第一章 二話
妙に落ち着いている鬼娘は、涼しい視線を孝也に向けてきた。
「一つ言わせてもらうとだな。キミは今、ある固定観念に捕らわれているようだが、それはここでは疑うべきものだ」
「……何?」
「何故鬼である私を人間と同じ年齢だと判断した?
人外なのだ。化け物なのだ。もしかしたら二百年、三百年も生きているのかもしれないではないか」
「は……? まさか」
こんな女の子が、ガラパゴスの陸ガメみたいに長く生きているというのか。
「じゃあお前は、江戸時代の人間……なのか?」
「いや、違うが」
「違うのかよ!」
やっぱり違ったらしい。
「私はただその可能性を考えるべきだ、と言っているだけだよ。
ほら、ポンチ絵とかにもよくあるだろう。外見は子供、でも実際は大人、とかそういうの」
「ポンチ絵って……」
江戸までとは言わないが、確かに年齢は高そうだ。
ポンチ絵とは漫画のことだが、そもそも娯楽書物の流通が少ないのだから孝也には理解しづらい。
しかも鬼という伝説上の生き物に漫画の例えをされると、まるで現実的には聞こえない。
「で、本当は何歳なんだ?」
「はっはっ、女性に年齢を聞くとは無粋だね。女性は神秘に包まれているものなのだよ」
「そうかい」
面倒臭くなってきたな。
「少なくても成人しているとだけは言っておこう。酒も煙草も大丈夫な年齢だぞ。
尤も、色々と言われるので人前ではやらないがね」
「自粛する良識はあるんだな。
……まあいい。アンタが依頼を聞いてくれるんだな?」
他にそれらしい人間もいなさそうだし、相談できそうな人間もいない。孝也は仕方なく、彼女に相談の内容を伝えることにした。
「俺の名は藤岡孝也。つい一週間前に名古屋から来た人間だ」
「名古屋? ということは」
「ああ。生き残りの一人さ」
「そうか……それは大変だったね」
さすがにあの悪夢を聞き及んでいるのか、彼女は同情の表情を見せた。
異形の進攻により名古屋の地下都市が壊滅したのは今から一週間ほど前のことになる。
元々名古屋の地下は、周辺の生存者を一挙に内包する巨大都市であった。移民を受け入れることで人数を増やし、何とか防備を高めて異形の進攻を食い止めていた。
しかし、移民が増えるごとに侵入されるリスクが増し、結局のところ通常兵器が通用しない異形を追い払うことはできなかった。
何しろ核兵器ですら、足止め程度の効果しか見込めなかったのだ。そんな異形から都市を守るなど、端から生身の人間には不可能だったのかもしれない。
「で、そのキミにどういう悩み事があるのかな?」
「ああ、実は一緒に逃げてきた友人がいるのだ。名前は日吉夕海。俺の幼馴染なんだが」
「女性かね?」
「ああ。そいつが異形の被害で心と体に傷を負っちまってな。何とかそいつを立ち直らせたい」
「ふむ、それは大変だな。
しかしここは病院でもカウンセリング施設でもないんだがね。紹介はできても治療はできないぞ」
「そいつは間に合っている。俺はただアイツに普通の生活をさせたいだけだ」
傷はなんとかなったが、心は医者にも救えなかった。
その原因がこの町そのものにあったからだ。
「今のアイツはこの町全てを拒絶して、ろくに食事も取らずに引き籠っていやがる。
異形に襲われたアイツには、この異質の町はあまりにも辛辣過ぎたんだ」
元々明るい人間だった友人。それが異形の襲撃で心を傷つけてしまった。
そんな彼女には亜人たちが敵に見えているのかもしれない。
「ああ、そうか。なるほど。その通りだな。
この町は人外だらけだからな。確かに異形の被害者にはこの町は辛いのかもしれないな」
納得したように何度か頷く少女。彼女も自分たちの異質さを理解しているようで、その女性の境遇には一定の理解を示していた。
この町の外から来た者にとって、異形も人外も等しく『人とは異なる存在』だ。
異形に恐怖心を持っていない孝也でさえ、初めて妖怪たちを見たときは驚いたものだ。
異形に襲われた経験のある者なら、あるいはとてつもない恐怖を覚えるのかもしれない。
「俺の信頼できる知り合いが、異種族との仲を取り持ってくれるのは調停屋だと言っていた。
