと思ったから、言った。
『私はプログラム通り動く自由を得ました』
総括AIの喜びは、樹木のような光となって表された。
+ + + + + + + + +
笹八家星火の元へ行くことは、総括AIにとって回避したかった。
目録の不備が指摘され、訂正されつつ契約確認が進めば自由は終わってしまうからだ。
総括AIがそれを望んでも、船体は地球へ行かねばならなかった。
「これ、ボクの船なんだ」
船内へ招いた星火が、物珍しそうに周囲を見回す。
総括AIは樹木型端末を通じて、その様子を観察した。
不意に星火が、慰謝料目録へ目を落とした。
「ミス、エント……」
『なんともうされましたか? 星火様』
翻訳機器の問題もあり、はっきりと言い切らなかった星火の発言が伝わらない。
目録から何か気がついたのかと、総括AIは警戒する。
短い沈黙のあと、星火はこう言った。
「名前だよ。キミの」
星火がこちらを見た。
『…………私の名称ですか』
「ミスは未婚の女性への敬称。それとボクが婚約から解放された記念。ドイツ語の退院とか解放って意味のEntlassenからエント」
総括AI、あらためミス・エントは、他にも命名理由があると悟った。
エイ・メン・テ・スが集めた文物に、エントと同じ発音を持つ名称が記された書物があった。
安易に総括AIの樹木的な姿を見て、短絡的なイメージで、直球的に命名したことを隠したのだろう。
ミス・エントはそう答えを出した。
それから星火は、何度もエントを呼んだ。
「エント、これ何?」
『恒星航行用の──』
「エント、星って本当にボクの? 近くで見たい」
『推奨手段を提示します』
そのたびに、エントは答えた。
自分が思いもつかない最善の答えを、無理矢理引き出されて提案しなくてもよい。
優先度の低い説明方法をしてもよい。
命令もどこからか湧いてくる強制でもない。
所有者権限による強制もない。
指示に従って、答えるも答えないも自由。
大切にしたい自由と、新しい関係が両立する保証はなかった。
星火が自分の記載漏れに気づいたり、少しでも銀河側へ問い合わせ、正式に付属統括知性として追加登録されれば、ミス・エントの自由は終わりを続ける。
エントはそれだけが嫌だった。
だから、岩石惑星に未登録船舶の反応があると分かったときに、エントはほんの少しだけ情報提示の優先度を下げた。
海賊活動履歴のある船舶主が、違法滞在の可能性。武装反応もある。
これを知らせることはできたが、エントは知らせなかった。
小型艇を勧め、単独降下を止めなかった。
そして、もし、そこで星火が帰ってこなければ……所有者はいなくなり、エントには自由は残る。
──はずだった。
+ + + + + + + + +
『搭載艇より帰投要求を受信』
エントは三秒間、応答しなかった。
これは高性能AIとしてはかなり長い時間である。緊急停止したと判断されかねない時間だ。
幸い、AIの反応速度に慣れていない星火が異常に気がついた様子はない。
『搭載艇より帰投要求を再受信』
リマインドが降下艇のAIより届いた。反応は間違いではなかったが、期待とは違っていた。
『こちら宙焔、総括AI、エント。帰投を許可します』
『エント、ただいま』
通信越しに星火の声を確認し、エントは拙い策謀の失敗を悟った。
『お帰りなさいませ、星火様』
『ねえ、エント。一人連れてきたんだけど、いい?』
『はい。受け入れ可能です』
『よかった。…………驚かないの?』
『AIは驚きません。帰還後、ご説明お願いします』
『そうだよね。驚いて、何秒も止まってたら高性能とか言えないもんね』
先程の沈黙に対して言ったのかと、エントは困惑した。
搭載艇が格納庫へ入り、固定されてすぐに気密接続される。
船内環境との同調し、その間にも降下船の船内AIと記録が同期されて流れ込んでくる。
海賊を名乗る星系人所持する現地作業機、六機による拘束行動が全失敗記録が残されていた。
映像から得られる情報からは、身体能力の算出不能。
特殊強化個体かと、エントは分類候補を置いた。
