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サイレント・キラー  作者: 喜楽 一膳


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8/21

見えないもの

 松山警察署内には、先ほどまでの喧騒と沈黙の同居はなく、すっかり別居生活である。署内のいたるところを探しても、爆発物のようなものは確認されず、メールによって届いた予告状が達成されることはなかった。


「誰でもいいから、警察を殺す。」


という内容であったが、長浜駅で仕留め損ねた犯人が、再び達成のために動き出すのにどれくらい時間がかかるかを、おおいに悩んでいる。ある者は肘をつき、ある者は顎を手に乗せ、ある者はひたすらぐるぐると歩いている。自販機の明かりに集まる虫のように、ガラスの先を目指してぶつかっては挑み続け、何とか突破口はないものかと、誰かがしゃべり始めるのを待っていた。


「犯人って、存在するんでしょうか。」


 坂田はボソッと吐き出したつもりだったが、意に反して耳に届きすぎた。それゆえ、強い自信のようなものを錯覚し、軽い気持ちで発言したようには聞こえなかっただろう。


「君は、どれくらい心霊系に強いんだ。」

「好きの範疇で、一回も心霊スポットに行ったことはありません。」


本庁の人間からすれば、霊や呪いや神隠しなどを本気にしているつもりはない。しかし、こうも証拠や情報が少ない状況で、身動きを取れずにいることには相当に感情的になっており、一応聞いてみるという体裁を取っている。遠くから見えていた金字塔が、傍までくれば古びて欠けていたような気分である。


「私が話しても?」

「加藤さんが、ですか。」

 私が話し始めるというのを誰も想像していなかったようで、硬直している。そこから10秒ほどの沈黙があって、蝶が花に魅了されるのを待っているかのようであり


「(ああ、待っているのか。)」


話す許可を得たようだ。


「さっきの事情聴取のことなんだが、責任者は誰と書かれている?」

「・・・見城雄一郎です。」

「そいつは、俺の同僚なんだ。」


林だけが顔を見上げて、大きく息を吐いた。


「古い調書だから紙もだいぶ傷んでいるだろう。だからよく見ても分からないが。」


右手を差し出し、自然に坂田から調書を受け取る。耳に刺していた赤鉛筆を持ち、デッサンのように軽く筆を動かしていくと、うっすらと文字が浮かび上がっていく。


「消しゴムで消した跡があれば、しつこく先輩に聞かれるもんだが、これは別だったな。」


4人に向かって紋所を見せつけるように差し出す。それだけでは何も見えないので、口で伝える必要もあった。


「石手川ダム。」


 林と坂田の表情に変化はなく、黒田と新田は一応驚き、周りの顔色を伺っている。


「心霊スポットではないですよ。」


坂田がそう言って林も私も同調する。本庁の彼らもテンポ遅れでその素振りを見せて、ダムという言葉に引っかかった。


「ダムに行ったということは、そこで行方不明になった可能性もあったが、彼の場合は遺体として発見された。しかもダムとは関係のない遺跡で。となれば、その日誰と行ったかが分かれば。」

「そうです。しかし、母親には詳しく伝えずにいた。他に行方不明者がいなかったことは分かっているから、単独での失踪であると確定している。」

「しかしですよ、ならば神隠し事件ではないですよね。井上さんと他の行方不明事件に関連が・・・。」


 加藤の内ポケットでスマートフォンが激しく振動する。それが胸に近いがゆえに、突然の病と錯覚してしまう時があり、両肩を掴まれて揺らされた時のように、ビクンと肩を回す。


