第二章 一話
第二章 夕海が見た景色
深夜。
何やら声が聞こえたような気がして、私は寝台の上で薄目を開けた。
どこにも光源がないから周囲は闇に包まれている。
「……うみ……ゆうみ」
「……? 誰?」
部屋の外から聞こえてきたのは、聞き覚えのある優しい女性の声だった。
寝起きの思考でぼんやりと考えていると、ある一人の人物が私の記憶に該当した。
「……冴先輩?」
瀬田冴さん。
私が所属している対異形組織、聖・武神塾の先任にして、尊敬してやまない女性だ。
何故こんな深夜に先輩が?
ここは私が暮らしている部屋で、戦地へ赴任している先輩がいるような場所ではないんだけど。
と、そこまで考えて、私はそのことに気が付いた。
そうだ、先輩は――
異形に――
食べられちゃったんだ――
「……って、ええ!?」
私は驚きのあまり飛び起きた。
何故戦死したはずの先輩がここにいるのか。私は完全に混乱しながらも声をかけていた。
「生きていたんですか、先輩!」
「さあ夕海。私と一緒に行きましょう」
その声には、言葉の意味以外にも誘うような雰囲気が窺えた。
「行くってどこへですか?」
「それは、ね」
部屋の扉が開き、その人物の顔が覗く。
青白い月明かりに照らされて、そこにいたのは――
「――っ!? きゃぁぁぁぁぁぁぁっ!」
私は気を失った。
「ふぁぁぁ。いってきま〜す」
早朝。出勤するために玄関の扉を開けると、ほぼ同時に隣から少女の元気な声が聞こえてきた。
「あ、夕海さん! ちーっす!」
その人物は隣の部屋に入ろうとしていたようで、偶然私の出勤と鉢合わせたみたいだ。
目つきの鋭い、癖の強い茶髪の少女。
服装は一目で女学生とわかる海老茶式部――矢絣模様の和服に、赤茶の袴を合わせた格好が良く似合っている。
彼女の名前は藤岡亜依ちゃん。私の幼馴染の妹さんで、十七歳になる高等女学生だ。
「おはよう、亜依ちゃん。今日もお兄さんに朝ごはん持ってきたの?」
「うん。ウチの近所のパン屋さんで焼き立てを貰ってきたんだ」
そう言って紙袋を掲げる。
その中には山盛りのパンが入っていて、香ばしい匂いを放っていた。
「うわぁ、おいしそう」
「よかったらどうぞ。夕海さんにもお裾分けするつもりだったから」
「ホント? 嬉しいなぁ!」
「どうぞ。……って、あれ? 何か顔色悪くない?」
亜依ちゃんは心配そうに私の顔を覗き込んできた。
どうやら一目でわかるほど私の調子はおかしかったらしい。
「うん……、ちょっと変な夢をみて早く目がさめちゃったんだよね」
「あ、だったらもう朝ごはん食べちゃった?」
「いいえ。まだだけど」
「そ、良かった! なら一緒に朝ごはんを食べよう!
美味しいものを食べたら変な夢なんてすぐ忘れちゃうよ!」
「あ、ちょ、ちょっとっ」
亜依ちゃんは私の手を取って強引に室内に引きずり込んだ。
あまり食欲はなかったけど、あの焼き立ての魅力には少し心惹かれるものがあった。
「うるせぇな。なんだ、朝っぱらから」
部屋の奥から不機嫌そうな青年が現れて、私たちに鋭い視線を向けてきた。
不良のような金髪と凶悪な目つきを持つ、ガラの悪い青年。
私の幼馴染である藤岡孝也くん。この亜依ちゃんの実兄だ。
「あ、兄貴。おーっす!」
「おはよう、孝也くん」
「なんだ、日吉も来ていたのか。まだ時間じゃねぇだろ」「ちょっと早く目が覚めちゃったのよ。閉じこもっているのも間が持たなくて」
「ん? ……そうか」
孝也くんは私の顔を見て眉を寄せた。だけど特に何も言わず、「ふん」と吐き捨てて奥に消えて行った。
「なに、兄貴……? 気持ち悪いよ?」
「うるせ。テメェは黙って座ってろ」
「はいはい。さ、夕海さん。こっちこっち」
さすが兄妹。遠慮とか気遣いとかに、何やら独特なものがある。
私は促されるままリビングに入ると、テーブルの上にはすっかり朝食の準備が整っていた。
湯気が立つコーンスープ。レタスとマッシュポテトのサラダ。スクランブルエッグに厚切りベーコン。自家製のジャム。
まだミキサーに入っている野菜と果物のミックスジュース。バスケットが空なのは亜依ちゃんのパンを想定してのことか。
「さ、さすが孝也くん。しっかりしているなぁ」
「朝飯はちゃんと食わねぇと力が出ねぇだろうが。待ってろ。今テメェの分を用意してやるから」
「う、うん。ありがとう……」
私は何だか完敗したような気がした。
よく漫画には、主人公の少年が幼馴染や妹に起こされるというシーンを見かけるが、この孝也くんに限っては滅多にそういうことがない。既に身支度が整っているように、見た目と違ってしっかり者なのである。
「そいういやぁテメェ。深夜に何を叫んでやがったんだよ。驚いたじゃねぇか」
「え!? それは、えっと……」
「玄関から呼びかけたが出てくる気配もねぇ。それどころか起きてる様子もねぇしな」
「あ、えっと、そのとき玄関の鍵って……?」
「閉まっていたよ。何だ、忘れたのか?
鍵を壊そうかとも考えたが、さすがにそれは問題あんだろ。
なにより新品の扉が頑丈でビクともしなかったしな。ありゃあ、防犯としては最適だな」
私の部屋の扉は先日吹き飛んでいて、新しいモノを設置してもらっている。それが予想以上にいい品だったらしい。
「そっか……。じゃあ、やっぱりあれは夢だったんだ」
「夢?」
「それがね……」
私は昨晩見た夢の内容を二人に話した。
同じ組織の先輩が現れたこと。その先輩は先日戦死していること。何処かへ連れて行こうとしていたこと。
そして、よく覚えていないけど先輩の姿が恐ろしいものだったということ。
今考えると荒唐無稽だけど、私にしたら簡単に忘れ去ることができない内容だったんだ。
「ふ〜ん、心を病み過ぎなんじゃねぇ?」
「そうだよ。病院行く? お医者さん呼ぶ?」
「あのねぇ……」
確かに『尊敬する人物が深夜に酷い姿で訪れてくる夢』、なんて自分でも精神状態に異常があると思うけど、遠慮なく病人扱いされると傷ついてしまうじゃないか。
「あのさ夕海さん。
それは多分、後悔とか罪悪感とか、そういう想いが心に影響しているんじゃないかな」
「…………」
「だって、夢には本人も気づいていないことが敏感に出てくるってもんじゃない?
不安とか願望とかの想いや、体の不調とかが、本人が考えてもいない形で登場したりするんだよ」
「それはそうだけど……」
では、あの夢は何を意味していたんだろう。確かに塾の先輩に対する罪悪感はある。しかし、だからといってあんな死者を冒涜するような夢を見るものなのだろうか。
私が難しい顔で考え込んでいると、孝也くんが雰囲気を払拭するように明るい声を上げた。
「まあ何にせよ気にするな。飯食って忘れちまえ」
「……それ、さっき亜依ちゃんに同じこと言われた」
「そりゃあ、兄妹だからね!」
と、亜依ちゃんは楽しそうに笑った。
なんだかんだ言って、この兄弟は似ていて仲が良いのである。
心が空虚になっていた私は、少しだけ二人が羨ましく思えた。




