坂田美雄
坂田の本名が出ます。
坂田美雄です。
覚えてあげてくださいね。
坂田は、自転車に乗って車道の中を駆けていく。いくら夜とは言えど時速40kmの車と並べば、気を抜いて風を感じることはできない。夏の入りはとうに過ぎ、夜であっても肌と服の間に熱の層を感じている。途中のコンビニに寄って、手帳を読み込むための準備に必要なエネルギーを調達する。激辛系のカップラーメンを二つ、炭酸水、レモンサワー、チーズ、コーヒー牛乳、ヨーグルトを買い、現代の若者らしく決済アプリで支払う。
レジで対応してもらっている間、店内で部活終わりの男子学生二人組の噂話に聞き耳を立てる。
「床ダッシュの時、あいつめちゃくちゃ鬱陶しかったな。」
「ずっと、予告状予告状ってな。オカルト好きもあそこまでいくと病気ですな。お、好きなやつ復活してるぞ。」
「買う買う。」
振り返ってどんな顔をしているか見たかったが、胸ポケットに入れた手帳がそれをさせない。自分もあの頃言われていたのか、と言葉にならない微妙な後悔を抱いているだけだった。
「お箸いくつ付けましょうか。」
「二膳ください。」
コンビニを出て最初に踏むペダルは、なにより重かった。漕ぐスピードを段々上げて、勢いが出てくれば重さなど消えてしまったようだ。
「早く帰って、手帳暗記するぞ。」
一人暮らしのアパートに着いて、簡素な駐輪場に愛車を置く。隣の自転車が倒れているのを横目で見て入り口に向かうが、体が二つに引き裂かれそうになって足が止まる。その足を元の場所に向けて、倒れていた自転車を起こして均等に間を開けておく。その儀式によって、より良い睡眠を送れるはずである。
手帳を自室の机の真ん中に置き、まるで捧げもののように角度も調整する。それからリビングに荷物を置き、着替えてシャワーを浴びる前に食事を済ませる。食べながら拝見したいものだが、激辛の汁が飛び散って汚れてはいけない。焦りから行儀悪く急いで食べるから喉につっかえて、炭酸水が吹きこぼれるのも構わず口に運ぶ。
「ぷは。これとは合わないな。」
ティッシュを2枚取って拭いてから、食べ終わったカップラーメンの中に丸めて入れる。台所に持っていき、小さめの袋に入れて縛って、ゴミ袋の安定したところにゆっくりと鎮座させる。
身を清めるためにも、シャワーを浴びてから手帳とご対面すべきであろう。いつもより念入りに体を洗い、備え付けの鏡で何度も顔をチェックする。いつもは鼻歌でも歌いながら15分程度。その日は鼻歌を歌わなかったが、20分かけて汚れを落とす。亡霊のように襲いかかる眠気と戦いながら、全ての準備が整ったのは午後9時であった。