「・・・非通知か。」


着信拒否を押し、何事もなかったようにズボンのポケットにしまい、少し耳の後ろが赤くなる。


「関連性に関しては未知数。共通している心霊スポットの話も、実際には間違っている可能性がある。」


先ほどまで死の危険にあったとは思えない気の抜け方で、石の裏側から出てきたような安堵感で胸が笑っていた。


「犯人はどこまで知っているのでしょうか。そもそも、一連の行方不明事件とどれくらい関係があるのか。」

「坂田君、あなたはこの事件が呪いと関係があると思えますか。私は思えない。連れて来た仲間たちもそうです。より現実的で力業のような事件だと思えてくるのですよ。」


 片手にコーヒーを持ちながら、もはや雑談の域に達したわけである。より緊張感を持って挑む必要があるはずが、死を脱したままの勢いで、危険な平和ボケになりつつある。


「黒田さん、一度石手川ダムを訪れてみませんか。」


微かに見える湯気が、黒田の深い皺を撫でては吸い込まれていき、細い目尻はピクリとも動かない。私は体を動かして悩む癖があるが、彼はその真反対である。それが、何を考えているかが分からない奇妙な人物として映る。


「案内していただけますか。」

「もちろん。」

「ここは、仲間たちに任せましょう。この状況下では、人数の多さが取り柄でしょうから。」


自信に満ちたように見える顔は、なんとも頼りになるけれど、それと同時にこの場の主導権を奪われまいかと焦る自分がいた。この事件のことを考えていると、度々やつが顔を見せる時がある。意識的に隅に追いやっていた幼稚な本心が、より圧縮されて不快な匂いを立ち込ませていた。隙を窺って、まるで本心かのように暴露されれば、この身が無事ではない。

 それから、車にそれぞれ分かれて乗り、私たちについてくるように先導しつつ、奇妙な人物はいないかを隈なく探した。ダムは山の中にある、と言っても大抵は山の中にあるものだろう。長く暮らす中で、この山々だけは他とは違う特別なもののように見えて、具体的な思い出が無いにも関わらず愛しく、心に残るのだ。久しぶりに訪れる山道は、比較的整理はされつつも、ハンドルを急にきるような真似をすれば、転落して森の一部になってしまう。10分も緩い坂を登れば、3台ほどの枯れたツタに絡まった廃車を見かける。アトラクションのオブジェのようで、正確にはオブジェの元になったイメージであるはずなのに、その非現実的な感覚からオブジェを先に連想してしまう。あらゆる絵の具を使っても描ききれない豊富な緑を抜けて、見晴らしのいいトンネルをくぐれば、まるで頂上のような開放感の中にダムは佇んでいる。


「加藤さん。これは、無理ですね。」

「あぁ、いくら高校生と言えど夜中には不可能だ。」


 社会科見学中の小学校のバスが良い目印となり、駐車場に難なく辿り着く。どこにでもある一般的なダムであり、特別不可思議な仕組みや建物はない。車から降りた彼らと交わす言葉は決まっていて


「黒田さん。」

「加藤さん、これは無理ですね。」

「でしょう。」


言わずとも、井上さんがこの場所を訪れることは不可能であると理解していた。そのまま堤頂の方まで足を運んでいくが、天気のせいもあるのか、ここで事件など起こりようがないと思えてきた。左岸から右岸までがおよそ278mあり、徹底管理されたダムの見晴らしのいいこの場所で、失う物といえば屋根ぐらいである。なだらかにカーブを描いた下流部の堤体は美しく、水源に面した上流部の壁は、きりっと直立して勇ましい。


「やはり大きいというのは良いですね。」


黒田ほどの背丈の人間が言うと、その奥にある人間的な部分を少し覗き見ることができるようで、どんな人間にも一つぐらい深淵を持っているものだ。


「わざわざ消す必要があったでしょうか。捜査が面倒くさくなっただけとか。」


 本来なら新田の言葉に反論して、故人の名誉を保たねばならないのだが、そのまま山の空気を感じて深呼吸をすることしかできなかった。生前を思い返しても、良い警察官として紹介することはできない。そいつのおかげで元嫁との縁があったからか、顔さえうろ覚えの今でも強く後ろ髪を引かれるような感覚でいる。この水が市民の元に届くのを考えると、日ごろの水の消費量が目で見てわかるということは、趣がある。膨大な消費を可視化することが難しい中で、ダムは雄大さと人間の欲を教えてくれるようだ。しかし、人間の手によって作られた構造が、植えられた木の中に存在することを鑑みると、同族の影から逃れることはできないのだと。そればかりか、同僚の残したイタズラのような消し跡をもとに、この地まで勢いで赴いてきてしまった胸の内を探ろうものなら、空っぽでつまらないとしか言いようがない。


