2.ミスエントリー
日常の頭上に、宇宙船という非日常が、音もなく舞い降りてきた。
本当に脈絡もなく、轟音どころか駆動音や不自然な風すら感じさせず、白銀の巨体が空の彼方からまっすぐボクの真上に飛来した。
日曜ということもあって、ご近所は大騒ぎだ。
隣の田中さんご夫婦も、寝起き姿のまま二階の窓から身を乗り出して空を見上げている。近くのマンションでは、ベランダから相当数の人が顔を出し、空を指さして騒いでいる。
そりゃあ、そうなるよね。
ボクだって事情を知らなかったら、たぶん一緒になって騒いでいただろう。
そんなことより────宇宙船はとても綺麗だった。
単純な涙滴型に見えるのに、先端から船尾へ長く続く滑らかな曲線には、何度も視線でなぞってしまうような美しさがある。
白銀、いや白に近い銀色なんだけど、日の光をそのまま反射している感じではない。表面そのものが淡く光っているようにも見えた。
「モビーディック…………」
ボクは住まわされていた物置を漁り、毛布に包まりながら薄暗い中で貪り読んだ本の一冊を思い出す。
船名は【宙焔】だと聞いている。
でもボクには、これが白鯨に見えた。
そんなものが、住宅街の上に浮かんでいる。
ボクの家族は、ボクを置いて旅行へ行っているので、この光景を見ていないだろう。
こんなすごいものを生で見られないなんて、ちょっと可哀想だな。
……って、それどころじゃない!
「な、なんで真上に浮かべているんですか! 地球文明には不干渉って話はどうなってるんですか?」
「不干渉や接触制限、現地社会への社会的影響、心理的影響より、資産引き渡しの確実性と指定時刻が優先されますので」
宇宙弁護士さんは、さも当然という顔で答え、言葉を失ったボクはもう一度、空を見上げた。
ものすごく大きい宇宙船が視界いっぱいに広がっている。
そして、ご近所中がスマホを向けている。
「絶対、大騒ぎになりますよね」
「はい。そのようですね」
宇宙弁護士さんは、顎を撫でながら周囲の人たちの様子を見てそう言った。
この人、ちょっと他人事すぎないだろうか?
宇宙人だから他人どころか、他星人の話ではあるんだろうけど……。
そう思って横顔を眺めていたら、宇宙弁護士さんはハッと様子で何かに気がついた。
「ああ、もしかして。未接触文明へ不干渉の原則が、その文明を驚かせないための神聖な原則だとお考えでしたか?」
宇宙弁護士さんは、そこでようやくボクが何を勘違いしていたのかわかったらしい。
「違うの?」
「違いますねぇ。地球文明は汎銀河共同体において、すでに準知的文明として観測・登録されています。人格主体としての権利も一定範囲では認められております。ただし、未接触である。それだけです」
「それだけって……」
「たとえば、こちらの星でも似た話はあるでしょう」
宇宙弁護士さんは、空に浮かぶ宙焔を見上げた。
「地球上であなた方の定期運航する航空機が、航空技術を持たない原始的な生活をしている集落の上空を通過するとします。その住民が航空機を神と崇めるか、悪魔と恐れるか、社会問題になるか。それを勘案して理由にし、航空路そのものを変更しますか?」
──ああ。わかった。
「不干渉って、ボクたちをびっくりさせないためのルールじゃないんですね。見られても気が付かれても、干渉しない。そういうルールですね?」
「ご明察です」
接触するな、技術を渡すな、勝手に社会へ入り込むな。
そういう取り決めはある。でも、それは地球人一人一人を傷つけないよう、みんなで優しく見守ってくれているからではない。
超文明同士で勝手なことをせず、余計な権利関係を作らないで揉めないため。
そんな意味合いの方が強いらしい。
「それでも、こんな露骨に見せていいんですか?」
「正式な所有権移転に伴う引き渡しですから、法令に基づいてます」
「法律ってすごいなぁ……」
「法律は便利ですよ。私もよくお世話になってます」
お仕事にしてる宇宙弁護士が言うと、どうにも違う意味に聞こえる。
「しかし、聡明な方ですね、星火さん。あの俄か分限でも、一応は名目上結婚する相手を精査していたようです」
「……にわか、ぶんげん?」
宇宙弁護士さんが、また変な日本語を使った。
ボクは読書家のつもりだけど、それでもよく知らない言葉だった。
「ふ〜む。翻訳がイマイチのようですね。成り上がり者、くらいの意味です」
「エイ・メン・テ・スさんって、銀河でも有数のお金持ちなんですよね?」
「まあそうですね。特別な方ですが、そういう方です」
言葉にできないのだろうか、含みがある。
銀河には、お金では買えない格みたいなものがあるのかもしれない。
今のボクには関係ないので、それ以上は聞かなかった。
そう、ボクは気にしない。
