移された御神体
女性の死体が見つかったとあって、ほどほどの見物客がいる。彼らに話を聞きつつブログに反映させることが、いわゆる社会性の第一歩だろう。
「どうですか。」
「ん?ああ、私に話しかけているのか。」
「あの、何かありましたか。」
「あそこにいる人が見つけたらしいんやけど、もう・・・ね。」
微かに残る匂いの正体が、池の魚が腐った匂いであってほしいと願いつつ、周りを見渡せば見慣れた連中が先頭にいるのが窺える。
「またいる。」
仕事柄を考えれば当たり前なのだが、こう毎日凄惨な事故や事件を取り扱っていれば、気がおかしくなるはずだ。しかし、それがニュースの端々に影響を与えているとすれば、自重してほしいものだ。
蛇とつく池であるが、それを想起させるような立地でもなく、いたって普通の池である。かつてはその水が田んぼに引かれ、クネクネと蛇行する用水路がまるで蛇のように見えたから、蛇ヶ池とついたという説もあれば、その水によって稲が枯れてしまったことで蛇という名前がついた説も。
「蛇って嫌な名前よく付けるわよね。」
「丸飲みよろしく損傷はないらしいぞ。」
「じゃあ事故かしら。」
彼らのオフの会話から、もしかすれば世間の視聴者よりも早く情報を仕入れたか。それが不思議とうれしくて、仲違いした友人に親切にされたような気分である。
それから彼らによる取材が行われ始め、察して住民たちが蜘蛛の子散らすように退散する。そこに私だけが取り残されて、銀と紫で煌めく目元と合わさった時、点と点が線になる。大人たちのもてなしを避けて、親を探す子供かの如く焦点を外されてしまい、少し心に影ができる。親しみやすいお婆さんに話しかけるため、その後ろをしばらくストーカーをする。話しかけるキッカケを掴むためにもたもたしていると、そのまま家まで行ってぬらりひょんのようになりかねない。
「あんたねぇ。」
「はい。」
「何か用ですか、お嬢ちゃん。」
こういう第一声の時に怪訝な顔をして、相手に勘違いをさせることは常である。けれど、ある程度の高齢者であれば、目が悪いおかげで回避することができる。長年凝縮された下心というのは、声色やイントネーションに影響するらしく、鏡の前でどんない練習しても隠せないらしい。
現場に私がいたことは何となく覚えているようで、言葉が出なくて挙動不審になっている私を見て、強張った顔も徐々に解けてきた。
「被害者の方はご友人だったのかしら。」
「いえ、少しお聞きしたいことがあって。この蛇ヶ池が心霊スポットだと噂があって。」
「心霊ではないよ。」
説き伏せるような厳かな声色であったために、少し身構える。そのままゆっくりとある場所を曲がったままの指で差す。
「あそこ、あそこに木ばっかりの建物があるでしょ。元々は・・・。」
とぼとぼ歩きだし、その後ろを自然についていく。
「ここ。この池の真ん中ぐらいにあったのよ。」
「そうなんですか。」
「ほら、浅いでしょ。あそこにご神体を移したらしいのだけれど、空襲で焼けてね。」
「じゃあ、あの社ももう・・。」
「そうね。私と数人くらいで見守っているぐらいよ。」
そういう歴史を聞くと、今までの生き方を見つめ直すことができる。このままで良いのかと思う反面、実際には行動に移さずに過ぎる。しばし言葉のラリーを繰り返して、一方的に親密になったと勘違いして別れた後、自転車をゲームセンターで拾って帰る。来たついでにゲームセンターで遊ぼうと入ったが、高校時代の同級生が恋人と一緒にいるのを入り口で見てしまい、心臓の表面に汗をかいた。その足で自転車を漕ぐのは楽だったが、あのお婆さんに神社で祀っていた神様の名前を聞きそびれたことを、夕焼けの中で後悔していた。