「林、このダム付近で起きた事件はあるか。」

「過去20年間で3回、いずれも解決済みですね。」

「ダムに行く途中で行方不明になった。あいつは素行が悪くとも悪い刑事ではなかった。嘘をつくようなやつじゃない。」

「加藤さん、あの人がこの場に引き寄せた意味を、もう少し探りませんか。」


 つい感傷に浸る二人をよそに、その輪に入りにくい坂田は自然と本庁の人間にくっついている。何かと情報を収集する癖がついてしまうもので


「坂田君、二人はいつもああなのか。」

「いえ・・・、まぁそうですね。度々見かけます。」

「君も苦労するだろう。こう、年齢が離れていると内部の話も知らないし、お決まりの流れってやつもうまく乗れないしな。」

「おや、新田は苦労してたんだな。」

「毎日下痢ですよ。」


新人とは言いつつ、知り合ってから3年は経つ。自分でも勉強熱心に情報を聞き出してきたつもりだが、長年連れ添った人間の間にできる繋がりのようなものは、時に細くて脆い糸になり、時に太くて頼れる綱になる。そこに補強として加わったとしても、繋がっていると自負できるだけの実感はない。時間が作り出すものは残酷である反面、それが内部組織を脆くさせている原因であると論文にも書いた。坂田の中で、寄りかかる背中は都会へ引っ越してしまい、名残惜しい振りをしてその背中を追いかけようとしていた。


「(この事件が終わるまでは・・・。)」


そう堪える姿は、かつて加藤が通った道であり、だからこそ坂田を認めているのだろう。


「何かあれば、頼りなさい。私たちは仲間ですから。」

「はい。ありがとうございます。」


必要なことは、どういう言葉をかけるかではなく、ここぞというタイミングでかけることである。


「黒田さん、新田さん、このまま井上さんのご自宅にお邪魔しようと思うのです。そこで行方不明になった時のことと、道すがら何かないかを調べたい。」

「もちろんです。」


 解決のためにやれることをやるのは、当然わかってはいるのだが、時間がかかればかかるほど悪臭を放ち始める。必要と分かっていても耐えられなくなるし、いつまでもその席に座ってはいられない。


「あ。」


その日一番の大きな声を出したのは、新田だった。駐車場に戻る所を振り返って、反対の山間を指差す。やっと楽しいことに巡り合えたような顔をしていたので、手がかりが見つかったのかと思い急いで振り向く。


「あそこ、イノシシじゃないですか。」


予想していたよりもずっと遠くを見ているようで、老いた眼には映りようがなかった。かろうじて坂田が答えることができたようで


「注意の看板です。イノシシが出没することも珍しくありませんから。」


そこで恥ずかしがるような器ではなく、まるで子供が猫に嫌われたと肩を落とすように、絵に描いたようながっかり感をパフォーマンスしていた。彼なりの照れ隠しであることは分かる。


「こいつ、目はとびきりいいんですよ。任せてやってください。」


慣れた口上で客を落ち着かせる噺家のように、すんなりと気分が元に変わる。それまで吹いていた風を改めて意識し、何も不自然なことは起きていないことを身に染みて感じさせるようだった。私も気にしていないという旨の慰めをしようとしたが、それが口から出かけたところで喉まで戻った。そして、変な取り繕い方をする子供のような発言をしてしまった。


「この四国は山ばかりでしょう。なにか巨大なヌシとか物の怪がいるような感じがするんですよね。一番偉い奴だけが白かったりして。」


笑いが一つ生まれても、笑いを取りたいと思っていない時に受け取る時は、ひどく満たされない気持ちになる。イノシシに突かれて、このままどこかへ飛ばされたなら幸せだろうな。


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