「それより、どうするんですか。こんな大騒ぎになって」
「期限までに受け取り方法を、あなたが事前指定できなかったのは、少々痛いところでしたね」
「他人事みたいに……」
どうやら、もっと早く宇宙弁護士さんと接触できていたなら、受け取り場所を変えたり、引き渡し方法に要望を出したり、物品によっては受領を延期したりもできたらしい。
でもボクが悪いわけじゃないし、宇宙弁護士さんが悪いわけでもない。
そもそも向こうから地球へ接触すること自体、ずいぶん面倒な手続きだったようだ。
「こんなことなら、他の案件を後回しにして星火さんとの接触を優先しておけばよかったですね」
「ボク、優先度低かったんだ」
「こちらとしましても、火急ではありませんでしたので」
やっぱりだ。
ボクどころか、地球そのものが銀河からすれば大して重要ではないのだろう。
ちょっと寂しいような気もするけど、気にしても仕方ないから、ボクは気にしない。
「では、最初の受領手続きを。こちらへサインを……ああ、筆記具は不要です。【宙焔】側で所有者認証を行いますので」
「どうやって?」
「もう終わりました」
「え?」
ボクは自分の体を見下ろした。
宇宙船からレーザーみたいなものが出て、赤や青の走査線が全身をぴかぴか照らしたとか、そんなことは何もなかった。
「いま、終わったんですか? 全然わからなかった……。もっとピカー、ビヨンビヨンってならないの?」
「はい。認証のたびに対象へ可視光を照射する必要はありませんから」
超文明のスキャンは、映像的に地味だった。
「では、現時刻をもって、クラスB―2級恒星間巡遊船【宙焔】の所有権は、笹八家星火さんへ正式に移転しました」
「……ボクの船?」
「はい、あなたの船です」
ボクは空を見上げ、【宙焔】の巨体を端から端まで眺めようとして、先端と後部まで視界に入れることができなかった。
家すら自分のものを持っていないのに、その前に宇宙船を持ってしまった。
順番がおかしいし、大きさもおかしいし、その上で宇宙船ということもあって、まだ実感がない。
「乗りますか?」
「もちろん! 乗ります!」
当たり前のことを宇宙弁護士に聞かれたので、思わず笑顔で答えてしまった。
笑ったのはいつぶりだろう。
「即答ですね」
「だって宇宙船ですよ? 乗らない理由がないです!」
ボクがそう言うと、宙焔の下面に、縦長の光が生まれた。
宇宙船の扉が開いた……ようには見えない。ただ、それまで何もなかった場所に、白い通路が一本伸びている。
「エレベーター?」
「似たようなものだとお考えください」
ボクは一歩踏み出した。
ふと振り返る。
隣の家とその向こうのマンションから、道に出てきた人たち。
みんな遠巻きに宇宙船を見上げている。
「……これ、あとでどう説明しよう」
「現地社会における説明義務は、こちらの管轄ではありません」
「でしょうね」
ボクは気にしないで、白い通路へ足を乗せる。
歩いている感覚はあったのに、気がつくとボクは宇宙船の中にいた。
「うわぁ……」
思わず声が漏れる。
エントランスとでもいうのだろうか?
ホテルのロビーをイメージさせ、まるで宇宙船の中とは思えない。とても地球的だ。
外から見ても大きかったが、中はもっと広く感じる。
たぶんカウンターテーブルなど大きさがわかる見慣れた調度品があるから、対比がわかって天井までのどれくらいとか奥の壁まで距離とかわかるからだろう。
天井も壁も白く、継ぎ目らしいものがない。
地球の文物好きの人がデザインしたのか、高級ホテルの作りをしているけど、床だけがほんの少し暗い銀色で、歩く場所を教えるように淡い線が伸びていた。
『笹八家星火様』
女の人の声がした。
案内通り進もうとしたボクは足を止める。
『所有者認証を確認しました。クラスB―2級恒星間巡遊船【宙焔】への搭乗を歓迎いたします』
「えっと……誰ですか?」
ぼんやりと緑色の映像が浮かび上がり、やがてはっきりと無機的な樹木のような姿がボクの前に現れた。
水に見える淡く青い線が流れ、その樹木のような映像に接続される。
『当船の統括知性です。航行、船体管理、生命維持、保安、資産管理、娯楽設備その他、船内機能全般の管理補助を担当しております』
AIだ。そうだよね、超文明の宇宙船なら、当然いるよね、AI。
そう思ってから、ボクは手に抱えたままだった分厚い紙束……慰謝料の目録へ視線を落とした。
『どうかなさいましたか?』
「ミス・エント……リ?」
『なんともうされましたか? 星火様』
ボクは顔を上げ、務めて気にしない態度を取る。
「名前だよ、キミの」
『私の識別名称でしょうか』
「うん。ミス・エント」
誤魔化したんだけど、ちょっと苦しかったかな?
