第二章 二話
職場である区役所に入ると、調停屋のカウンターの中に小柄な少女がいた。
始業時間より少し早目に到着したんだけど、彼女の方が速く出勤していたらしい。
「おはようございます、弓菜さん」
「うぃーっす」
「やあ、来たか。二人とも」
「うん。って、何飲んでいるの? 牛乳?」
職場の上司である弓菜撫子さんは、何故か大きな牛乳瓶を持っていた。小柄なだけにその瓶を持つ姿は妙に可愛らしかった。
私が思い浮かべたのは哺乳瓶を持った赤ちゃん。
「何だ、その歳になって身長を伸ばしたくなったのか?」
「この歳で伸びるか。まだ骨粗鬆症の方が可能性は高いわ」
「うわ」
平然と年齢を揶揄する弓菜さん。
普通の女性なら年齢の話は避けるものだけど、弓菜さんは気にしていないらしい。
「少々お節介な奴がいてね。そいつが健康に気を付けろと言うんだ」
「それで牛乳? 他にもっと良い方法があるんじゃないの? サプリメントとか」
「まあ深くは気にするな。
それより早く座りたまえ。今日は重大発表があるのだよ」
「あん? 何だそりゃ」
私と孝也くんは言われた通り、カウンターの脇を通り事務所に入った。
安物の業務椅子に座るのと同時に、弓菜さんが牛乳ビンを置いてカウンター席から飛び降りた。
「キミたちは男の娘、という言葉を知っているかね?」
「男の子? 少年のこと?」「いや、男のむすめと書いて、おとこのこ、と読む」
「? 何それ?」
「女みたいな外見の男のことだろう?」
「そう。さすがだな、藤岡くん。特定のアニメや漫画には、この『男の娘』枠というものが存在する」
「するの?」
「知らねぇよ」
「多数の登場人物が登場する物語では、それぞれに特徴がないと個人を目立たせることができない。
そこで登場するのが男の娘の存在という訳だ。それにより物語に変化を与えるだけでなく、特殊な趣向の者や、腐と呼ばれる者たちに想像の余地まで与えるという優れた存在なのだ」
「ふ〜ん? で、それがどうしたの?」
興味はないけど、話を進めるために質問した。
「勿論、我々の仲間にもそういう存在がいれば、少しは特徴が出ると思ってな」
「調停屋に特徴が必要なのか?」
「広報という意味でも、何か一つ特徴が必要なのだ」
そんなものなのか。行政機関が考えることはよくわからない。
「でも当てはあるの? ただ可愛いだけの男の子じゃ駄目なんでしょう?」
「ふむ。こんなに可愛い子が女の子の訳がない、というぐらいじゃないと駄目だな」
「??? 男の子の訳がない、じゃないの?」
「気にするな日吉。普通の人間には理解できない世界だ」
「はあ……?」
どんな世界だ。
「我々は探しました。懸命に探しました。そして、見つかりましたよ。
今日はこのスタジオに来てもらっています」
「はあ?」
「スタジオ?」
何かのパロディらしいのだが、よくわからなかった。
「では、ご対め〜ん!」
そう言いながら弓菜さんが両手を振り上げると、給湯室から巨大な人影が現れた。
「やっと紹介してくれるの? もう、じらせるんだからぁ」
「って、ただのオッサンじゃねぇか!」
現れたのは長身で筋骨隆々の男性だった。
ただ服装は赤いドレスで、顔にお化粧の様子が見受けられることから、普通の男性ではないことは一目瞭然だった。
「紹介しよう。男の娘の柳権三郎くんだ」
「初めまして、権三郎よ。
ゴンちゃんって呼んでね」
「ただのオカマじゃねぇか! 男の娘の要素が微塵もねぇ!」
「あらぁ、失礼ねぇ。こう見えても私、心は立派な乙女よ」
「体が立派な男だ!」
こればかりは孝也くんでも譲れないらしい。
確かに、この人を男の娘と呼んでしまったらパラドクスとかの関係で世界が崩壊しかねない。
「まあ、そう言うな。キミたちは外見で他人を判断するのかね? 彼女が自分は乙女と言っているんだ。それで良いじゃないか」
「身の危険を感じるんだよ! さっきから目つきがキメぇ!」
「大丈夫だ。彼女は百合乙女なのだ。男には興味がない」
…………ん?