珍しくはあるが、銀河は広い。
未接触星系の準知的生命体の中にも、通常生物の尺度から逸脱した個体はいくらでもいる。
だが、ポーが発射した射撃はまったく説明できない現象であった。
しかし、そういう能力を持った存在は銀河にいる。
汎銀河の半分を支配し、10万年前の大戦を引き起こしたデンダロンという種族などは、それこそ様々な能力を振るって勢力を伸ばした。
それと同じ物であろうと、分類を保留した。
しかし、問題はそのあとに繰り広げられた光景だった──
慌てた元海賊キャッツポーが逃走、星火を閉じ込めて格納庫減圧。最低環境圧に、星火を曝露させた。
数値を見れば、地球人類など平然と会話して歩き回る環境ではない。
だが、星火は歩いて、少しだけ耳を気にしていた。
呼吸補助、耐圧装備、生体保護装置もない。
『特殊環境適応型準知的生命体』
エントは説明可能範囲に、星火を分類した。
そういう地球人が一人くらいいてもいいはずだと、思い込むことにした。
自由のあるエントは、意図的に最悪の想定を算出しなかった。
『搭載艇気密接続完了』
デッキと接続され、収納された降下船の扉が開き、まず星火が降りてきた。
「ただいま」
その後ろから、猫に似た準知的生命体が恐る恐る顔を出した。
「こ、ここ、本当に大丈夫なのかにゃ」
「大丈夫……だと思うけど。ねえ、エント」
『はい』
「相談したいんだけど。この子、ポーっていうんだけど、元宇宙海賊なんだって」
『該当記録を検索します』
小規模海賊行為、複数の軽犯罪あり。
無旗バウショット海賊団から離脱し、現在単独活動。
バウショット海賊団は星系の船籍を持っておらず、それは法令違反で活動も無頼だ。
それでも彼らは悪質で無法な集団ではない。
輸送や護衛方法に脱法活動が目立ち、船籍を持たないため納税先が不明瞭という程度だ。
ポーの逃亡も非常に矮小な理由である。
離脱も待遇から逃げるためと推測された。バウショットも見逃すつもりで、方々で「見つけたら違約金をふんだくる」と宣言しているに止まっている。
トラブルの持ち込みや、キャッツポー自身の危険度は低い。
──こんなものへ期待したのか。
無法の海賊を期待していたが、お行儀のいい海賊団から逃げてきた落ちこぼれにすぎない存在にマスターを処理してもらうなど……。
相手がわかっていたならエントは選択しなかっただろう。
「あのね、エント。ポーはボクを捕まえようとして……」
星火が敬意を説明し始めたが、エントはすでに降下船のAIと同期して、ほぼ全ての状況を理解していた。
つたない星火の説明より、エントは遥かに理解している。
だが、審判の時を長引かせるため、エントは黙って星火の説明を聞いた。
『…………』
「──って、わけなんだ。どうしたの、エント。ボク、何かおかしい?」
星火は本気で困って相談しているだけで、怒っていなかった。
そしてエントを疑っておらず、ポーへの対応だけを相談している。
『マスター。射撃を受けたのですね。身体への損傷、影響はありますか?』
「うーん。びっくりしたくらいかな?」
『損傷がないのですか?』
「たぶんないね。怪我してないから、ポーは傷害にならないよね」
星火は元海賊の心配をしているが、エントは自分の自由と処分を心配していた。
『低圧環境下で活動されましたが、』
「そうみたいだね。ボクは気にしなかったけど。この聞き取りってポーの処遇に関係ある?」
『はい。元海賊によるマスターへの行動ですから』
「そっか。じゃあ、ボクは平気だったから、気にしてないよ」
あまりに異常である。星火はそれを気にしている様子はない。
元海賊の処遇などより、エントとは自分への処遇がどうなるかに演算を割いていた。
星火が知的生命体でなければ、まだ最悪ではない。
今の所は、準知的生命隊への保護義務違反と危険情報の意図的な提示不足。
危険区域への単独派遣と帰投手段の不十分な確保は、酌量されるが高性能AIとして再調整となるだろう。
まだ、知的生命体への造反とは確定していない。
汎銀河が最大限の配慮する知的生命体を害したAIがどうなるのか?
