神隠し事件
(前回まで)
神隠し事件と死体遺棄事件の関連性が、かつての同僚である見城の残した遺品にヒントがあるとみて、一行は貸金庫に向かった。
(登場人物)
山田香織
家へ帰ってから、蛇ヶ池での経験が功を奏したというべきか、数十分ほどでブログを投稿することができた。その際に前回投稿した遺跡での死体遺棄事件の記事は、想定通りのリアクションがあるだけだった。メディア批判に食いついた賛同者から、賞賛のコメントがあるかもと期待したが、彼らを擁護する声がちらほら見受けられて、本人が書きこんでいるのではないかと勘繰ってしまう。
夜も更けて騒々しいヘリコプターの音も止んだ頃、生きてきた中でこんなにも地元が注目されたことが無いのではないかと感じる。その恩恵を受けるものではないが、絶えず光を浴びながらいつも通りの日常を送る不思議さというのは、交差点に配置された戦車を横目に通勤をするようである。
現代の少年少女よろしく、この私もSNSで地元に関する投稿を確認してしまう。高校生の時には早く抜け出したいと思っていても、地元愛というのは自然に出来上がってくるものだった。
「本当にゴミばっかりだな。」
そのままベッドに横になり、電子の板を愛撫する。日課の動画視聴をしていると、あなたへのおすすめに”本当にあった神隠し事件”という動画が表示された。1999年に世紀末、世界が混乱すると共にオカルトブームが到来。そのブームに乗っかるように神隠し事件が発生する。発見されたのは湊という少年だけであったが、数日前に発見された遺体の名前から20年越しに事件に進展があったのかもしれない、という内容である。テレビが報道した予告にある名前、今回の死体遺棄事件の発見者の名前、それらが一致しているとしても早とちりすぎではないか。
閲覧数を稼ぐためと批判したいところだが、のどに刺さった骨がつっかえる。部屋を暗くして、怖いもの見たさに神隠し事件を調べる。
「うわ。」
平成初期というものは、異常な時代だった。その中でもメディア煽動が激しかった2000年初期というのは、我が辞書に人権という文字は無し状態であった。いともたやすく表示される被害者の写真。そして泣き崩れる家族の姿は、甲子園のような感動的なものではないだろう。彼らは、これで女を抱き安酒を煽るのだ。
地元のテレビ局の記事があって、その当時の放送映像を撮った画像も出てくる。そこに写された人物に見覚えがあったが、女優か俳優の誰かに似ているようなそうでもないような。
「これって。」
現在テレビ局のお偉いさんとして出世した人物が、伊藤真介として現場をリポートしている。いくつかのインタビューに掲載されており、”松山から世界へ”と掲げている人物である。この一連の神隠し事件を通じて、それなりの実績や世間からの注目を獲得した褒美で、現在までの地位を確立していったに違いない。香織の想像は予測というよりも、行き場のない感情を当てつける領域に入っている。
「こいつらに負けたらいかん。」
事件の本質、現在起きている死体遺棄事件との関連よりも、彼女の中に渦巻く強烈なルサンチマンと、ばさら的な志が香織の大部分を形成しようとしていた。そこに見えざる悪意が忍び寄っていても、気づくことはないだろう。




