第二章 神域編 七話
異形の凄まじい攻撃に、私は死を覚悟した。
回避も防御も不可能。
残された未来は無惨な私たちの残骸か――
しかし、それに対する孝也くんの行動は常軌を逸していた。
異形の拳に合わせて、孝也くんも同じタイミングで拳を繰り出したんだ。
拳同士が衝突し、私たちは大きく弾き飛ばされた。
「うわぁ!」
衝撃と圧力の空中疾走。
私は孝也くんに抱き締められたまま、訳がわからなくなり上下左右の感覚を失った。
しかし、孝也くんは冷静だった。
空中でバランスを取った彼は、そのまま着地をしつつ足で勢いを殺して停止したのであった。
「ふ、ふわぁ〜」
目が回る。
吹き飛ばされたのだから感覚が狂うのは仕方がない。
しかし私も訓練している人間なので、すぐに意識を取り戻すことができた。
「大丈夫か」
「う、うん。なんとか」
「そうか。じゃあ作戦会議といこうか」
私の拘束を解いた孝也くんは、異形に視線を向けつつ質問してきた。
「どうやって倒せばいい?
お前の経験が頼りだ」
どうやら私に作戦の指揮を仰ぎたいらしい。
でも私もこんな特殊な状況の経験は多くない。
あの異形は二体が合体しているんだけど、そんな異形と戦ったのは数回しかないんだ。
「う〜ん。弱点はやっぱり頭だけど、ああいうふうに合体して複数の頭がある異形は、一つの頭を潰した瞬間に強くなる気がするんだよね。
多分、命令が統一されて動きに無駄がなくなるんだと思う」
「じゃあ両方の兜を壊して、頭を一気に潰せばいいんだな」
「簡単じゃないけどね」
孝也くんは一つ頷くと、迷うことなく行動を開始した。
さすが孝也くんの行動力は高い。
驚愕の脚力でぐんぐん異形に近づいていく。
だけど勿論、異形も黙ってはいない。向かってくる孝也くんを潰すため、嵐のように複数の拳を繰り出した。
孝也くんはその攻撃を避けたり殴って勢いを逸らしたりして、少しずつ距離を詰めていった。
やがて異形の体に到着すると、ジャンプしてその胴体部に飛び乗った。そして全速力で頭に向かい駆け上がる。
「うおぉぉぉっ!」
最初に狙ったのは後ろの頭部。視界のない後頭部に向かって拳を放った。
が――
不意に、孝也くんの前から狙っていた後頭部が消えた。
「なにぃ!?」
私から見たら、ただ異形が前に屈んだだけだったんだけど、孝也くんには消えたように映ったことだろう。
そして次に孝也くんが見たのは、自分に視線を向ける前の異形であった。
その異形は上半身を回転させて、真後ろにいた孝也くんに殴りかかろうとしていたんだ。
孝也くんは空振りをした格好のままで、体制を立て直すことができないでいた。
そんな孝也くんに、異形は無常に拳を叩き込もうとする。
「孝也くんっ!」
終わった。そう思った。
孝也くんは間もなく致命傷を受けることだろう。
だけど、孝也くんは吹き飛ばされなかった。
それより早く異形の腕が切断され、巨大な手が空高く舞い上がったからだ。
「……ここまでか。まあ良くやったと言っておこうか」
「あれは……」
孝也くんが何とか体勢を整えながら石畳に着地したとき、異形の背後に人影が現れた。
異形の背と肩を踏み台にしたその人物は、扇子のような物を一度だけ水平に薙ぎ払った。
―――――――
次の瞬間、異形の頭部が一瞬にして切断された。
そのまま二つの頭蓋が石畳に転がると、直後に異形は活動を停止した。
徐々にその全身が傾いていき、やがて轟音を立てながら倒れ伏したのであった。
「うわ!」
大地を揺るがす振動と、舞い上がる砂埃。
しかし、そんなものなど気にする様子もなく、その扇子を持った人物は石畳に立っていた。
「ふむ。体の切れが良い。納豆か? 納豆が良かったのか?」
「弓菜さん!?」
あっさり異形を倒してしまったのは弓菜さんだった。
