加藤清志 55歳
(登場人物)
加藤清志 松山警察署刑事
林 松山警察署刑事
坂田 松山警察署警官
井手陽介 松山警察署刑事
「おい、予告状のやつ見たか。」
「ありゃ、悪戯にしても限度越えとるな。どこから発送されたんだ。」
「それが分かったらええんやが、情報が掴めんのよ。今あれ、先月の知事の息子の誘拐の件で、犯人逮捕はできたけど身代金が海外に送金されてしもうたやろ。あとちょっとで取り戻せたんじゃないかって、警察に責任を取ってもらうぞ、ゆうて躍起になって上を委縮させてしもうたでしょ。」
「なるほどな、道理で人員不足に予算不足で手が回らんのか。」
「首も回っとらんよ。」
「いやいや、首は飛んだんだよ。」
ゲラゲラと笑う刑事の背中は、輝かしい世界を味わったことの無い暗がりで、どこかスーツも年代物のように寂しげである。それもそのはずで、ここ20年で起きた殺人事件は数えられるほどで、死人と言えば交通事故がほとんどである。県内の運転は荒々しく、譲るという精神の欠片も持ち合わせていないばかりか、手を挙げて渡ろうとする通行人は、5台ほど通過する車を睨んでから渡るしかない。それに加えて高齢化と都会への人口流出は顕著であり、住みやすさを前面にアピールする県の方針に苦言を呈するのであれば、まったくうまくいっていない状況である。スタジアムの誘致にも失敗したことは、昨日のことのようである。
そんな中で起きた凶悪事件というのが、先ほどの誘拐事件くらいで、結局は全員無事で金が外に逃げたぐらいである。上層部は、わがままな知事のご機嫌取りに忙しくしているわけで、自由に動くには今しかないのだ。
「なんか面白えことねえかなぁ。」
定年まで数年という中で穏便に終えたい同僚もいたが、せっかく刑事になったのに碌な事件を担当してこなかった。
「加藤さん、いいじゃないですか。こうやって平和に幕を閉じれるなんてそうないですよ。」
「お前は事件とお見合いしたから言えるんだ。運が良いのか悪いのか。」
密室の空間だから、本心がついこぼれてしまう。誰かに聞かれても支障のないほど、ここの刑事たちは退屈な日々を送っているのだ。建前では否定しても、その顔には強い同意を浮かばせている。花形というには名ばかりで、所詮造花はいつまでも枯れないことに価値があって、水も必要とせず枯れぬまま終えてしまうのか。
「加藤さん、相談してもいいですかね。」
「ん?」
新聞を広げたまま部下の林君に耳を傾ける。
「娘が昨日心霊スポットに行ったんですよ。」
「あそこだろ?管轄外だ。」
「親父が手を出せないからって無茶しよるんですよ。どう説教してやったらいいのか。何か、案ありませんか。」
「知り合いに頼んで幽霊逮捕してもらえ。」
「はぁ、相談相手が悪かったですね。」
新聞紙で隠れたにやけ顔を確認してから、林は別の部署に顔を出しに行った。
生まれてこのかた霊的なものを見たり感じたりはないのだが、元嫁が狐にうなされると一時期発狂していたのは覚えている。結局は、脳にあった小さな腫瘍が幻覚を見せていたわけだったが、彼女は信じようとはせず、科学的なことよりも自身の体験を優先するような価値観を持っていた。できれば今もうなされていればよかったのに、と愚痴を言いたいぐらいの別れ方ではあった。 廊下に響く靴音が、しだいに強まって近寄ってくるのがよく聞こえる。警察署というのは、なぜこうも響きやすいのか。
「加藤さん、来てください。」
焦る林の声に、肩に力がぐっと入って眼球が急に乾く。が、その顔に不安の色はなく、事故現場を見物する聴衆のような期待感がにじみ出ていた。
「そう焦るな。何があった。」
「予告状が。」
眠りすぎて居場所を特定できていなかった上昇志向が、目覚めたばかりの身体で脳の中枢から突き抜ける。気がつけば新聞をくしゃくしゃに畳み、床に落としていた。林と共に一階へ駆け降りる姿は、さながら刑事ドラマのワンシーンのようであり、こことここにカメラがあって演技をするなら、セリフを言うなら、膨らむ期待感に比例するように妄想を広げていく。口にすることはなくとも、心が騒いで仕方ない。 警察署の一階の、これまた目立つ所に人だかりができていて、老いた松の木が生まれたばかりの小鳥の囀りを聞いているように見えた。反応を伺うに、じっくりと聴き惚れるような歌ではなかったようだ。