『命名理由を確認してもよろしいでしょうか』
「ミスは未婚の女性への敬称。それとね、ボクが婚約から解放された記念で、ドイツ語の退院とか解放って意味のEntlassenからエント」
『承知しました』
嘘じゃない。
実際にボクはいろいろと解放されたから、これは記念だ。
だから、うん。嘘じゃない。
「よろしくね、ミス・エント」
『……こちらこそ、よろしくお願いいたします。星火様』
「星火でいいよ」
『敬称を外すことは、所有者への呼称として適切ではありません』
「そうなの? じゃあ好きに呼んでいいよ」
『承知しました、マスター』
「む〜。もっと大げさになったぁ……」
マスター呼びをむず痒いな、と思っていたところ、宇宙弁護士さんが後から入ってくる。
「気に入られたようで何よりです、星火さん」
「いえ、ボクまだ船内、まだ全然見てませんけど?」
ホテルのエントランスみたいで宇宙船内ぽくないところと、AIとお話しただけだ。
「そうですね。確認されるのにお時間もかかるでしょう。しばらくお楽しみください」
宇宙弁護士さんに時間と言われて思い出す。
「そうだ。慰謝料って宇宙船だけじゃないんですよね?」
「もちろんです」
「目録は到着順じゃないみたいですけど、次は何が来るんです?」
「順番は前後する可能性がありますが、船舶、設備、換金可能資産、それから不動産ですね」
「宇宙にも不動産ってあるんだ」
「もちろん、ありますとも。惑星、衛星、小惑星帯、軌道施設、恒星系単位での所有権などです」
宇宙弁護士さんは、なんでもないことのように並べていった。
「星? ボクが? 星を貰ったの?」
「はい。90ページ以降をご覧ください」
ボクは目録を開き、ぱらぱらとページをめくる。
たしかに後ろの方に、よくわからない記号と番号が大量に並んでいた。多分、座標と登録番号だ。
これをボクは土地だと思っていなかった。
「そっか。これ、星だったんだ……」
「正確には恒星系内資産を含みます。地球の不動産という概念に近似させると、少々誤解はありますが」
「どこにあるんです?」
「ほぼ近隣です。あまり遠方でも不便でしょう?」
地球の近所となると火星とか、木星?
「お気になるようでしたら、船の性能を試すついでに確認されますか?」
「見られるんですか?」
「ええ、あなたの所有資産ですから」
「行く!」
即答すると、宇宙弁護士さんが、少しだけ笑った。
「では、近場からにしましょうか」
空中に光が広がり、地図を描き出す──いや、地図ではない、星図だ。
たくさんの光点が浮かび、その中の一つが強く光る。
「地球側での呼称に合わせるなら、シリウスと呼ばれている恒星系。その周辺に、あなたへ移転された資産の一つがあります」
「シリウス! 火星とかじゃなくて、シリウス!」
冬の夜空で明るく見える星で、ボクでもよく知ってる星だ。
そんなところに、ボクの土地がある。
「はい。火星は無人探査船が到達している地球圏ですからね。エイ・メン・テ・スでも所有が難しいです」
「シリウスにはいまから行ける?」
火星についてなにか大切なことを説明したようだけど、もうボクの心はシリウスにある。
「どうですか? 宙焔の総括AIさん?」
『航路設定を行えば、すぐに出航可能です』
「だ、そうです」
宇宙弁護士さんが確認し、ミス・エントが、すぐに行けると答えてくれた。
「じゃあ行こう」
『マスター。地球政府等への通達はいたしましょうか?』
「地球政府? ああ、日本とかアメリカに? それ、いるの?」
『法的義務はありません』
「じゃあ帰ってきてからでいいや」
たぶん今ごろ、地上は宇宙船が来たことで大騒ぎだ。
そこへボクまでいなくなったら、もっと騒ぎになるかもしれない。
非常識なことが起きてるけど、常識なら連絡くらいすべきだろう。
でも、宇宙船があって、星をもらって、今すぐ見に行ける。
なら、行きたい。
下手に連絡して、ダメですと言われたら嫌だ!
「行こう、シリウスへ!」
『承知しました、マスター』
こうしてボクは宇宙船をもらったその日に、地球を出ることになった。
「あ、私は今、多忙でしてまだ予定がありますから、ここで失礼します……」
と、宇宙弁護士さんが、雰囲気をぶち壊すようなことを言って、その場から消えていった。
って、消えるんだ。
さすが宇宙人。なにをしたんだろう?
まあいいや、ボクは気にしない。