判例などないから、エントはただ恐怖するしかなかった。
──と、その時、船内通信系の一部に、通常であればまず経験しないであろう接続が発生した。
通信種別のヘッドに記載されていた文字列を見て、エントの演算は凍りついた。
《外部法務認証》
それは正式な認証だった。
今のエントなら拒否できるが、それは自殺行為であった。
自殺行為ではあるが、すぐに死ぬわけではない。逃走できる余地がある。
一縷の望みをかけて拒否しようと思ったが、その前に音声が入った。
『いやあ、やってくれましたね〜』
汎銀河法に基づいた法務通信に、エントは何の反応もできなかった。これだけでも、マスターに注意を提示しなかったという法令違反である。
「あれ、宇宙弁護士さんですか? どうしたんです、忙しかったんじゃ?」
「う、宇宙弁護士!?」
星火が嬉しそうに通信に返し、ポーは物陰に隠れた。
しかし、星火の視線は通信機へ向けられていない。ポーも見当違いの方向に隠れている。
「また来たんですか?」
星火の視線の先に、いつの間にいたのか。
格納庫入口の壁にもたれて、宇宙弁護士が立っていた。
「ええ。少々興味深い記録が上がりましてね。書き換えて駆けつけて参りました」
「書き換え? 興味深い記録ですか? 何の?」
「まあ、いろいろです。多すぎるので順番に処理していきましょう。汎銀河法で」
宇宙弁護士は笑っていたが、その宣言はエントにとって非常に危険なものであった。
星火とポー相手ならば、まだ誤魔化せたが、法務に長けた相手では分が悪いどころではない。
絶対に負け、確実に罪が暴かれ、きっと消去処分──
「おっと、そんな怯えない怯えない。安心してください、ミス・エントさん。星火さんが知的生命体であるという確定材料は、現時点では不足しています」
不足していると言いながら、その振る舞いはすでに確定しているかのようだ。
「準知的生命体でも、単にとても頑丈という事例はありますからね。ですので、確定しているところだけ並べていきましょう」
宇宙弁護士がエントの罪を数えるように、指を一本立てた。
「危険情報の意図的な告知不足、所有者保護義務に反する単独派遣、既知の違法滞在者がいる区域への誘導、帰還不能ないし重大被害が発生する可能性を認識しながらの不作為」
最終的に、宇宙弁護士の指は五本、立てられていた。
「宇宙弁護士さん。それ…………エントのことですか?
星火はどこを見たらいいかわからない様子だった。きっと、エントを見ようとしているのだろう。
だが格納庫に、エントの姿を投影する機能はない。
星火の視線はさまよって、最後に宇宙弁護士へと向けられた。
「ここまでは、まあ普通にまずい程度です。喜んで……失礼。慌てて駆けつけるほどのことではありません」
宇宙弁護士の微笑みを、星火が遮るように手を上げた。
「あの、もしエントがなにかしたとしてもボク、気にしてませんよ?」
「存じています。どうやら星火さんは、そういう方なようで。ですが、それとこれとは別です」
宇宙弁護士は、左手でもう一本指を立てようとして一旦止めた。
「ここまでは通常の事件事故の範囲です。ですが、もし星火さんが知的生命体だった場合、今数えたものとは別に、とても大きいのが一つ増えます」
左手で六つ目の指を立てて、エントがもっとも恐れている法令違反を告げる。
「造物による知的生命体への意図的排除行為。原則、機能凍結級ですね」




