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第一章 最終話 市役所



 雲に覆われて太陽が失われて久しいこの地上で、光の強弱によって昼夜が判断できる唯一の町・多種族共生都市。

 そんな町の夜は深く、景色が異界の様相を呈する。

 時の精霊が午前零時を告げる頃、封印された地下迷宮から大量の瘴気が噴き出す。

 エネルギー物質である瘴気の濃度が上がると、視界や感覚が変わり異界のような町並みを見せるのである。

 それ故に、奇妙な目撃情報が跡を絶たない。

 曰く、死んだ知人を見た。

 曰く、町には存在しないはずの悪魔を見た。

 など、それらの報告があったのもこの夜間でのことである。

 そんな夜の市役所は、普段の東洋風情に生々しい様子が加わり、より一層の怪しげな場所へと変化している。

 充満している煙は紫に変色し、何処から響いてくるのは女性の嬌声とも魔物の呻きとも捉えられる声音。

 床や天井には不可解な文字が次々と浮かび上がり、まるで絶え間なく呪いの言葉を囁かれているようだ。

 しかし、どれほど雰囲気が変化しても建物の形状や間取りが変化することはない。

 入口のすぐ近くに受付のカウンターがあり、そこには調停屋と記載された看板が掛けられている。

 そしてそのカウンターの中に、一人の壮年の女性が水タバコを嗜みながら来客を待ち構えていた。

 年齢は二十代の中盤ぐらいだろうか。

 お下げ髪に黒縁の眼鏡。美しい容姿に、すらりとした体格。

 衣服は何故か作業着のような作務衣を纏っていて、その薄い布地が女性らしいラインを明確にしていた。

 愁いを帯びた表情をしていたその女性は、ふと何かの気配を感じて視線を上げた。

「……また来たのか、佐伯くん」

 言葉と共に吐き出された煙は、何やら甘い桃の香りがした。

 古来、桃には邪気を払う効果があるという。どうやら水タバコのフレーバーにはそんな桃の果実が使用されているようだ。

 その女性は鬼であった。

 外見は人間と大差ないが、額にある二本の角が、古来より恐れられてきた邪鬼であることを証明していた。

「こんばんは、先生。調子はどうですか」

 有毒そうな煙の向こうから、何やら男性が声をかけてきた。

 魔の煙に潜んでいるのは、果たして妖魔か怪物か。

 しかし女性の反応は落ち着いていて、来訪者に対する緊張は見受けられなかった。

「何度も言うがキミに先生と呼ばれる筋合いはない。

 私は教師でも医者でも政治家でもないんだからな」

 そんな否定の言葉に、即男性から反応が返ってくる。

「いえ、自分にとっては先生ですから」

 そうして煙から出てきたのは、奇妙な青年だった。

 年齢は孝也や夕海と同じぐらいで二十歳を少し過ぎたほど。彼自身の外見には目立った特徴はないのだが、何故か頭に黒い猫を乗せていた。

「毎回キミは何をしに来ているんだ? 暇なのか?」

「自分は先生の健康を監視しているだけですよ」

「余計なお世話だ。私は一人でもよくやっていると自負している」

「そうですか? 最近はお酒と煙草の量が増えているみたいじゃないですか」

「それは、その、なんだ」

 いきなり口籠る。自負とやらも大したものではないらしい。

「気を付けてもらわないと、こちらが困るんですよ」

「……何故キミが困るのだね?」

 女性は訝しがるように眉を顰める。青年の言葉には不可解なものがある。

「自分は先生の世話係ですから。先生の健康管理が自分の仕事なんですよ」

「私はキミにそんなことを依頼した覚えはないぞ?」

「依頼者は貴女ではありませんから。例え貴女が拒否しても、自分はただ先生のお世話をするだけです」

「押しつけか。悪徳業者のようだな」

「まあ、そう仰らずに。貴女の身を案じてのことですから」

「そんな依頼をするのは一人しかいないか。まったく、お爺さまも過保護でならないな」

 その依頼主に心当たりがあるのか、女性は疲れたように首を振る。彼女にとってはよくあることであるらしい。

「しかし世話と言っても、私は他人に干渉されるほど困ってはいないぞ。

 炊事洗濯はまめにやっているし、仕事だって問題なくこなしている。

 他に何の世話をするというのだ?」

 身内に抗議するように、女性は疑問の声を上げた。

 ある種の甘えのようなものが窺えたのは、既にそれを身内の延長だと認識していたからだろうか。

 そんな女性に対して、青年はまったく表情を変えずに答えた。

「先生は大概において大雑把ですよね。

 たとえば問題の解決には違法行為も辞さないとか。

 料理をしても栄養バランスには気を配らないとか。

 そういったことが色々あります」

「失礼だな。ただ効率を優先しているだけで、何も考えていない訳ではない。