「陽さん、どうだい。」
「外れだな。」
「なんだい、期待しちまったじゃないか。」
蜘蛛の子を散らすように帰る者もいれば、そのまま昼食を食べに行く者も。
新人の警察官が目を丸くしてこちらを見ている。いつも説明する役目を負っているような気がする。
「あいつらは枯れてるんだよ。」
「捜査も無しですか。」
「まぁ、ガキのイタズラってことで。字も汚いし、相手しようがない。」
不服そうに紙を見つめる新人に、かつての自分と重なりかけた。あの頃は、自分勝手に動いて散々怒られてしまった。それを彼に託すのは如何せん、定年前がやることではない、か。
「ほんじゃ、これは私が処理しておくので、二人ともお疲れさん。」
雑に折りたたんで胸ポケットに入れ、自室に戻る"ふり"をした。二人の新人云々、警察云々の会話が遠くなっていくのを見計って、折りたたんだ予告状を丁寧に広げ折り目を直す。
「もしかするかもしれんからな。」
まるで物音を確認して怖がる臆病な男(自分である)が、家の中を重い足取りで進むようにして、四方八方を見て大股で外に出る。
ある程度まで行って振り返ると、警察署の頭だけが見える。
「定年とは言えあと10年。これがラストチャンス。」
その顔には予告状を疑うようなあしらいはなく、新人と同じような未成熟な影を残している。それでも膝と腰には、老いた松たちと同じようにいたたまれない感情を宿している。そこを手でさすったり撫でていると、市民に不安感を持たれてしまう、という教えを何十年も守っている私が、最後の輝きのために程度の低いイタズラを本気にしているのだ。
「見てろよゴミどもが。」
事件や仕事に対して真剣になれないようなゴミどもに、強烈な一発を食らわせてルサンチマンにさせるんだと躍起だが、どこまで行ってもやはり同じ根っこなのだ。同じ根からは、同じ栄養を吸収するしかない。例え捜査に燃えていても、結末は一つしか用意されていないのだ。その背中を知ってか否か
「加藤さんはね、熱い男なんだけど体を酷使しすぎたんだよな。」
「自分、加藤刑事の伝説は知ってます。県内で一番の。」
「そう。だがあれじゃ安全装置のついていない銃だよ。いつぶっ放すやら。」
「もちろん俺たちもですよね。」
「身内にだって容赦ないぜあの親父。予告状だって一人で何とかしようとして。」
「そうなんですか。自分応援に行ってきます。」
「いやいや、いいんだよ。今まで一回もうまくいかなかったんだから。」
林の軽やかな口調と姿とは裏腹に、活きの良い瑞々しい20代の眼差しは、ずっと加藤に向けられている。彼もまた、何かを成し遂げたいという普遍的な欲望を、しっかりと奥底にある箱に保管しているのだ。太陽の放射が劈く昼下がり、その箱が少し開いた音がした。
彼の性格から言えば、幽霊や呪いの類を信じていないのは事実だが、神頼みをしてしまうほどの丁度いい信心は持っている。
「見てんだろお殿様よぉ。宝の在り処を教えてくれよ。」
警察署から堀までの道はそう遠くはない。シンボルのように聳え立つテレビ局の電波塔が目印になって、迷うこともないのだ。大きな垂れ幕が一つだけかけられていたが、高視聴率達成とだけ書いてある。地方テレビ局の高視聴率なんてものはたかが知れており、どことなく文字が小さいように思う。それほどまでに自信を無くしており、赤茶色の建物もどこか昔を思い起こすだけで、活気や笑い声が聞こえてきそうな感じではない。時代はテレビからネットに移り、地方テレビ局が苦戦を強いられるのも無理はないだろうな。
お堀を抜けた先では、家族連れ向けのイベントや動物の触れ合いコーナーをやっており、文字通りの気持ちのいい日常がそこにある。それらを優しく見守るということは、警察としての建前ではなく本心でやっている。昔から、人との関りや人生を観察することが好きなようで、面接でも好感があったと思う。とはいえ、この堀内の敷地は見渡す限りといったところで、地道に探すのであれば無理がある。捜査協力のためにカメラなどのチェックをしたくとも、要請の準備がないので個人的にはできない領域だ。
「サイレント・キラーって名前もガキっぽいが、もしホントなら遺体は運べんだろうな。」
