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第一章 調停屋編 三話



 市役所の正面の道をしばらく直進すると、ある一軒の日本建築の店舗が見えてくる。

 和風の外観は中々趣があり、まるで昔から存在していそうだが、実際の築年数は40年とそれほど古いものではない。

 その店の名を小料理屋『安達ヶ原』。

 雇っている板前の腕が良く、値段も手頃ということもあり地域の住民に幅広く親しまれている店である。

 孝也たちがその店の前に到着すると、先頭を歩いていた撫子が不意に足を止めた。

 そして何を考えているのか、入口脇に掛けられている三十センチ程の提灯に声をかけたのであった。

「やあ、調子はどうだい? 儲かっているかな?」

 夕海は撫子の頭がおかしくなったのかと思った。

 店の飾り物に声をかけるとは、幼い子供や痴呆老人でもあるまいし。

 まあ外見は子供で年齢不詳ではあるのだけれど、などと考えていると、撫子に続いて孝也までもが同様のことをし始めた。

「よう、おっさん。さっきは悪かったな」

「孝也くんも!?」

 二人が奇行に走り出した。

 何か幻覚でも見えているのかと心配していると、そんな夕海を嘲笑うように提灯に変化が起きた。

 一部に深い切れ目が現れたかと思うと、そこから太い物体がベロンと現れたのだ。

「なんか出た!?」

 それは明らかに生物の舌であった。

 独特な形に、赤い色。そしてテカテカと光る湿り気具合。

 提灯に舌があるのである。

「ケケケ、これは桜さまぁ! 誰かと一緒とは珍しいねぇ!?」

 それは生きているように喋っていた。

 甲高い声で捲し立てると、全身を左右に揺らしながら舌をベロンベロンと上下させている。

「彼は提灯お化けの伊右衛門さん。この店で呼び込みをしている看板お化けだ」

「看板お化けって……」

「妖怪らしい妖怪は初めてだろう。どうだ、怖いか?」

「いや、怖いっていうか……」

 滑稽な外見に、軽薄な言動。

 怖いというより、有名人と出会えたぐらいの感覚である。

 提灯のお化けというと、昔の妖怪図に登場するようなメジャーな妖怪だ。 急に正体を現して人を驚かすらしいが、何のために驚かしているのかは不明。

 驚かすことにメリットがあるのだろうか。マイレージ的な何かが溜まるとか。

 そんな提灯の妖怪に、孝也が普通に話しかけていた。

「おっさん、聞いて驚け。実は俺、調停屋で働くことになったんだ」

「ほう、こいつは驚いたぁ! 役所の位置も知らない迷子の青年が、何とビックリ、調停屋になるとはなぁ! こりゃあ、お天道様でも予想できなかったさね!」

 お天道様、ないけど……。

 夕海が突っ込むより先に、既に次のことを話し始めている提灯なのであった。

 とにかく、賑やかな提灯だ。

 一度口を開いたら中々収まらないような、壊れた蓄音機のような生き物だったのだ。

「しかし桜さまが他人を雇うなんて珍しいじゃねぇか! グングニルでも降るんじゃねぇか! ケケケケケ!」

「グングニル……」

 北欧神話の槍が降ってきたら町どころか世界が壊滅するわ。

「さすがに槍は降らねぇよ。降るとしたらオタマジャクシくらいかね。こいつ蛙好きだし」

 ああ、たまにあるな。そんな事件。

「お玉杓子とな!? そりゃあ怪雨だな!

 怪雨を降らすとなると、もう半妖を卒業して立派な妖怪じゃねぇか!

 こりゃあ、お祝いしなけりゃならねぇな! 花が始まるとなりゃあアレだ! 

 今夜は赤飯――ぐふっ!」 突如、提灯の口に分厚いハードカバーの本が突っ込まれていた。

 衆人環視の中、誰にも目視されずに攻撃されたのだ。

「まったく。そんな迷信や風習はないぞ。適当なことを言うものじゃないよ」

 どうやら目の前に犯人がいたらしい。

「大丈夫なのか、これ。

 昏倒しているが」

「問題ない。彼はこれぐらいじゃ死なない。

 後キミも、あまり伊右衛門さんに話を合わせるな。彼が調子に乗ると際限なく軽口が続くぞ」

「お、おう」

 戸惑いながらも頷いた。

 この提灯とは、市役所に向かう途中に偶然通りかかって知り合った。

 突然話しかけられたので最初は驚いたが、中々愉快な妖怪で意気投合したのである。

 そうした中、夕海は提灯の現状が気になって仕方がなかった。

「え、えっと、それよりこのままでいいの? その本」

「これか? 先週発売した無名作家の小説だが、キミも読んでみるかね?」

 と、提灯からスポンと抜き取ると、ヌメヌメと光っている本を差し出してきた。

「……いえ、遠慮しておきます」

「そうか。まあ、それほど面白い作品でもなかったしな」

 と言いつつ、再び手加減のない勢いで提灯に突っ込んだ。完全に生物に対する行動ではない。

 ……酷いとしか言いようがなかった。

「そ、そう言えば、さっきからこの人? が桜さまって言っていたようだけど?」

「ああ。それは私の名だ。妖の方のな」

「あやかし?」

「父方が人間だと言っただろう? 母方が鬼の一族なので、そちらの方の名も別に持っている。

 それが三芳野童子みよしのどうじ・多岐桜という妖怪の名だ」

「三芳野童子?」

「この地方に根付く、古い鬼の名前だよ。

 しかし私は、公式には伯爵家・弓菜に属する役人ということになっている。

 あまり軽々しくその名は呼ばないように」

「うん、わかった。っというか、それが提灯さんの軽口ってやつだったのね」

 妖怪の界隈では、そっちの名前の方が一般的なのかもしれない。

 まあ夕海たちは人間として接するだけである。

 結局その本は抜かれることなく、夕海たちは店に入ることになった。 ぶっちゃけ触りたくないというのが正直な気持ちである。

「失礼する。調停屋の者だが」

 暖簾を掻き分けて引き戸を開けると、中から料理の匂いが漂ってきた。

 如何にも小料理屋といった風情だが、しかし人の気配は少なかった。

「……あれ?」

 予想外に静なので店内を見回してみると、そこには殆ど客がいなかった。

 昼時を幾ばくは過ぎているとはいえ、人気の店がこうも閑散としているものなのだろうか。

 入って右手が座敷。左手が調理場。正面に階段と奥へと続く扉がある。

 座敷には客が一人。そして厨房には何人かの人影が窺えた。

「……あらあら、撫子さま。お待ちしていましたよ」

 来訪者に気づいた店員が一同を座敷に通してくれた。

「外は暑かったでしょう。ささ、どうぞこちらに」

 その店員は、どうやら人間ではないようだ。

 背が高く痩せ形の老婆だが、額に一本の角が生え、耳は尖り、長い牙が伸びている。

 服装はボロボロの和服で、清潔感がないため飲食ができる店の店員にはとても見えなかった。

 そんな最中。不意に、夕海の心がざわめいた。

「―――――」

 心の奥底から湧き上がってくる黒い感情。

 怒り、憎悪、悲壮、焦燥。

 泥沼の底から湧き出る可燃性のガスのように、沸々と浮かび上がっては弾けて消えていく。

 自分でもいつ発火するのかわからない気持ち。

 ――これは、発作だ。

 人間に似て非なる者。

 その認識が、夕海が押し込めていた複雑な感情を呼び起こしてしまったのである。

 助けて!

 このままでは、私は――



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