第一章 四話
夕海は急の光源に眉を顰めながら、顔を上げて孝也たちに視線を向けた。
唐突な侵入者に対する驚きはなく、ただ気だるげに来た者を確認しようとしているだけのような様子である。
やがて眼が光に慣れてくると、ようやく孝也たちの存在が認識できたようだ。
久しぶりの邂逅に幼馴染はどんな言葉を発するのか。
孝也はしばらく待っていたのだが、しかし彼女は孝也には目もくれずに少女だけに視線を向けていた。
孝也の隣にいる鬼の少女に――
その様子に、孝也は自分が迂闊だったことに思い至った。
「しまった。こいつも異種族だ――」
夕海が引き籠っていたのは、この町が異種族の町だったからだ。
故郷から離れた孝也たちが町に到着した当初、ここの住人である異種族を目撃した夕海は激しく錯乱した。
人類の敵である異形によって被害を受けていた彼女は、町の異種族を異形と混同してしまったようなのである。
余程以前の事件が衝撃だったのか、彼女には人間以外の全てが異形に見えたようだった。
そんな彼女の前に、いきなりこの鬼の少女が現れたのだ。夕海にとって相当な精神的負担であるに違いない。
しかし、だとしたらどうする。ここは一端仕切り直して、少女を外に追い出すか。
と考えた直後、突然周囲の空気が一変した。
「……な?」
これは、威圧感と言えばいいのだろうか。
奇妙なことに室内に力場のようなものが発生し、まるで重力が増したかのような感覚がこの場を支配したのである。
その原因は、探すまでもなく一目瞭然だ。寝台の上の夕海が、獣のような眼光で孝也たちを睨みつけていた。
「ふむ。これは殺気だね。
どうやら彼女が周囲との接触を拒絶していたのは、これが理由らしい」
「これ?」
「彼女が人外に対して持っていた感情は恐怖ではない。恨みなのだよ。とても、とても深いね。
彼女はそれを自制するために、閉じこもっていたのだろう」
「――――」
それはつまり、こんな場所で自制していなければ異種族を傷つけてしまうのかもしれないということか。
異形を相手にした戦闘技術を持つ夕海は、一般人とは比較にならない程の力を持つ。
下手に暴走してしまえば、町の壊滅もあり得るのかもしれない。
しかしそれが事実なのだとすると、それはなんて不憫なことなのだろうか。
誰にも理解されず、ただ孤独に自分の中の闇と戦い続けなければならなかったのだ。
それがどれほど苦しいことか、孝也には同情することしかできなかった。
「……あいつを止めるにはどうしたらいい」
「任せたまえ。そのための調停屋だ」
と、少女は一歩進み出た。そして自信を滾らせながら尊大な笑顔を見せた。
「さあ、始めようか、日吉くん。キミには私を殺す正当な理由がある」
「……は?」
何を言い出すのか。孝也はその理解できない言動に戸惑った。
「御覧の通り、私は人間ではなく異質の者だ。
人の姿をしているが、その本質は人を喰らう怪物。
つまり私とキミが恨む異形は、同じ特徴を持つ人外だということだ。
人外は人類とは相容れない存在であり、今も世界中で生存圏を巡って争っている。
ならば、今ここで私を殺すのは正義だ。それでキミは大勢を救い英雄となる。
キミは正義の名の下に、恨みを晴らすことができるのだ」
「――――――」
それは明らかに、夕海の憎悪を自分に誘導しようという少女の意図が感じられた。
その真意は不明だが、どうやら他人を傷つけることを拒絶している夕海に、実際に行動を起こさせる免罪符を与えているようなのである。
――命の危険を孕んだ挑発。自分を餌にした釣り。
夕海の実力を知っている孝也には、とても正気の沙汰とは思えなかった。
「何を考えてやがる! こいつの戦闘力は普通じゃねぇんだ――」
そして孝也の心配が的中するように、夕海は全身から程の黒い感情が噴き出させたのであった。
「く―――――っ」
それは間違えようもなく憎悪だ。近くにいるだけで身を竦ませてしまうような、強く恐ろしい感情であった。