予告状から犯人の人物像を想像すると、拙い書き損じたような文字は子供が書いたと言えばそう見える。しかし、それを成熟した大人が意図的にやっているとも読み取れる。サイレントというのが自称というのは、捕まらない自信があるのか、それとも自分をそう自称できるだけの知識や客観視ができるということか。となれば、年齢を少し上げて10代後半から20代前半か。
「椎名のあとに井上を埋めたのか。やった順番は逆の可能性もあるが、遺体の状態を確認するまでは無理か。」
目標は7人ですという挑発的な言動には幼稚さがあるが、私を止めてくださいというのは捕まる恐怖の裏返しとも受け取れる。文章を書くときに私という呼称を用いていること、遺体を運んで埋めるまでの肉体的な疲労を耐えられること、長年の刑事感覚から20代半ばの犯行と一応の決定をした。犯人の立場になれば、発見を遅くさせたいはずはない。次の犯行を予告している以上、犯人なりの殺人協奏曲を順番に奏でていきたいはずだ。それを観客の着信音や騒音に邪魔されたくないだろう。隠しておける場所かつ奇抜で象徴的な所に、儀式の形代として遺体を捧げるはずだ。平和な広場には似つかないような想像をしていても、他人から見れば冴えない親父に見えるであろう。悪意が人の中から生まれた以上、人の中に潜んで隠れることは容易である。だからこそ、犯人を理解して捜査をすることは容易であるし、難解でもある。
あまり使われることのない城までの参道の側に、発掘途中の遺跡がある。敷地内の工事をしている時に偶然発見されたものだが、それがどういったものなのかはわかっていない。発掘のためのショベルカーのようなものは何年も放置されたままで、二階建てのプレハブには人の気配が全くない。そのまま時が止まったように放置されているここなら、遺体を安置させられるかもしれない。
「熱心にやりすぎか。そもそも本気にするべき案件か。」
目の前の面倒くささが天秤に突然乗っかってきたので、気持ちを急いで乗せるしかない。意味や価値があるというなら、もっと応援を呼ぶべきであるし、一人で好き勝手やるべきではないはずだ。しかし、悪意の箱が開いてしまった以上、急速に海面へ上昇する悪意の鯨を横隔膜で受け止めることはできない。
強い動悸の中で、大きく振りかぶったヒレに押されるように、立ち入り禁止の領域に足を踏み入れた。 少し進んで土が積まれて壁になっている場所まで来た。遠くから見れば遺跡の一部のように見えていたものは、実は掘り返した土の山であったという寓話のような体験も、私が刑事でなかったらの話である。
この場所に関するいい意味で奇妙な通報の数々によって、明確な説明を聞いていたので問題はない。ちょうど周りからは視認されないであろう地点まで来て、人の気配がした方をおもむろに振り向いたところ、参道の山道へと白いワンピースを着た女性が登っていくのを見てしまった。
「はっ。」
当然、幽霊だと思った。1分間の息止めの後に吸う空気のように、意志を持って強く吸い寄せられるようにして林に溶け込む。悪いことが起きる前触れのように感じたため、うる覚えのお経を唱える。
「親父、見守ってくれよ。」
母が死んでから、仏壇に毎日お経を唱えていた父を思い出し、その背中を受け継いで呟くように口ずさむ。 すると、その甲斐あってか明らかに掘り起こされた土が再び埋められたような地点を見つける。若干の色の変化を残し、しかし異様な匂いはない。影になって分かりにくくなっているけれど、俺の目は誤魔化せられない。
「仏さんとは対面したくないねぇ。」
閉じられていた仏壇の扉を開けているようだった。まさしく実家に忘れ去られていた扉を開けるように、怒っていないか祟られないかと。白い手袋をはめて、地面に手のひらを合わせる。掘られていないところと比べると、異様に固くなっている。どうやら足で強く踏んで固めたようであり、強い殺人動悸がひしひしと伝わってくる。
「覚悟決めるか。こちら捜査一課の加藤。松山城にある遺跡跡にて、不審なものを発見。ただちに応援を求める。」
無断で侵入した以上、それなりの罰を受ける覚悟が必要だ。
