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最終章 日吉夕海の場合



 同時刻。

 日吉夕海の部屋に、ある侵入者が現れた。

 深夜である。通常ならば大多数が就寝している時間帯に、非常識に侵入してきたことでも、それが普通の来訪者でないことは確実だった。

 窓から入ってきたその存在は、何の迷いもなく夕海の寝室の扉を開け、堂々と室内に入ってきた。

 そうしてソレは、静かに声をかけた。

 その声は、闇にそぐわぬ優しげな女性の声だった。

「………夕海………夕海」

「………………」

「夕海、一緒に行きましょう」

「……冴先輩」

 悲しげな返答。

 その声に寝起きの様子はなく、この事態を予測していたかのように冷静だった。

 夕海は寝台から起き上がった。

 そのまま勢いよく立ち上がり、シルクのシーツを寝台から投げ放った。

 今まで横になっていたというのに、夕海の着衣は整っている。やはり初めから来訪者を待ち構えていたのだ。

「冴先輩。私は貴女とは行けません」

「……どうして?」

「もう貴女とは道を違えてしまったからです。

 ――今の私は貴女の敵だ」

「……そう」

 夕海の拒絶の言葉は、素っ気ない呟きで返答された。

 その呟きにはまるで感情が込められていない。そのため、彼女が夕海の言葉を理解したのかはわからなかった。

 侵入者とは対照的に、夕海は溢れそうになる感情を押し殺していた。

 相手が普通の人間ならば逃走の勧告もできた。だが、それは許されないことだった。

「冴先輩。ここで、討伐されてください」

「……討伐? 私を?」

「はい。貴女を」

 それは、心の奥から絞り出すような答えだった。 

 夕海はそれが正しい選択であることを理解している。

 例え、どれほど尊敬している人物だったとしても。

 例え、どれほど苦しい想いをするのだとしても。

 それが彼女に対してできる唯一の手向けだと思ったから、夕海は自らの手で決着を付けると決意したのである。

 一方、侵入者である瀬田冴は夕海の想いには応じなかった。

「……夕海。残念だけど貴女に私は倒せない。何故なら貴女は――」

 その直後、不意に彼女の気配に変化が起きた。

「私と同じ存在になるのだから!」

「――――――っ!」

 噴き出したのは強烈な悪意。そして生者に対する羨望の念。何度もソレと戦ってきた夕海にとって馴染み深い感情であった。

 だからこそ、夕海は一切慌てなかった。

 まるで脊髄反射のように寝台に手をついて、予め用意しておいた縄の術式を発動させた。

 縄は蛇のように蠢き始め、冴に向かって一斉に跳びかかっていった。

「――――」

 回避すら許さず冴の全身を捉えた縄は、直接に収縮して強制的に連行する。

 縄の根元が寝台に固定されているため、彼女は身動き一つ取れないほど完全に拘束されたのである。

「縄式拘束罠。誘き寄せた相手の自由を奪う罠の術式。

 貴女に教わった魔法です」

 淡々とした説明の中に、やはり苦悩な色が見え隠れしていた。

 けれど、それで失敗するほど夕海は甘くはなかった。

「……もういいのか?」

 そのとき、闇の中に男性の声が聞こえた。

 声の主は入口付近にある電灯のスイッチを押し、室内に明かりを灯す。

 そして室内の様子が克明となった。

「――――――っ!?」

 それを目撃した夕海たちは、思わず息を呑んだ。

 寝台の上に異様なものが存在していたからだ。

 今しがた夕海が拘束したのは、聖・武神塾の先任魔術師、瀬田冴であったはずだ。

 しかし拘束されているのは、全身が赤い布に覆われた奇妙な存在。

 大きさは普通の人間ぐらいだが、全身に巻かれている布によって露出している部分が一切ない。

 そのため、それが人間であるのかは判断できなかった。

 あるいはエジプトの木乃伊だと言われた方が信じる人間は多いのかもしれない。

「こいつがテメェの先輩か。やっぱり顔も出してねぇんだな」

 電灯を点けた男性、藤岡孝也が寝室に入ってきて状況を確認していた。

 彼は夕海を援護するため、別の部屋に隠れて待機していたのである。

「それで、こいつをどうするんだ? 直ぐにやるのか?」

「……ええ」

 夕海は枕の下からブーメランを取り出し、瞳に強い決意を込めて頷いた。

 ――自分の手で全ての決着をつける。

 そのために準備をして待ち伏せていのだ。ここで引くわけにはいかない。

 先日、夕海たち調停屋は調査によってある二つの計画を突き止めた。

 それは、町の商売人たちによる魔法技術の製品開発と、異形の都市侵略である。

 今回の騒動はその両者の思惑が一致したため起きたものであったのだ。

 最初に行動を起こしていたのは、商品の開発を推進していた商人たちであった。

 この都市の魔力結晶はエネルギーから武器産業まで、驚くほどに利用価値が高く世界中で取引されている。

 そんな中、本来は異形を討伐するための魔法兵器が、近年になって国や都市同士の争いで使用されるようになる。

