第一章 調停屋編 四話
そう思った直後、誰かの手が夕海の肩に乗せられた。
すると悪い気分が、不思議と清流に洗われるように消えていった。
「大丈夫だ。呼吸して気分を落ち着かせろ」
「ああ、うん。へーき。ありがとう、弓菜さん」
彼女の手に自分の手を重ねながら礼を述べた。
どうやら撫子にはまた助けられてしまったようだ。
確かにそのために同行していた訳だが、ここまでその存在が頼もしく感じられるとは。
改めて彼女の有難味を痛感した。
「……本当に凄いね、弓菜さんって」
「別に凄くはないさ。妖怪の階級でいえば鬼なんて真ん中ぐらいだ。強くも弱くもない」
「でも、吸生できる鬼なんでしょう? それってまるで吸血鬼みたいじゃない」
「いや、そんな上等なものじゃない。一般人が想像する鬼と大差もないさ」
一般人が想像する鬼。
「金棒もって虎のパンツ一枚で暴れまわる?」
「ふむ。私の下着を見るかね? 確かに虎柄だ」
「わぁぁぁぁぁっ!? 何ズボンを下ろそうとしているの!? 駄目、絶対!」
周囲の目を気にして阻止する夕海。この娘には恥という概念がないのだろうか。
本人の性格によるものか、それとも鬼であるためか。
下着の露出ぐらいは問題ないらしい。
お年頃の夕海としては気が気でない。
一方、そんなやり取りなどまったく気にせず、孝也が疑問を口にしていた。
「鬼はパワーファイター系ってことだろ?
じゃあ、エナジードレインなんて特殊なことができるのは変じゃねぇか?」
その質問に撫子は平然と答える。動揺していたのは夕海だけだ。
「普通はな。だが以前も述べたように、鬼は人を喰らうものだ。
その性質が固定観念と結びつくと、稀に才能になることがある。それが吸血鬼や私のエナジードレインだ。
実際、吸血鬼や鬼が人から摂取しているのは栄養ではなく生命力だ。
下級な存在は実際に口に入れることでしかそれらを吸収できないが、熟練者は触れただけでそれが可能となる。
本来は他者を喰らう必要すらないのだよ」
「血を吸わない吸血鬼は吸血鬼ですらねぇな」
「まあ彼らの場合、吸血することで眷属を増やすからね。例え摂取する必要がなくても吸血は重要な要素なのさ。
触れるだけで吸精のできる夢魔が、態々淫蕩な夢を見せるのと同じだな」
「――――」
またも夕海がドキリとした。
その少女の姿で不謹慎な言動をされると驚いてしまう。
「じゃあテメェが人を食ったような言動をするのも鬼の性質なのかもしれねぇな」
「はは、そうかもしれないね」
「……何その纏め方」
などと話していると、先程の老婆が盆に湯呑を乗せて現れた。
「はい、どうぞ。お茶ですじゃ」
「あ、ドモドモ――」
机にお茶と茶請けの煎餅が置かれると、一同は取り敢えず一服をした。
そうして気を落ち着けてから、撫子が老婆を交えて話を切り出した。
「ふむ。取り敢えず紹介しておこう。これが今回の依頼者、『安達ヶ原』の店主、山姥の黒塚さんだ」
「どうも、よしなにお願いするのじゃ」
丁寧にお辞儀する老婆。
怖そうな外見とは裏腹に、随分と品の良い仕草である。
「そしてこっちの二人が、新しく調停屋で働くことになった藤岡くんと日吉くんだ」
「ども」
「は、初めまして」
こちらは恐る恐る頭を下げる。
年齢から種族まで、あまり接点のない人種なだけに対応の仕方がよくわからなかった。
「それで、相談というのはこの店の惨状のことかね?
見たところ客が一人しか入っていないが」
「はい。その通りですのじゃ。実は既に原因も解決法もわかっているのですが」
「ほう? つまり我々への依頼は、その解決法を実践しろ、ということかね?」
「え、ええと、何と申しましょうか……。まずはこちらをお試しください」
そう言うと、彼女は厨房に向かって声をかけた。
「――お那美さん、用意していたモノをお出しして」
「はいは〜い! 少々お待ちをプラ〜」
そうして現れたのは、頭に防災頭巾のようなものを被った小柄な女性であった。
お盆を片手にクルクルと回りながら近づいて来て、机に漆塗りの重箱と徳利を置いた。
「へい、お待ち!」
「ご苦労様。
これはウチの目玉商品、鰻重なのじゃ。どうぞ、お召し上がりくださいませ」
出された重箱は一つ。代表して撫子が手を伸ばした。
重箱の蓋を開けた瞬間、醤油ダレの香ばしい香りが周囲に漂った。
重箱には白飯が見えない程、しっかりと赤茶色の鰻の蒲焼が敷き詰められている。
「……ふむ、なるほど」
匂いを嗅いだだけで、撫子は難しそうな顔をして沈黙してしまった。
「おい、どうしたんだよ」
「ん? ああ、食べてみたまえ。すぐにわかるだろう」
「? じゃあ遠慮なく」
孝也は箸を手に取り、蒲焼きを一口大に分けて口に運んだ。
まず口に入れた瞬間、タレの旨味と絶妙な焼き加減が味覚と嗅覚を刺激した。
一口噛むと、ふんわり柔らかな白身が踊るように口の中に分散する。
だが最後に、名状しがたい薬物的な後味が舌に気持ち悪い余韻を残した。
脳裏に浮かんできたのは、ヘドロが沈殿した七色の泥沼。
「うぉえっ! なんじゃこりゃぁぁぁ!?」
「え? どうしたの?」
「何か、混ぜちゃいけねぇ薬品をこれでもかというほど混ぜ込んで煮詰めたような味がしたぞ!?」
「?????」
説明だけでは難しいので、孝也は鰻を切り分けて夕海の口元に差し出した。
夕海は少し戸惑ってから、渋々それを口にした。
「ん? そんなに不味くは――って、うう!?」
そしてすぐに口を押えて蹲ってしまった。
「こ、これは?」
「今朝獲れた鰻ですじゃ」
「でもこれは……」
「実は三日程前から突如、鰻に妙な味が混じるようになりまして。
仕入れ先を変えれば問題は解決するのですが――」
「何か事情が?」
「今の仕入れ先はウチが開店時から贔屓にしている業者なのですじゃ。
あまり安易なことで取引を打ち切りたくはないのです」
「安易なことって、経営不振は安易じゃないような気がするけど……」
「我々はその業者に話を聞き、原因を調査して取り除けばよいのだな?」
「はい。その通りですじゃ」
「いや、ちょっと待ってくれ。それは調停屋の仕事なのか?」
孝也は新人として当然の疑問を呈した。
良く考えたら、この依頼は種族間の問題ではない。
ただ一軒の店が、仕入れ先の商品に文句をつけているだけなのだ。
「うん? うむ、問題なく受理される内容だな。基本的に種族に係わらず、複数の者たちが係わる内容ならば受けることにしている。
今回は店と取引先の2つだな」
なるほど、確かに該当している。
「他にも特定種族が入れない区域の問題や、個人の種族に係わる悩み事も聞くぞ」
「……要するに何でも屋なんだな」
彼女が大変な仕事をしているのはよくわかった。
しかし妖怪の便利屋とか、よもや市役所前にポストなんかを設置したりしないだろうな。
変な髪型の人が褌に乗って飛んでくるぞ、こら。
なんだか孝也たちは、彼女をサポートする愉快な仲間たちになったような気がした。