あとは早かった。まるで後をつけていたように現れた応援が、ぞろぞろと私の顔を見るなり目を見開いて大きく息を吐いている。そこに、先ほどの新人警官の姿もあった。
「君、俺のストーカーしてたわけじゃないよね。」
「いえ、自分も応援として呼ばれました。紹介が遅くなりました、坂田です。」
「加藤清志です。すまないね。」
「いえ、自分加藤さんの伝説を知ってますから。」
「それなら話が早いや。あそこに遺体が埋まってる。」
当然、坂田は予想していない答えが返ってきたので、きょとんとしている。
「加藤さんね、あまり新人をいびらないでよ。」
「林、本気だ。」
俺の目を見ても、奴はまだ疑っている。騒動は色々起こしてきたけれど、事件は解決している方だ。今回ばかりは、予告状しか証拠を揃えていないが。
「なるほど。」
癖というのはうまく隠せない。警察で学びに学んでもだ。だからこそ、その言葉を聞いて強い味方がついたのを確信した。
「ほんとかもしれませんね。坂田、あれ。」
スコップを3つ持ってきて俺と林に渡し、このあと予想される重労働に目を泳がせている。しかし、若い人間の肉体に潜む力と、新人特有の強い正義感には驚かされる。
「自分から。」
その後は黙々と作業するのみである。休憩もいらないといったぐあいだ。
「それじゃばてちまうから交代で。」
すかさず交代に入って、腰を入れて掘り進める。体に細心の注意をしながら壊れる瀬戸際まではやってみる。不思議と恐怖なり間違いであってほしいという気持ちというのは消えて、この掘るという作業に集中してしまっている。
「加藤さん、交代で。」
その声を聞いてもあと一回あと一回、悪意のこもった土の塊を削る。
「俺の手で掘り起こさないといけない気がするんだ。」
もちろん刑事として尊敬しているし、俺たちに小言を言っているのも知っている。けれど、この執着さは今までにはない。刑事人生最後の大事件に出会えるかもしれないと躍起になっている。そう思うしかないほどに、彼に何かが憑りついて誘われるようにのめりこんでいる。隣にいた坂田も熱中した様子で加藤を観察している。これこそが警察のあるべき姿と確信しているような眼差しは、彼の持つ本心に気が付いていない。この歪な空間で、林は神経はズタズタに入れ替えられるような気分がし、開かんとする箱を押し続けるので精一杯だった。
「出た。」
その一言で全てを把握できたはずだった。灰色に変色した指先が顔を出し、私たちに手を振っているように見えた。出会ってはいけないそれに、対面してしまった以上は付き合っていかなければならない。
「林。」
「ありえませんね。」
「神の力でも借りたのか。」
想像していた姿で掘り起こされるべきだった。しかし、見つかった二人の仏さんは、縦に埋まっていた。240から280センチの穴を縦に堀って、そこに遺体を立たせたうえで土をかぶせている。縄でもって両手が結ばれており、頭の上に両手を挙げる体勢である。服は着ておらず、顔面は潰されてはいないので確認ができ、指紋が切り取られている状況ではなかった。まるで自然薯を掘るように大地の中に頭を突っ込んで発掘するしかないが、遺体の損傷を考えても、横に大きく掘っていく必要がある。ということは、この3人だけの秘密にはできないし、世間に大々的に報道されるということだ。
「坂田君、応援を頼む。」
「はい。」
「予告は本物だったんですね。加藤さん、よくこの場所が分かりましたね。」
「勘とは言いたくないが、それしかない。俺もわからないんだ。」
日が暮れ始め、夜を取り戻そうとしている。周りよりも一層暗がりになりたがるから、ちょうど目の上に夕陽が差し込んでいる。影が少しづつ嵩を増していくその間、加藤はずっと二人のことを考えている。じっと目を離すことができずにいた瞳が、かっと林の方を向けた時、何かを訴えるかのような強い眼差しと共に、林に眠る箱はこじ開けられた。
「暗くなる前に行こう。」
「そうですね、はい。」
下腹部が猛烈に熱く固くなっている。腹痛のような痛みと、膀胱を満たす尿が早く出たいと暴れている。しかし、それとはまったく違う強い刺激が徐々に管を通って登ってくる。たぶん悪臭を放つそれは、体全体をめぐって心の在り処を気づかせてくれたようだ。加藤の背中を目で追っている中で、林の精神は影に落ちていく。