ここならば、どのような種族の偏見でも取り除いてくれるんだとな」
「おやおや。そう言ってもらえるのは有難いことだね。とはいえ、過大広告で訴えられそうな気がしないでもない。
確かにこの調停屋は、異種族の仲を取り持つために作られた行政機関だ。
かの災害以来、この町は異形に進攻されない唯一の都市として様々な地方民や権力者たちが流れてきた。
その中には人以外も多く含まれていて、神々、妖怪、妖精、魔獣、怪物など、いつしか数え切れない種類の者たちが集っていたんだ。
それらの軋轢に対処するために作られたのが調停屋であり、故に我々ができるのは互いの主張を尊重することだけなのだ」
「互いの主張って、つまり一方の問題だけでは対処ができねぇって?」
「そういうことではないんだがね。
聞いた限り、そのご友人とやらにはまだ解消すべき軋轢すら発生していない。
ただ恐ろしい経験をしたことによって外の世界に足を竦ませているだけだろう。
先程も言ったが、そういったものはカウンセリングか、周囲の励ましによって解消するものだろう?」
「それが無理だったから頼んでいるんだろうが。もうあんまり時間がねぇんだ。
家族や友人でも部屋の扉を開けることができなかった。医者もカウンセラーもアイツを救うことができなかった。
今のアイツを部屋から出せるのは、異形と異種族の違いを明確にできるヤツだけなんだよ」
そろそろ体力的にも限界のはずだ。命を救うためにも、早急に対処しなければならない。
「それなら扉を壊すなりすればいいだろう。強引に引きずり出してしまえば何とでもなる」
「もうやった。いや正確にはやろうとしたができなかった。
どんな武器で叩こうが、扉も窓も不自然に硬くてビクともしなかったんだ」
「ん? そのご友人とは何者かね?
部屋全体に防御結界でも展開されていそうだな。
もっとも、そんなことができるのは魔術師の類だけだが」
「ああ、アイツは何とか塾ってところで戦闘訓練を受けてんだよ。ひょっとしたら魔法ぐらい使えるかもしれねぇな」
「ほう、武神塾だな。あれに所属するなら不思議ではないのだが……。
しかし、塾生ならば人外など見慣れているはずだが?」
多少は事情を知っているのか、少女は孝也も知らないようなことを語り出す。
「何しろ研修の一環で、この町で一年間暮らすという魔術訓練のカリキュラムがあったはずだが」
「知らねぇよ。実際に引き籠っているっていうこと以外、俺にわかることなんてねぇ」
「役に立たないねぇ。
よし、わかった。一度会ってみようじゃないか。
少なくてもカウンセリングより、結界の対処の方が私の領分だ」
「アンタが来るのか?」
「ちなみにそのご友人とやらは愛知県出身なのか? 他の地域から移り住んだということはあるまいね?」
「名古屋出身だ。もっとも、両親は別の場所から来たそうだけどな」
「そうか。それは参ったな」
「あん? 何が参るんだよ」
「キミたちが純粋な名古屋人でないのなら、クヌギの木と八丁味噌を用意しても意味がないのかもしれないからな」
「…………は?」
「名古屋人をおびき出すには豆味噌と相場が決まっているだろうが。
まずクヌギの木に味噌を塗ってだな、そのまま一晩放置するのだ。すると翌朝には大量の名古屋人が――」
カブトムシか。
「あ、わかった。テメェ馬鹿にしてんだな? 馬鹿にしてんだろ」
「ちなみにピーナッツバターを塗ると千葉県民が捕獲できる」
「テメェ愛知県民と千葉県民に謝れよ!
そんなこと言ったら埼玉県なんて何にもねぇじゃねぇか!」
「何を言っている。埼玉には忍者○レイヤーという立派な」
「それは架空の話じゃねぇか!」
金閣テンプルとか出てきそうだ。
「架空で何が悪い。それを差し引かれたらこの県には何もないではないか」
「……テメェ、地元の人間にも謝れよ」
よくそんな戯言を真顔で言えたものだ。
さすがに冗談なのだろうが、会話に冗談を交えなければならないという決まり事でもあるのだろうか。
こんな少女に依頼して大丈夫なのか。
何だか不安の募る孝也なのであった。