 ちゃんと過程を考慮した結果、そのように見られがちなだけだ」

「でしたら、せめて健康のためにも食事の内容には気を付けてください。

 炭水化物、脂質、タンパク質をバランスよく摂ると良いといわれていますね。

 それにビタミン、ミネラル、食物繊維を加えればまず大丈夫です。

 好きだからといって、毎日肉料理とお酒しか摂らないなんて言語道断ですよ」

「う……」

「何です、肉と酒って。山賊ですか? 山賊王になるおつもりですか?」

「何で犯罪者の王を目指さなければならないんだ。

 こう見えても私は法と権利の守護者だぞ」

「はは、罪を捏造して相手から損害賠償をむしり取ろうとしている人の言葉とも思えませんね」

 などと、青年はまるで見て来たかのように指摘した。

 女性は瞠目せずにはいられなかった。

「何で知っているんだ? 

 その依頼が片付いたのはついさっきのことだぞ?」

「さて、何故でしょうね。想像にお任せしますよ」

 ワザとらしく青年がはぐらかすと、女性は直感で何かに閃いた。

「――ストーカーか!?」

 疑心暗鬼が女性の思考を妙な方向へと向かわせた。

 依頼者のいるストーカーが存在するのかは不明だが、少なくても健康状態を気にするストーカーは珍しいだろう。

 最も、ある意味そう思わせてしまっても仕方がない部分もある。

 彼は瘴気の濃い夜間にしか現れない。 つまり普通の人間ではなく、特殊な存在である可能性が高い。

 だが外見が人間と同じであるため、つい人間の犯罪者と重ね合わせてしまったのである。

 実のところ、彼が何者なのかは女性も詳しくは知らない。

 ただこれまで特に悪影響がなかったため、普通の人間として接してきただけなのである。

「嫌だな、先生。自分はストーカーなんかじゃありませんよ。

 ただ霊的に憑りついて監視しているだけです。……ずっとね」

「う、うひゃぁ!?」

「というのは冗談です。自分は幽霊ではありません。

 勿論ストーカーでも。

 それに、半妖である先生は何者にも憑依されないでしょう」

「そ、そうだよな。まったく、冗談が過ぎるぞ、まったく」

「そもそも、何を怖がっているのですか?

 先生は精霊ではありませんか。この国で精霊といえば、八百万の神の一柱。他の影響を受けない、高貴な個体であるはずです」

「ま、まあそうなんだがなぁ……。

 しかし半妖であるがため、人の身が侵食される可能性はあるのだ。何しろまだ経験したことがないからな」

「はい。という訳で、先生には食事改善をしてもらいます」

「……、はぁ!? 何でそうなるのかね!?」

「勿論、健全な肉体を維持してもらうためです。肉体が健康ならば、大概の霊症など無効化できますからね」

「む、むう……」

「飲酒時の食事に必要なのは、不足がちになるビタミンとミネラルの接種だといわれています。

 先生の場合はもっと野菜や魚を摂るべきですね。それに炭水化物も圧倒的に不足しています。

 普通の食生活をしていたのなら、そんなことにはならないはずなのですが」

「口うるさいな、キミは。オカンかね?」

「まあ、飲酒時には意識的に肴を食べてもらうとして、問題は普段の食生活ですね。

 炭水化物は必須として、なかなかバランスの良い食事を摂るのは難しいことでしょう。

 そこで自分のお勧めはこちらです」

 と、男性はいきなりガラス瓶と藁の束を取り出した。

 虚空から取り出したように窺えたが、魔法の類だろうか。

「……牛乳と、納豆?」

「はい。お勧めの総合栄養食です。普通の食事に加えてこれらを適度に摂取してください。体に良いですよ」

「嫌だ、面倒だ」

「できる範疇で結構なので」

「残念だが私は牛乳を飲むとお腹が緩くなるのだ」

「それは嘘ですな。先生がお腹を下したなどという話は聞いたことがありません。

 それに、鬼には〈強食〉というスキルがあるはずです。ありとあらゆるものを捕食し、吸収できるという特殊技能。

 それにより毒物でも無害で摂取できるとか」

「どれだけ私の内情は筒抜けなんだ……」

 そんな公認ストーカーらしき青年は、女性の気持ちなど気にせず食品をぐいぐいと押し付けてきた。

「さあ、遠慮はいりませんよ」

「それはどうも! まったく、キミは、まったく!」

 どうやら青年の指摘に自覚があったようで、女性は反論の余地を失っていた。

 ――健康に気を遣う鬼など滑稽ではないか。

 果たしてそんなものが正しい鬼の姿だと言えるのだろうか。

 それはもうアレだ。ただ体型を気にする年頃の女性ではないか。

 このまま行けば有酸素運動でもやらされるのかもしれない。

 自ら浮かべた最悪な想像に、溜息を禁じ得ない彼女なのであった。




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