 簡単に大量破壊兵器に転用可能な魔法は、様々な場所で甚大な被害を出してしまったのだ。

 そこに目を付けたのがこの町の商人たちだ。

 魔法による被害を軽減するという基本構想の下、魔力を遮断する商品を開発して利益を得ようと考えたのである。

 それは、世界で初の対・魔法防御という概念であった。

 計画に際し、まず商人たちはある人物に製品の作成を依頼した。

 町で魔法の研究を行っている人物で、その界隈では名の通った実力者であった。

 だが、その研究者の開発方法に重大な問題があった。

 研究者はデータ採取のための実地実験と称し、魔力に拒絶反応を持つ異形にサンプル品を着用させて町に引き入れてしまったのだ。

 確実に都市の条例に抵触するその行動は、当然のように都市崩壊の危機という結果をもたらした。

 それが先日の、織物屋を巻き込んだ事件である。

 その本来ならば不可能な実験を可能にしてしまったのが、夕海の先任魔術師である瀬田冴の存在だった。

 彼女は実験体を用意できないで困っていた研究者の前に現れ、町の外にいた異形を容易、かつ大量に集めてきてしまったのだ。

 ――現実ではまず不可能な行動だと言える。

 それにより実験は成功し、商品の完成が近づくことになった。

 では何故、ただの人間である瀬田冴にそんな真似ができたのか。

 いくら塾生といえども、異形を自由に操ることなどできるはずがない。

 その理由とは――

「おい、日吉。本当にこいつは殺さなきゃならんのか? 完全に拘束しているんだ。このまま医療機関で治療すれば元に戻せるんじゃねぇか?」

 孝也が夕海に配慮して希望的な意見を述べる。

 だが、夕海たち塾生は異形の専門家である。

「無理よ。異形化は病気じゃない。ゾンビと同じ――既に、死んでいるのよ」

 夕海は苦しそうに吐き捨てた。

 彼女が尊敬する先輩と再会したのは、数日前にこの部屋でのことだ。

 暗闇の中、一瞬だけ見えた彼女の姿があまりに衝撃的で、夕海は拒絶感で意識を手放した。

 ――その姿が人間のモノではなかったからだ。

 異形化の特徴である頭部の変形が確認でき、彼女が感染していると一見しただけで理解することができた。

 そのときは夢だと思い込んでいたが、幾つかの証拠が集まったことで現実だと認識できたのである。

 それで異形の行動傾向を分析し、接点のある関係者に扇動させて、こうして待ち構えていたのだ。

「じゃあこのまま殺さなかったら、こいつはどうなるんだ?」

「腐って崩れ落ちるだけよ。異形には代謝がないから、定期的に物質を摂取しなければ細胞が維持できずに崩壊してしまうの」


「だったら普通に食わせていれば――」

「――孝也くん!」

 夕海は遮るように声をあげた。

「もう無理なの! 異形は細胞自体が変質した存在なんだから!」

 一度感染してしまったら二度と助からない。それが唯一無二の現実だったのだ。

 だからこそ、夕海はこの問題を自分で対処しようと考えていた。

 先輩の不始末は、世話になった後輩が始末するのが最大の恩返しである。

 そうでなければ、夕海は鬼の雇用主にこの処分を依頼していたことだろう。

「冴先輩。私を恨んでください」 

 夕海の顔が徐々に歪んでいく。ブーメランを握る手が、僅かに震えていた。

「私には、こんなことしかできないから……」

 その言葉に、冴は静かに答える。

「別に恨みはない。

 ただ私が弱かった。それが、全てよ」

「先輩……」

 夕海の目尻から涙が溢れだす。

 もし異形がゾンビのように思考能力を失っていれば、夕海がここまで苦しむことはなかったのかもしれない。

 異形は生前の記憶を利用し、人を騙すなどの謀略を巡らすことがある。

 この冴の潔さや清廉さが演技なのだとしたら、夕海は見事にその策略に嵌ってしまったのだろう。

 夕海は強く瞼を閉じて、心残りと涙を断ち切った。

 手の震えは未だに止まらない。しかし、それでも、夕海は迷いなく腕を振り上げた。

「さようなら、冴先輩」

 頭上のブーメランが魔法の炎に包まれる。そして、夕海の手が力強く振り下ろされた。

「――――――――――っ」

 確かな手応えと共に、雄大に存在するはずだった未来が――粉砕した。

「う、う、」

 引火した炎が寝台で燃え上がる。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 夕海は床に膝をつき、慟哭を発した。

 断ち切ったはずの想いが、堰を切ったように溢れ出す。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 夕海は二度、尊敬する先輩を殺してしまったのだ。

 生前の冴が目標としていたのは、一般の人たちの安全を守ること。

 その遺志を継ぎ、その罪を背負いながら、夕海は生きて行かなければならないのである。

 今の夕海には何も考えることができない。

 しかし、その胸の中にある熱い想いだけは、決して忘れることはないのだろう。




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