「おい、早く逃げ――」
言い終わるより早く、夕海が一直線に跳びかかってきた。
――かなり早い。明らかに人間の領域を超えた動きで拳を握り、魔力を込めて少女に叩き込もうとする。
だがしかし。少女はそれでも避けようとはしなった。
それどころか夕海の攻撃を悠然と待ち構え、
「な――――」
簡単にその拳を受け止めてしまったのであった。
衝突による衝撃波が、一陣の風になって孝也の体を通り過ぎて行った。
あの凄まじい攻撃を、この少女は直立のまま防いでしまったのである。
人間には無理な芸当だが、あるいは鬼だからこそ可能だったのか。
「こんなものか、日吉くん。
キミの異形に対する怒りは、たったこの程度なのか?」
「――――――っ!」
更なる挑発に、夕海の感情が爆発する。黒い魔力が彼女の周囲から吹き出し、全てを飲み込むように勢いを増していく。
「ふむ、よくできました。それでこそ憂国の戦士だ」
そう言うと、少女は暖かい笑顔を見せた。
それはまるで子供を見守る大人の様で、彼女の余裕が窺えた。
ただ異常なのは年齢よりも、夕海の攻撃を受け止めたまま笑顔でいることだ。
「その怒りは私が全て引き受けよう。キミはもう、何も心配する必要はないんだ」
直後、何故か夕海が纏っていた憎悪が掻き消えた。
それまで渦巻いていた黒い魔力が消え、元の静かな部屋に戻っていたのである。
それに伴い、夕海の表情も冷静さを取り戻していた。
彼女の中で何が起きたのか、本人も理解できずに呆気にとられている。
「こ、これは……」
呆然と呟く夕海に、鬼の少女は明瞭に言い放った。
「私の特殊技能、吸生。
またの名をエナジードレインという」
「エ、エナジードレイン?」
「ああ、聞いたことがあんな。ゲームなんかによくあるヤツだろ? レベルを下げたりHPを吸い取ったりする」
「そうだ。この町にはそんなゲームみたいなものが実在する。
日吉くん、キミも知っているだろう。この町では魔法や呪いが実際に使用できるのだと」
「え、ええ」
不意に問いかけられて、夕海は動揺しながら頷いた。
夕海は武神塾という戦闘集団に所属している。
武神塾では魔法の練習が必修課程であるのだが、その魔法の基礎的なエネルギーはこの町で採取される空気なのである。
「そんな超常的な能力の一つが、吸生という生命力を糧とする特定種族が持っている能力だな。
私は鬼だが、古来より鬼は人を喰らうものだからね。
同様の能力があっても不思議ではないのさ」
「あ、鬼……」
夕海はそこで、漸く目の前の少女がどのような存在だったのかに思い至ったようだ。
今、彼女の目の前にいるのは昔話に登場するような鬼だ。 人とは違う姿をしている、感染者とは違う意味での異形である。
「まだキミたちには私のような存在に馴染みがないだろう。
鬼とは妖怪の一種であり、大陸の幽鬼とは異なるこの国に根付いてきた凶悪な魔物だ。
人を喰らい、財産を奪い、疫病を撒き散らす。
ただ傲慢に、ただ無慈悲に悪逆の限りを尽くすだけの不遜なる存在。それが私だ。
どうだね? 怖いかね?」
可愛らしい少女の姿で、彼女は自らの恐ろしさを問いかける。
だが、すっかり落ち着きを取り戻した夕海は無言で首を振った。
どのようなことを言われても、今の彼女にはその少女の言葉に反応するだけの感情が浮かんでこなかった。
今思えば、何故このような少女に怒りを感じたのか、彼女は自分の心も理解できないでいた。
一方、そんな夕海を眺めていた孝也は思う。
鬼の少女は生命力の吸収と言ったが、どうも恨みなどの感情も吸収しているような気がする。
夕海は完全に元通りの冷静な姿に戻っているので、もし再び彼女が我を忘れてしまったとき、あるいは鬼の少女ならばなんとかできるのかもしれない。
夕海を救うことができるのかもしれない。
そんな希望が、未来を照らしてくれているような気がした――