「は? オカマだけど、男に興味がない……?」
「彼女は男に興味がない代わりに、可愛い女の子が大好きなんだ」
「ややこしい!」
「やっぱり普通のオッサンじゃねぇか!」
生物学上が男性で、異性である女性が好き。これだけ聞くと普通である。
しかし自称しているのが女性で、同性?である女性が好きだという。
……もうパラドクスは起きているのかもしれない。
「はぁはぁ。二人も可愛い女の子がいるなんて、アタシ唾液が止まらないわぁ」
危険な瞳が私と弓菜さんに狙いを定めている。
その粘着的な視線に、今度は私が身の危険を感じる番だった。
確かに孝也くんが危惧していた通り、あの目つきは危険だ。
恐らくあの巨体で襲われたら一溜まりもないだろう。
自分が対象になることで初めて恐ろしさを実感した。
「さて、そろそろ本題に入ろうか」
「え〜? もう少し親交を深めたいわぁ」
「私の部下に手を出すなよ。もし何かしたら死よりも恐ろしい苦痛を与えてやるからな」
一応、上司として私を守ってくれる気はあるらしい。しかし。
「あら、サディスティック? アタシそういうのも嫌いじゃないわぁ」
おじさん……じゃなくて、柳さんは喜んでいた。変態でもあったらしい。
「藤岡くん、彼女はお帰りだ。ご希望通り叩きだして塩を撒いておいてくれ」
「ああ!? ごめんなさぁい! お話だけでも聞いてぇ!」
慌てて取り繕うとする柳さん。何やら聞いて欲しい話があるらしい。
「実はアタシ、お願いがあってここに来たのよぉ」
「ん?」
弓菜さんが新メンバーとして探してきたのではないのか。まるで目的があって自分で来たような物言いだ。
「つい先日、アタシの妹が行方不明になってしまったの。それを探してもらいたくって、ここに依頼に来たという訳よぉ」
「――って、依頼人かよ!」
「新メンバーというのは冗談だったのね……」
どうりで男の娘とか変なことを言い出したと思ったら、ただ私たちをからかっていただけらしい。
もっと普通の紹介をしてもらいたいものだ。
弓菜さんに視線を向けると、彼女は愉快そうに笑った。
「いやぁ、なんか面白い状況だからキミたちを楽しませてやろうと思ってな」
「そんなサービスはいらねぇよ!」
「と、とにかく依頼を聞きましょうよ……」
「うむ、その通りだ。じゃあとっとと話したまえ」
弓菜さんは適当に話を促す。ただネタにしていただけで、柳さん本人のことは嫌いなのかもしれない。
「もう、淡白ね! とにかくこれを見て頂戴!」
と、柳さんは一枚の写真を取り出した。
そこには私たちとそう変わらない年齢の女性が映っている。古そうな建物の前で微笑んでいることからも、どこかで記念撮影したものだろう。
「妹の華蓮よ。可愛いでしょう?」
「……うむ、身の危険を感じて家出したと」
「違うわよ! 家出じゃなくて行方不明! 色々不審な点があるんだから!」
弓菜さんは見境なく毒が吐けるらしい。
「なるほど。それでこの妹さんを探してもらいたいという訳だな。家庭が複雑だと大変だな」
「あら?」
柳さんはぽかんとした。
「別に複雑な事情なんてないわよ?」
「だって、腹違いの妹さんだろう?」
「実の妹だけど……?」
「え? 妹さんは人間だが、キミは妖怪ではないか」
「私も列記とした人間よ!」
どうも、弓菜さんが一番他人を外見で判断している気がする。偏見でもあるのだろうか。
「それで、不審な点っていうのは何なんだよ」
仕方なく、孝也くんが続きを促す。
「え、ええ。それが複数の人たちと一緒に行動していたっていう目撃情報があるのよ。
そうなると何かの事件が係わっている可能性もあるでしょう?」
「それ、ただの友達なんじゃ……」
「それならそれで別に良いのよ! でもそれが悪い人たちだったらどうするの!?
私の妹が不良になっちゃったり、あまつさえ犯罪者になっちゃったら、アンタたちはどう責任を取ってくれるのよ!?」
「う〜ん。探すこと自体に異論はないけど、目撃情報があるんなら自分で探せばいいんじゃないの?」
「途中まではそうしたわよ。
でも、東地区の神域に入って行ったらしいから駄目だったの」
「神域?」
孝也くんはまだ知らなかったみたいだけど、私は話だけなら聞いたことがある。
「えっと、確か神様なんかが暮らしている場所だったわよね。
ああ、そっか。自分の自治区以外には入れないんだっけ」
「そうよ。だから探してもらおうと、ここに来たの」
「人探しかぁ」
弓菜さんに視線を向けると、彼女はしっかり頷いた。
「うむ。我々の仕事だ。
だが神域とは、また厄介な場所に行ったものだな」
「厄介? 何が?」
「神域は我々調停屋でも入るのに許可が必要な場所なんだ。しかも結界が施され、害意のある者は侵入できないようになっている」
「許可って簡単にもらえるの?」
「いいや。審査と面倒な手続きが必要だ」
「そっか。それじゃあどうやってその妹さんは入ったの?」
「それが分からないのよぉ。
元々アタシたちは移民で、余程のコネクションがない限り認可されないはずなんだけどぉ」
「つまり、それが不審な点って訳か」
それは確かに気がかりだ。
何の権限も持たない妹さんが、第三者と思われる介入で特別な場所に入っていった。
例え悪いことでなくても、家族としたら心配である。
「どうする、弓菜さん」
「どうかお願い。アタシ、妹の身に何かあったら生きていけないわ」
「うむ。勿論その依頼を引き受けよう。
実は最近、他にも若い女性が行方不明になる事件が幾つかあってな。
警察も懸命に探しているそうだが、手懸りがなくて捜査が進んでいないらしい。
もし今回の行方不明と関係があるのなら、事件解決の糸口となるのかもしれない」
「ホント!? 有難う! やっぱり頼りになるわぁ!」
「それでは、その妹さんの特徴や、最近何らかの異変がなかったかを教えてもらおう。
それが捜索の手助けになるかもしれないからな」
さすがに慣れているようで、弓菜さんは妹さんの情報を一つ一つ聞き出していった。
彼女はこの調停屋として、色々な経験をしてきたのだろう。その経験によって、このような冷静な対応ができているのである。
私たちは、その小柄な女性の頼もしい姿を感心しながら見つめていた。
外見が幼いからつい年上ということを忘れてしまうけど、本当は立派な女性なのである。
今後はもっと敬うべきなのかもしれない。
私は今まで子供扱いしていたことを、少しだけ反省したのであった。