当の彼女は、何やら怪訝な顔で素振りをしている。
「た、助けてくれたの?」
「キミたちの頭があまりにも動いていなかったので仕方なくな」
何故かいきなりバカにされた気がした。
「頭がって」
「ここをどこだと心得る。
魔素のない外と同じように戦ってどうするんだ?」
「え……?」
「異形がこの町に入れない理由は、魔素によって神経伝達が阻害されるからだと言われているだろう。
つまり異形に肌を露出させた時点で、勝負は決まっていたんだよ」
「あ……」
最後の異形は下半身を切り離し、超再生によって素肌の足を晒している。その状態の異形に何の影響もないなんてあり得なかったんだ。
「じゃあ、放っておいても歩けなくなったってこと?」
「それどころか活動自体が停止していた可能性もある。キミたちはただ時間稼ぎをしているだけで良かったんだ」
「…………」
私は間抜け面を晒した後、
「たはー」
と言いつつ額に手を打った。
まったくもって、迂闊としか言いようがないじゃないか。敵の性質を失念した挙句、仲間の命を危険に晒したんだ。それで本当に討伐の専門家と呼べるのだろうか。
なんて私が苦悶している横で、いつの間にか孝也くんが現れて普通に弓菜さんに話しかけていた。
まあ、気にしてないのは有難いんだけれども。
「つーか、その扇子? は凄ぇな。そこらの刃物より良く切れるじゃねぇか」
どうやら私の失態より、敵を倒した武器の方に関心があるようだ。
責任を追及されなかった安堵はあるけど、蚊帳の外である私としては複雑な気分である。
「これか? これはただの檜扇さ。普通の紙と木でできた扇子だよ。確認してみるかね?」
と弓菜さんが孝也くんに渡したので、私も興味に釣られて色々と眺めてみた。
確かに、一部に銀の綺麗な装飾があって高そうだけど、品物自体は普通の扇子だ。角が鋭利だとか、刃が仕込まれているとか、そういった特別なものはない。
「ふぅん? じゃあアンタの技術……いや、技能が凄かったってことか?」
「コツと気合だな。紙で割り箸を切断することと似たようなものだ」
「規模が全然違う気がするが……」
普通の人が気合いで異形が倒せたら世話がない。
「ちなみに値段はどれぐらいするんだ? 随分と高そうだが」
「ふむ。単価で六万」
「高ぇ!」
驚いて孝也くんが落としそうになるのを、慌てて私が掴み取った。
確かに美味しい御飯が何回も食べられる値段だ。まあ、食べ物で換算するのは卑しいと言われそうだけれども。
「ヒノキは古くから神聖な樹木とされている。その退魔の効果が重要なのだよ」
「へぇ、そんな効果があるんだ」
だから高いのだろうか。素材の値段というものは確かに馬鹿にならない。
「じゃあこの銀の装飾にも意味があったりするのか?」
「昔から銀も魔を払うと言われているな」
「へぇ、ちゃんと意味があるんだな」
どうやら値段が高額だっただけに、孝也くんは扇子のことが気になっていたみたいだ。
このご時世、わずかなお金もなくて餓死する人間は割と多い。
外の世界では無意味な物にお金を出す余裕なんてないんだ。
「じゃあさ、扇子を武器に選んだ理由もあるのか?」
「それは当然、風が起こせるからだ」
「風が起こせる?
風を起こして何かの意味があるのか?」
「無論、涼しい」
「は? 戦闘に役立つとかではなく?」
「戦闘の役には立たんな」
「それただの扇子と何が違うんだよ」
「普通の扇子だが? 切断するのはコツと気合いだと言っただろう」「魔除けとか関係ないじゃないか!」
どうやらあまり扇子である意味はなさそうだ。
まあ、夏だからね。
外見的にも、無骨な武器より扇子の方が涼しげで良い。
ただ疑問なのは、そんな高額な武器(という名目の私物)が、経費で落ちるのかどうかだが。
……うん。この町の闇は深そうだ。




