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第一章 河川編 五話

「あの、不躾ながらお聞きしますが、お給料ってどれぐらいですか?」

 やはり気になったのか、夕海が本当に失礼な質問をした。

「何じゃ先程から。お前たちにそのようなことを教えねばならん道理はないぞ」

「ふむ、これは失礼したな婆どの。私は調停屋の弓菜撫子。

 ある調査でこの地に足を運んだ次第だ」

 尽かさず撫子が正体を明かすと、老婆の態度が一変した。

 どうやら彼女の名前は水戸黄門の印籠に近いようだ。

「弓菜……撫子さま! なんと、貴女があのお噂の!

 これはお初にお目にかかります! ワシは小豆婆のシズ。この辺りで農業を生業としておりました妖の怪異ですじゃ!」

 農家さんなんだ……。

「お静さんか。やはり小豆の生産を?」

「はい。できた小豆をこの川で洗い、近くの無人販売所で売っておったのですが、それだけでは実入りが少なくて」

「――普通の人!?」

 夕海は唖然とした。

 小豆婆って、ただ作物を洗浄していただけなのか?

 それもう妖怪じゃないじゃん。小豆を洗っているだけのただのお婆さんじゃん。

 しかも『人を脅かす』という怪異性まで全否定である。

「で、野菜を売るよりも今の仕事の方が儲けは大きいのだね」

「それはもう。無人販売では百円前後で商売しておりましたが――」

 よくある無人販売所の値段設定である。

「この仕事は時給二百五十円でやらせてもらっておりますじゃ」

「安っ!」

 完全に最低賃金を下回っているではないか。

 最近のアルバイトの平均は多分時給千円程。

 彼女が契約しているのはその四分の一だというのだから、あまりにも横暴である。

「それ不当契約じゃないの!?」

「なるほどな。妖怪には人間の契約が適応されねぇから、雇い主がわざと低い料金を設定しているんだ。

 そいつらは妖怪の人権なんて考えてもいねぇんだろうな」

「そんな……」

 夕海たちが町の理不尽さに衝撃を受けていると、何やら撫子が指摘してきた。

「あのな、キミたちは勘違いをしていないか?

 ここは共同地区だけに法整備が遅れているだけで、別に妖怪が差別されているという訳ではないのだよ。

 妖怪の自治区がある西地区では、ちゃんとした妖怪の為の法律により権利が保障されている。

 ただ、雇った妖怪の処遇は個人の裁量に因るものなので、暴利を得ようとする悪徳業者が存在するのは事実だから、それは我々も遺憾に感じている」

「って、法整備がされていない時点で差別みたいなもんじゃねぇか……」

「まあ仕方がないよ。まだこの集積都市が出来て百年程なんだ。それぞれの自治区の治安を維持することが精一杯で、全てが平等な法律を作ることは難しいんだよ」

「う〜ん……」

 理解できなくはないが、百年もあったら何かできたのではないか。

「ともかく。私はこれからその店に行って業務指導をしてくる。キミたちは『安達ヶ原』に戻って黒塚さんに報告してくれ。もう問題は解決した、とな」

「はぁ? まだ何も解決していねぇじゃねぇか」

「もう解決したようなものだ。

 今回の所業は明らかな環境汚染といえる。その店は調査が終わるまでの営業停止。場合によっては刑事責任に問われることになるだろう」

「ふ〜ん? 一人でいいのか?」

「問題ない。すぐに警察と環境団体に連絡する。数分で合流できることだろう」

 と言いつつ、撫子は眼鏡の側面にあるツルの部分を指で撫で始めた。

 何をしているのかと注視していると、

「よし、通報終了」

 と、いきなり報告してきた。

「あん? どうやって?」

 彼女は眼鏡に触れていただけである。モールス信号ぐらいなら送れるかもしれないが。

「この眼鏡、ウェアラブル端末なんだよ。これ一つで通信や検索、情報処理ができるんだ」

「無駄に最新鋭だな、おい!」

 孝也たちも話だけは聞いたことがある。確かにそういった端末が開発されたという噂はあったが、まだあまり流通はしていなかったはずだ。

「携帯は持ってないの?」

「所持するのが面倒なんだよ。スマホはイライラするから嫌いなんだ。必ず押した場所と違う場所が反応する」

「お前は機械嫌いのお年寄りか?」

 ハイテクな物を所持している理由が、その前の世代の端末が使えないから。

 便利な世の中になって良かったですね。

「あ、でも、その眼鏡って『体は子供、心は大人』とか言いながら発信機で相手の居場所を探るやつみたいね」

「ふむ。キミは殺人事件の捜査の方がお好きかね?

 そういった仕事もないこともないが」

「め、滅相もない」

 ただ漫画に出てきそうだと思っただけだ。

「だが、携帯を持ち歩くのが面倒なら腕時計型でも良かったんじゃね?」

「あれはスマホの付属品だろう。嵩張るくせに処理能力が低い。

 まだキーボードが付いたガンレッド型の方が使えそうだ」

「悪魔が召喚できそうだな……」

 ちなみにそれも昔開発されたが流通したという話は聞かない。レトロフューチャーは所詮夢の産物なのだろう。

「ほら、通信機器の話はいいから早く行きたまえ。依頼者が報告を待っているぞ」

 背中を押しやられた二人は、渋々歩き出すしかなかった。

「つーか報告ならその眼鏡でやりゃあいいじゃねぇか」

「ねぇ? じゃあ、後で連絡先教えてね」

 まあ、報告も重要な仕事なので、ここは大人しく従っておくことにした。

「じゃあ、オラも帰るさぁ。

 お二人さん、また近いうちに会うべぇ」

「うん! またね、ヤナさん」

 ヤナの言葉に頷いた夕海は、彼女が川の中に消えるまでしばらく手を振り続けていた。

 ヤナが消えた川は、再び蝉時雨とせせらぎが入り交じるコンサート会場と化した。

 相変わらず、真夏の熱は肌を攻め立てる。

 しかし、正常に戻った川の流れが夕海たちに涼しげな風を送って来てくれていた。



 ――こうして、孝也たちの調停屋としての初仕事は無事に終了した。

 孝也としては物足りないものがあったが、夕海にとっては充実したものであったらしい。

 塞ぎ込んでいた夕海の表情は、仕事を終えたことと、友人ができたことで随分と明るさが戻っていた。

 その新しい友人であるヤナは、夕海が距離を置きたかった人ならざる存在なのである。

 それがこういう形で知り合うことができて、夕海には色々と幸運だったのだろう。

 これを機に他の妖怪たちに対する嫌悪感がなくなれば、あるいは元の生活ができるようになるのかもしれない。

 夕海が調停屋の仕事を始めたのは、確かに有益だったようだ。

 他にやることもないので、ここはしばらく積極的に手伝うことにしよう。

 この終焉を迎えた空のように、夕海の未来に対する見通しは曇っている。

 だが既に、希望の光は自分の手の中に存在しているような気がして、夕海は何だか嬉しかった。



 そしてこれは後日談になる。 小豆婆の老婆を働かせていた織物屋は、その日以降に大変な負債を抱えることになる。

 まず違法な営業によっての営業停止。更に水質汚染防止法違反や労働基準法違反によって多額の損害賠償を命じられることになるのである。

 本来ならば、この中央地区では法的に責任が問われない妖怪の損害だが、裏で撫子が暗躍してルールをねじ曲げたらしい。

 受け取るのは小豆婆や、川で暮らしていた妖怪。

 そして漁師やその卸先まで、かなり多岐に亘った。

 その賠償要求の執拗さ。

 本物の鬼は実在する。後にそう思わされた孝也たちなのであった。




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