また今日も同じ
(これまで)
遺体発見現場に行くと、中高生の野次馬が群れている。それを批判的に見たとしても、同じ穴の狢である。
(登場人物)
山田香織
早速家へ帰っては、野次馬のように群がる中高生たちと、数字のためにカメラを回すメディア達を題材にしてブログの記事を作成する。題名は、”死体遺棄事件で町おこし!?”にして、批判的にすれば数字を稼げるだろうと安易に走る。事件の全容を掴めていないのは当然として、撮影した写真からAI加工と生成をし、メディアにヘイトが向くように全文作成をしていく。しだいに調子が出てくるタイピング音と、高鳴るエンターキーの音。そこに罪悪感の気配は無く、あるのは一時の昂りにピリオドを打ちたいがための暴走である。
筆が乗っている時は、滑り台で軽やかに遊ぶ幼少期を思い出す。あの時、確かに私は風だった。怖いものはなく、私を恐れる人もなく、全てがうまくいくと信じることができていた。
「投稿・・・と。」
ここで指が止まる。エンターの矢印に中指を合わせるが、強烈な無に襲われる。膀胱から全てを出し切っても幾分かの残尿感はあるのに、急に過去と切り離された現実のようなさっぱり感は、逆説的に不快感さえある。今までの調子を取り戻せない思春期の男子のように、この指先だけが赤の他人のようである。
「あ。」
その重力を最終的に加えたのは、奥底で眠っていたはずの悪意であった。
香織のパソコンは5年物ゆえ丁重に扱いたいはずだが、バタンッと勢いよく閉じてしまった。そのまま身動きを取らずに静止していたが、脇汗に吹く風の冷たさで我に返る。本来なら生成AIタグをつけるべきだったが、テレビ局はそんなことしないだろう。
「これからどうしたらいいのか。」
当初の目的は心霊スポットをブログに書くことだったが、メディアに煽られて馬鹿な事に時間を浪費してしまった。そうして他責することでしか浪費の実感がわかない非生産的な日々。それが嫌で何かに挑戦しようとしても、傍らで相棒の地位を築いた電子の板が邪魔をしてくる。そうして、また新しく煽動されるのだ。
「蛇ヶ池で女性死体発見。かつては心霊スポットとして問題多発。」
蛇という文字を目にした時、急な胸騒ぎに苦しくなった。それは胸を締め付けるというよりは、高揚させる要素が強く希望に満ちている。単に自分が蛇年であることで、何らかの幸運に巡り合ったような気がするというだけ。人が死んでいる状況なのに、笑っていられる無神経さは実に人間的で、優位に立った時の高揚感を忘れられないでいるのだ。
準備をして、蛇ヶ池に心霊巡りをするのが一番だと思われるし、この太陽がぎらぎらと輝いている内に済ませた方が良いだろう。それでも、引きこもっている私の足と腰は言うことを聞かなかった。思い立ってすぐ行動ができれば、このようにベッドに横になって目を閉じることもないのだ。
「明日から本気出すから。」
誰に言ったのか、そんな言い訳をしつつ夢へと誘う滑り台に、あの日と同じ軽やかさで滑り落ちていく。




